49 真夏、ほとばしる汗、そして猛特訓 (下)
柏木奏はベンチにぐったりと沈み込んだまま、少し離れた場所で繰り広げられる極限のシゴキを眺めていた。
全力スプリントのシャトルランが終わるや否や、今度は指2本分ほどの太さがある黒い高張力のレジスタンスバンドが、一方はコート脇の金網の支柱に結び付けられ、もう一方は部員たちの腰に容赦なく食い込むように巻き付けられた。
彼らはスクワットの低い重心を強制的に維持させられ、太ももと足の裏で地面に噛み付くようにして、後方へ強く引き戻そうとする張力に逆らいながら、強引に横方向へのサイドステップを踏み出していく。
何本もの黒いゴムチューブは限界まで引き伸ばされてどんどん薄くなり、テンションの掛かりすぎでうっすらと白っぽく変色すらしていた。空気中には「ブゥン……」という低い振動音が響き、部員たちの太もも前面の筋肉は、強烈な負荷への拮抗によって一本一本の筋がバキバキに隆起している。
コートの反対側からは、鈍い重低音が立て続けに響いてくる。
それは一つ10キロもの重量がある、弾力ゼロのメディシンボールだ。部員たちはコンクリートの防護壁に半身で向き合い、腰と腹のコアマッスルの強烈な収縮を利用して、体幹全体を極限までねじり上げたバネのようにして一気に解放し、ボールを壁へと力任せに叩きつける。
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
鈍い打撃音が交錯し、その衝撃でコンクリート壁の表面がパラパラと剥がれ落ちる。巨大な力で押し潰され、あの硬いボールが衝突の瞬間に肉眼でも分かるほど平たく変形していた。ボールは反発力に乗って胸元へ跳ね返り、部員たちはその衝撃を胸と腹でしっかりと受け止め、その勢いを利用して再び腰をねじり、力をタメて、叩きつける。
テニス選手特有の体幹の強さと瞬間的な爆発力を鍛え上げるためのこの特訓は、もはや発狂しそうなほど残酷だった。周囲にいる何人かの部員はすでに疲労の限界を超えて顔面を歪ませ、フォームはひどく崩れ、中には苦痛の咆哮を漏らす者すらいた。
だが、あの金髪の暴君はどうだ。胸は激しく上下し、くっきりとした顎のラインからは滝のように汗が滴り落ちてゴムチップの床に砕け散っているものの、その腕の振りは教科書のように正確無比で、微塵の妥協も緩みも見られなかった。
奏はサングラス越しにその光景を見つめ、そっと視線を外した。
彼は今、完全に理解した。ゲームに出てくる、HPゲージが底なしで、赤ゲージの狂暴化フェーズに入ってもマップ中を狂ったように飛び回る高難易度ボスが、バックグラウンドで一体どれほど変態的なシミュレーション訓練を積んでいるのかを。千野柊斗の、他を圧倒してすり潰すようなあのモンスター級のスタミナは、すべてこの自傷行為スレスレの狂った特訓によって錬成されていたのだ。
「これ以上見てたら、過度な共感のせいで俺の網膜まで疲労性充血を起こしそうだ」
奏はのろのろと視線を回収した。こんなリア充極まりない光景は自分には不釣り合いだ。彼はUVカットパーカーのポケットからスマホを取り出し、手慣れた動作でロックを解除して、仮想世界の中で陰キャ(モブ)としての平穏を取り戻そうとした。
「キャアアアアッ──! 千野柊斗くーーん!!」
「千野くん頑張ってーー!!」
奏がゲームの実況動画をタップするより早く、鼓膜を突き破らんばかりの、異様にハイテンションで甲高い悲鳴が、わずか10メートルも離れていない場所から何の前触れもなく炸裂した!
奏はビクッと手を震わせ、危うくスマホを顔面に落とすところだった。
驚愕して振り返る。
いつの間にか、金網ゲートの外側には、制服の短いスカートを揺らし、色とりどりの日傘を差した女子生徒の大群が押し寄せていたのだ。彼女たちの手には『青葉第一高校テニス部後援会』『千野柊斗必勝』と書かれたスローガンタオルや小さなうちわが握られている。ざっと見ても2、30人はいるだろう。
現在、この女子たちは午後の一番残酷な紫外線をモロに浴び、頬を真っ赤に染めながらも、コート内で一心不乱にトレーニングに励むそのシルエットに向かって、疲れを知らない狂ったような歓声を送り続けていた。
「千野くん、今日のフォームもカッコよすぎ無理死ぬ!」
「さっき汗かいてるとこ撮れた!? エロすぎでしょ!」
この恐るべき太陽光をものともせずに大声で声援を送る彼女たちを見て、奏は心底敬服した。
この38度の猛暑と、皮膚が3枚は剥がれ落ちそうな灼熱の太陽の下。夏休みなのにわざわざ学校まで足を運び、遮るものの何一つない金網の外に立って他人の応援をするなど、それ自体が変態的な精神力を要求される苦行である。
しかも、彼女たちが狂ったように名前を呼んでいるあの「小魔王」は、今まさに背を向けたままレジスタンスバンドのサイドステップをこなしている最中だ。千野柊斗は振り返ることすらしないばかりか、金網の外の群衆に視線の端すら向けようとしない。全身から「部外者立ち入り禁止」の氷のようなオーラを放ち続けているのだ。
これほどまでに見事な塩対応(氷点下対応)を食らっているというのに、この女子たちがなおも驚異的な絶叫を爆発させることができる事実に、奏は激しく圧倒された。
彼はベンチの奥の深い陰へとさらに身体を縮こまらせ、この騒がしく狂熱的な世界から自分を完全に隔離しようと試みた。
奏はのろのろと周囲を見渡した。
コート上で滝のように汗を流す疲労を知らぬアスリートたち。場外で狂ったように悲鳴を上げるエネルギーに満ち溢れた後援会のファンたち。そして、灼熱の太陽の下で怒号を飛ばし続ける色黒のコーチ。
このテニスコートでは、生きとし生けるものすべてが高濃度のインパルス(アドレナリン)を直接注射され、常にエナジーゲージMAXの覚醒状態を維持しているかのようだ。
「世界全体が全力疾走してやがる……」
奏は、熱波と共に自分の体内から少しずつ水分が失われていくのを感じながら、ひどく虚弱なため息を漏らした。
スマホの画面を見つめ、親指を無意味にスクロールさせながらも、奏の脳内はジリジリと上昇し続ける気温と共に、コントロールを失ってとりとめのない妄想へと発散し始めていた。
彼は今の自分を、本来ならマイナス18度の冷凍庫の中で高貴かつクールに鎮座しているべき、お高い『シーソルトバニラアイスクリーム』のように感じていた。あの完璧な恒温環境にさえいれば、優美な固体のフォルムを保ち、俗世とは無縁でいられたはずなのだ。
すべてはコートで汗を流すあの暴君のせいだ。この箱入りのお高いアイスクリームを快適なテリトリーから強引に引っぱり出し、38度のゴムチップの脇に乱暴に放り投げやがった。
「俺、もう丸い原形すら保ててない気がする……」奏は心の中で悲痛なため息をつき、自分の魂がドロドロの糖水と化して、ベンチの隙間から滴り落ちていくような錯覚に陥っていた。
この生きた心地のしない地獄の底で、柏木奏は自宅にいるあのデブ猫に猛烈な嫉妬を覚えた。
彼の脳裏には、現場の映像が鮮明に浮かび上がっていた。今頃ルルは間違いなく、リビングで一番柔らかいカシミヤのラグの上でへそ天ででろーんと寝転がり、最高級のマグロ缶を食べる幸せな夢でも見ているに違いない。
「人間、猫にすら劣るな……」
奏はのろのろと一本の指を伸ばし、汗でずり落ちそうになる巨大なサングラスのブリッジを押し上げた。
ちょうどその時、木々の蝉時雨よりも甲高く、エネルギーに満ちた女子たちの話し声が、熱風に乗って奏の耳に届いた。
日傘を差した後援会の女子たちが、ちょうど奏からほど近い金網のすぐ外側に集まっていたのだ。
「キャアア見て! 千野くん今日、あの白の限定版シューズ履いてる! 白のショートパンツと合わせると、あのふくらはぎの筋肉のラインがマジで神!」
「無理、服まくって汗拭く仕草、なんであんなにエロいの!」
ピーチクパーチクという熱狂的な実況音声が、イヤホンの隙間からでもはっきりと漏れ聞こえてくる。
奏は、軟体動物のように骨のない妖艶な横たわりポーズをキープしたまま、ゆっくりとミネラルウォーターのキャップをひねり、ボトルの口をくわえて一口水を飲んだ。
よし。これなら今目を閉じても、千野のトレーニング状況がリアルタイムの『音声実況』付きで完璧に把握できるぞ。




