5話「興味ないし」
店に行くのは、久しぶりだった。
理由は特にない。
強いて言えば、タイミングが合わなかっただけだ。
——そういうことにしておく。
「今日は、誰にします?」
受付の声に、一瞬だけ考える。
いつもなら、迷わない。
でも今日は、少しだけ間があった。
「……リオナさんで」
口に出してから、自分でも妙だと思う。
理由はない。
本当に、ないはずだ。
---
帰り道、夜の空気がやけに軽かった。
満たされた感じはある。
でも、どこか引っかかる。
「……なんだこれ」
自分でもよく分からないまま、アパートに戻る。
階段を上がると、廊下の電気がついていた。
隣のドアの前に、人影。
「……あ」
ユイだった。
スマホを見ながら、壁にもたれている。
こっちに気づいて、少しだけ顔を上げる。
「遅かったね」
「まあな」
「仕事?」
「……そんなとこ」
少しだけ視線を逸らす。
誤魔化すのが下手だと、自分でも思う。
ユイは特に突っ込まない。
ただ、小さく頷くだけ。
「そっちは」
「普通」
短い返事。
それで終わり——のはずだった。
「……店、行ってたでしょ」
さらっと言われる。
心臓が、わずかに跳ねる。
「……なんで」
「匂い」
あっさりと。
逃げ場がない。
「……まあな」
「ふーん」
それだけ。
興味なさそうな声。
スマホに視線を戻す。
それで会話は終わる。
終わるはずなのに——
「……別の子?」
顔も上げずに、続けてくる。
「……ああ」
「へえ」
短い。
それ以上、何も言わない。
でも。
なんとなく、空気が変わる。
ほんの少しだけ。
「……楽しかった?」
「まあ」
「そ。よかったじゃん」
言い方は、いつも通り。
でも、どこか雑だ。
気のせいかもしれない。
でも——
「……なんだよ」
「なにが」
「いや」
言葉にできない違和感。
ユイが、ようやく顔を上げる。
目が合う。
すぐに逸らされる。
「別に。興味ないし」
「……そうかよ」
「うん」
そのまま、少しだけ距離を取る。
——はずなのに。
逆に、近づく。
一歩分。
無意識みたいに。
すぐに止まる。
自分で気づいたみたいに。
「……」
「……」
沈黙。
距離が中途半端なまま止まる。
近い。
でも、さっきまでより意識する距離。
ユイが、わずかに眉を寄せる。
何かを考えるときの顔。
「……あんたさ」
「ん」
「なんで来るの」
「隣人だからだろ」
「そうじゃなくて」
少しだけ強い声。
でも、続かない。
言葉を飲み込む。
「……別に」
結局、それだけ。
視線を逸らして、髪をいじる。
完全にいつもの癖。
落ち着かないときの。
「……ほんと意味わかんない」
小さく呟く。
誰に向けたのか分からない。
でも、多分——自分にだ。
「……お前こそ」
「なに」
「なんでそんな聞くんだよ」
少しだけ踏み込む。
ユイが、一瞬止まる。
ほんのわずかに。
「……聞いてない」
「聞いてただろ」
「違う」
「どこが」
「……違うから」
押し切るみたいに言って、視線を逸らす。
そのまま、少しだけ距離を取る。
今度こそ、はっきりと。
「……別に、誰指名しようが勝手だし」
「まあな」
「興味ないし」
「さっきからそればっかだな」
「だってほんとだし」
言い切る。
でも。
声が、ほんの少しだけ低い。
「……そっか」
それ以上は言わない。
言ったら、多分崩れる。
何がかは分からないけど。
ユイも、何も言わない。
ただ、同じ空間にいる。
それだけなのに、妙に意識する。
「……じゃ、俺戻るわ」
「ん」
短い返事。
ドアに手をかける。
開ける直前。
「……ね」
呼び止められる。
振り返る。
ユイが、こっちを見ている。
少しだけ、迷った顔。
「……なに」
「……別に」
言いかけて、やめる。
それから、少しだけ視線を逸らして。
「……次、いつ行くの」
ぽつりと。
一瞬、意味が分からない。
「店」
補足される。
「……さあ」
「ふーん」
また、それだけ。
でも今度は、少しだけ間がある。
「……まあ、いいけど」
そう言って、ドアを開ける。
そのまま中に入る。
閉める直前。
「……」
何か言いかけて、やめる。
そのまま、ドアが閉まる。
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一人、廊下に残る。
静かだ。
さっきまでの空気が、少しだけ残っている。
「……なんなんだよ」
思わず呟く。
興味ないって言いながら、全部聞いてくる。
距離を取るくせに、近づいてくる。
分からない。
でも——
分かりたくなる。
それが、一番面倒だ。
---
部屋に戻る。
ベッドに倒れ込む。
天井を見ながら、目を閉じる。
今日のことを思い出す。
店のこと。
さっきの会話。
全部、混ざる。
「……はあ」
小さく息を吐く。
満たされてるはずなのに。
なぜか、足りない。
理由は、分かってる。
でも、認めたくない。
——まだ、そこまでじゃない。
そう思って、目を閉じる。
でも。
浮かぶのは、さっきの顔だった。
“興味ない”って言いながら、少しだけ揺れてた目。
「……ほんと、面倒だな」
呟いて、寝返りを打つ。
その言葉が、自分に向いてるのか、ユイに向いてるのかは——
もう、分かってる気がした。




