41 推しの既視感(上)
奏はその一文をじっと見つめ、何度も何度も、三度も見返した。
こいつ、一体何をデタラメ抜かしてやがるんだ?
似てるわけがないだろ! 片や二次元のツンデレで可愛い猫耳の王子様、片や現実世界で毎日毎日仏頂面をぶら下げて、事あるごとに電源ケーブルを引っこ抜くと脅してくる最悪のクソガキだぞ。この二つの生物の間には、もはや種の壁すら存在しているレベルだろ!
いくらなんでも空気が読めなさすぎる。他人の美しい二次元のファンタジーをぶち壊す気か。
奏は鼻をフンと鳴らし、憤懣やる方ない様子でそのコメントのリプライ欄をタップした。仮想キーボードの上で指を高速で走らせ、この雰囲気をぶち壊した空目ネット民を長文のお気持ち表明で完膚なきまでに論破してやろうと意気込んだ。
だが、文章を半分ほど打ち込んだところで、強力な論拠を探すために指を止め、もう一度あの爽やかな夏の立ち絵をタップして拡大した。
浅い金色のショートヘア。
少し苛立ちを孕んだ、切れ長の魅惑的な瞳。
スッと通った高い鼻筋に、人を見下ろす時にわずかに跳ね上がる口角の弧度。
「…………」
脳のどの神経がショートしたのか。画面の中の完璧で無傷な猫耳美少年の顔のパーツが、突如としてぐにゃりと歪み、再構築され始めた。数秒後、真っ白な猫耳を生やし、顔中に『アンタうざい』とデカデカと書き殴った千野柊斗の顔が、彼の脳裏にドーンと浮かび上がったのだ。
ご丁寧に、そのモフモフの猫耳すら、千野のあの絶妙にムカつく表情に合わせて、幻覚の中でイライラしたように二度ピクッと震えた。
奏の指が空中で完全に硬直した。
……マジだ。ほんの少しだけ、似ている。
パチッ。
奏は人生のすべてに絶望したような顔でスマホの画面をロックし、そのままソファの隙間へと放り投げた。
たった今しがたまで、炭酸飲料のようにシュワシュワと湧き上がっていた課金欲が、頭から氷水をぶっかけられたように鎮火し、水飛沫一つ残さず綺麗さっぱりと消え失せてしまった。
彼は廃人のようにクッションへ倒れ込み、呆然と天井を見つめた。財布の平和は守られたが、彼の素晴らしい夏のゲーム体験には、二度と修復不可能な致命的な亀裂が入ってしまったようだ。
柏木奏はまな板の上で裏返された干物のように、柔らかいソファのクッションの上でジタバタと二回ほど蠢き、顔をクッションに深く埋めて長いため息を漏らした。
絶対に画面を見すぎたせいだ。網膜が疲労して幻覚を見せたに違いない。
脳内で猫耳を生やした千野柊斗がこれ以上暴れ回るのを阻止するため、彼は未練なくSwitchの電源ボタンを長押ししてシャットダウンした。再びスマホを引っ張り出し、普段よく見ているSNSのタイムラインを開いて、何か別のものを見て目を洗おうと考えたのだ。
だが、ビッグデータのレコメンドアルゴリズムは、彼のそんな涙ぐましい努力など微塵も汲み取ってはくれなかった。
ホームを更新した途端、タイムラインには【#千野柊斗】や【#全日本ジュニアテニス選手権】のハッシュタグが付いたポストが滝のように流れてきた。
それにしても、このクソガキの最近のネットでのバズり具合、いくらなんでも異常すぎないか?
奏が指先で画面をスクロールすると、タイムライン全体が千野の赤土コートでのファンカム画像や試合のGIF動画で完全に埋め尽くされていた。
中には、スポーツ雑誌の表紙を飾れそうなほど見事に撮られた写真もいくつかある。一枚は、千野がベースラインから高く跳躍してスマッシュを打つ瞬間の写真。
黒いゲームシャツの裾が動きに合わせて捲れ上がり、引き締まった腹筋の輪郭がチラリと覗いている。もう一枚は、コートチェンジの休憩中、彼が仰け反るようにして氷水を喉に流し込んでいる写真。透明な水滴がくっきりと隆起した喉仏を伝って落ち、汗で透けた襟元へと吸い込まれていく瞬間を捉えていた。
その下についたファンのコメントは、奏が全身に鳥肌を立てるほど熱狂的だった。
「ギャアアアア! 今日も赤土の上でキラキラ輝いてる! サーブ打つ時の腕のラインが神すぎて無理泣く……」
「水飲んでるこの画像だけで白飯100杯はいける! 汗が滴る軌道が私の心臓の上でタップダンス踊ってる!」
「コートの上じゃいつも親の仇みたいな仏頂面だけど、誰のことも眼中にないあのオラオラ感がマジで最高に沼! さすがコートを支配する暴君様!」
「お願い、ゴミを見るような目で一瞥してくれるだけでいいから私を罵って!」
「…………」
奏は無表情のまま最後のリプライを見つめ、口角をピクピクと二度引きつらせた。
最近のネット民、ドM性癖をこじらせすぎじゃないか?
彼は画像を拡大し、写真の中で冷ややかな表情を浮かべ、まぶたを持ち上げることすら面倒くさがっている金髪の少年を凝視した。そして、無意識のうちに彼の普段のありとあらゆる悪行の数々を脳内に思い浮かべていた。
どこがキラキラ輝いてるんだ? どこが最高に沼なんだ? これはただの性格最悪で、礼儀知らずで、さらには同居人に対して電源を引っこ抜くという物理的な脅迫まで行ってくる厄介なクソガキ以外の何物でもないだろ。
画面の向こう側で狂ったようにピンク色のオーラを撒き散らしているファンたちを見て、奏は再び溜め息をついた。もしこいつらが、自分たちの崇める『クールな暴君』の正体が、プライベートでは寝起きが最悪で異常なこだわりを持つ幼稚なガキだと知ったら、一体どれほどの人間が幻想フィルターを粉々に打ち砕かれることだろうか。
奏は苛立たしげに画面を下にスクロールした。
バックグラウンドで大量のソロゲーレビュー系アカウントやら、コンシューマーゲームのニュースやら、eスポーツの公式アカウントをフォローしているはずなのに、なんで今日に限ってホーム画面がこんなわけのわからないスポーツ画像で埋め尽くされているんだ?
このポンコツなビッグデータのレコメンド機能のせいで、まるでスタジオを間違えて千野柊斗の非公式ファンクラブに迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。
ふんわりとしたフィルターがかけられた過度なレタッチ画像などもう見たくなかった。彼は指を動かす速度を上げ、このピンク色のオーラに満ちた限界オタクの群れから脱出しようと試みた。
まさにその時。画像付きの一つのポストが、何の前触れもなく画面の中央にピタリと止まった。
そのポストには人気のハッシュタグなどは一切なく、ただ短い一文だけが添えられていた。
『誰か、この人が誰なのか知ってる?』
奏の視線が何気なくその画像に落ちた直後、スクロールしていた彼の親指がギギギッと急ブレーキをかけた。
写真の背景は、昨日の屋外赤土コートの一角だった。カメラは斜め後ろからシャッターを切っており、ダークカラーのゲームシャツを着た千野柊斗が背を向け、わずかに顎を上げてスタンドの方を向いている瞬間を捉えている。
そして、その彼の視線の先にある観客席には、この猛暑の中、全身を銀灰色のミイラのようにグルグル巻きにした不審者が座っていた。その人物はつばの広いUVカット帽子を被り、顔の半分以上を覆い隠す黒いサングラスをかけ、手には小さなハンディファンを握りしめている。
何より目を引くのは、その「ミイラ」の頭上に、投稿者によって真っ赤なペンで野太い丸印がグリグリと描かれ、その横にこれまた巨大なクエスチョンマークがデカデカと付け足されていることだ。
スマホを握りしめる奏の指の関節が、一瞬にして真っ白になった。
──これ、どう見ても俺じゃねえか!?




