種子と星と、地下の天使
1 王都の門
飛竜が城壁の外に降りた。
ガイウスが飛竜の首元から飛び降り、腕を組んだまま俺たちを一瞥した。いつもなら送ったらすぐ帰る男だった。しかし今日は違った。王都の方角を少し見てから、ほんの僅かに、眉が動いた。そして飛竜の召喚を解除し、何も言わずに門の方へ歩いていった。
「用事があるそうです」
ルーシェンが静かに言った。
「そんなことを言っていたか?」
「言っていませんでしたが、彼の背中を見れば分かります」
俺はガイウスの背を見た。何も語らないその背中が、何かを感じ取って動いているように見えた。
門に向かった。
年配の衛兵が立っていた。以前、王都を出る時にも対応してくれた男だった。俺たちに気づくと、ルーシェンを見て姿勢を正した。
「これはルーシェン様。お久しぶりです」
「久しぶりです。王都は変わりありませんか」
衛兵は少し表情を曇らせた。その変化は小さかったが、確かにあった。
「変わらず行方不明者が出ております。以前からの件と同じく、主に貧民の方々で——捜査は続けておりますが、犯人と思われる者の手がかりがまだ」
衛兵の顔には疲れが見えた。
「あ、あと、これは行方不明とは関係ありませんが……」
やや躊躇うように言葉を続ける。
「最近、井戸の水を飲んで体調を崩すといった事例がよく見られています。庶民の間にも不安が広がっていますので、お気をつけてください」
「そうですか」
ルーシェンは短く答えた。
「では、ようこそ王都へ」
衛兵が頭を下げ、門までの道を譲る。
俺達も軽く頭を下げ、門をくぐった。
2 見えるもの
王都は活気があった。
市場の声が飛び交い、子供が走り、荷車が往来していた。石畳の上を人が行き交う、いつも通りの街の景色だった。水への不安が広がっているというが、何も問題がないように見えた。
俺の視線は、自然と人の頭に向いていた。
「……!」
最初に気づいたのは、若い男だった。見間違いかと思った。そう思いたかった。女性と並んで歩いている。笑いながら何か話していた。その頭の上に——小さな茎と葉が生えていた。
闇でできていた。普通の草とは違う、暗い色をした小さな植物が、男の頭から静かに伸びていた。
次は別の方向を見た。
母親に手を引かれた女の子がいた。五、六歳くらいだった。笑っていた。何も知らない顔で。小さな手で母親の指を握って、屋台の並びを見ていた。その頭にも、同じものがあった。
背筋が氷を当てられたように冷えて行くのを感じる。
目を動かした。市場を行き交う人々を見渡した。
二十人に一人か、三十人に一人か——確実に、混じっていた。それだけの数の人間の頭に、闇でできた草が生えていた。そして巡回中の騎士の頭にも、同じものを見つけた。
——守る側にも、あるのか。
「どうしました」
ファルマが俺の顔を見て言った。
俺は三人を人の少ない場所に引いてから、声を落とした。
「人の頭に、闇でできた草のようなものが生えているのが見える。他の人達には見えてないようだが……」
三人が周囲を見渡した。ルーシェンが目を細めた。エリシアが視線を動かした。ファルマが首を傾けた。
「見えません」
ルーシェンが言った。声は静かだったが、その目が険しくなっていた。
「ただ——榊さんが見えているなら、何かあるはずです」
「何人くらいいますか」
エリシアが聞いた。
「今見えている範囲で、十人以上はいる」
三人が顔を見合わせた。ルーシェンが口元を引き締めた。
「エドワードのところに行きましょう。今ここで騒ぐより、状況を整理してから動く方がいいですね」
3 聖騎士の行列
騎士団詰所に向かった。
しかし詰所の前に人だかりがあった。野次馬だった。何かを見ようとして集まっている人間の群れが、詰所の前を塞いでいた。
俺は人だかりの向こうを確認しようとした時、詰所の扉が開いた。
白銀の鎧が出てきた。
一人ではなかった。二十人近い騎士が、整然と列を作って出てきた。カルガリー神聖国の紋章が入った純白の鎧——聖騎士だった。
その先頭に、二人がいた。
一人は銀髪だった。俺より少し背が高く、鎧の上からでも研ぎ澄まされた何かを感じさせる立ち姿だった。その表情は冷たかった。冷たい、というより——感情をそこに置いていないような顔だった。視線が前を向いているだけで、すれ違った人間が無意識に一歩引くほどの威圧があった。
もう一人は——見覚えがあった。
神雷のランエル。
ルシエラの試練の中で戦った聖騎士だった。あれは試練として現れた存在だと思っていた。しかし今、目の前にいた。本物として、この王都の石畳の上に立っていた。
俺は思わず足が止まった。
ランエルの目が俺を捉えた。何かに気づいたように、視線が俺の上で止まった。
銀髪の騎士が冷たい声で言った。
「行くぞ、ランエル」
ランエルは視線を切った。俺への疑念を引きずりながら、それでも先頭の騎士の言葉に従って歩き始めた。二十人の列が、整然と通り過ぎていった。
野次馬が散り始めた。俺はルーシェンに目を向けた。
「あの先頭の二人は」
「おそらく聖十騎士でしょう」
ルーシェンが言った。列の消えた方向を見ながら、その声が低かった。「聖騎士の上位十人。一般の聖騎士とは格が違う。何のために王都に来ているのか」
「ランエルは試練に出てきたな」
「だからあそこにいることに驚いていたんですか」
「試練で出てくるということは——実在する人間をルシエラが使ったということだろう」
「そうなりますね」
ルーシェンは少し考える顔になった。
「それが今、王都にいる……かなりきな臭いですね」
詰所の前が空いた。俺たちは中に入った。
4 エドワードの話
詰所に入ると、見覚えのある騎士が書類を手に立っていた。
以前も何度か顔を合わせた騎士だった。俺たちを見て、疲れた顔に少し表情が出た。
「久しぶりですね。どうされましたか」
「エドワード副団長に会いに来ました。いますか?」
「先程まで聖騎士の方々の応対をしておりましたが、今は執務室に戻っているはずです」
話しながら、俺は騎士の頭を見た。
あった。
この騎士の頭にも、小さな闇の草が生えていた。俺は顔に出さないようにしながら、礼を言って執務室に向かった。
廊下を歩きながら、ファルマが小声で俺に言った。
「さっきの騎士さんも——?」
「ある」
俺は短く答えた。
ファルマが唇を結んだ。
エドワードの執務室のドアをノックした。
「入れ」
重厚な声が返ってきた。扉を開けると、エドワードが机の前に座っていた。書類が積み上がっており、その間に地図が広げられていた。俺たちが入ってきた瞬間、ファルマを見てその顔が変わった。
「ファルマ——!」
エドワードが立ち上がった。大きな体が机をぐるりと回って、ファルマの前まで来た。ファルマが小さく笑顔になった。
「久しぶりです、叔父様」
「無事だったか。あちこちから話は聞いていたが——顔を見るまでは安心できんからな」
エドワードはファルマの頭に手を置いた。大きな掌が、ファルマの頭をすっぽりと覆った。
それからエドワードは俺を見た。
「ヴェルナート子爵の件で来たか」
「手紙を受け取りました。動きが怪しいと」
「座れ」
エドワードは自分の椅子に戻りながら言った。
俺たちは椅子を引いて向き合った。エドワードは地図の上に手を置いて、声を落とした。
「王都の西端に地下墳墓がある。古い墓地区域だ。そこで怪しい影が出入りしているという報告が入って、調査を始めた」
「影というのは人間ですか?」
「人かどうかも断言できん。形はあった、ということだけだ。その影を尾行すると——ヴェルナート子爵の屋敷に消えていく」
「あからさますぎるのでは?」
そんな影のような存在が、尾行に気づかないなどあるのだろうか。
「俺もそう思った」
エドワードは眉間に皺を寄せた。
「罠の可能性は排除できん。ただ——騎士団や調査員が墳墓に行っている間は何も起きない。人がいない時に限って、墳墓から異様な音がするという証言が複数ある」
そこでエドワードは一息ついた。
「……嫌な感じがする。理由は説明できんがな」
「見せるつもりはないが、何かはやっていると」
ルーシェンも顎に手を当てて考え込んでいる。
「宰相も同じ見立てだ。今日、夕方過ぎなら時間が取れるはずだと言っていた。会うか」
「ぜひ」
「夕方に王城前に来い。話を通しておく」
エドワードは地図を畳みながら言った。
「それまで——あまり目立つ動きはするな。聖騎士がいる。表向きの用事は親善だと言っていたが……何かのきっかけで動かれると面倒なことになる」
5 星詠の言葉
騎士団詰所を出た。
王都の通りを歩きながら、俺は無意識に人の頭を見ていた。見るたびに、闇の草が目に入った。普通に歩いている人間の中に、何割かがそれを持っていた。
「星詠のところに行こう」
向かう途中も、見かけた。青果を売る商人。橋の欄干に寄りかかる老人。広場で話し込む若者の一人。
それぞれの頭に、小さな闇の草があった。
星詠の館の前には、屈強な戦士が立っていた。以前も護衛として立っていた男だった。俺たちを見て、その大きな体が丁寧に頭を下げた。
「お待ちしておりました」
その言い方が自然で、俺は一瞬返答に詰まった。
「待っていた?」
「星詠様がそうおっしゃっていました。どうぞ」
館の扉が開かれた。
中は静かだった。
外の喧騒が嘘のように、館の内部には別の空気が満ちていた。廊下を歩くと、奥から薄い光が漏れていた。
部屋に入ると、星詠がいた。
以前と同じく薄い星紋の入ったヴェールを被り、水晶玉の前に座っていた。相変わらず見えているのは口元と顎と、わずかな頬だけだった。声が来た。
「来ましたね」
落ち着いた声だった。柔らかいが、芯があった。
「王都のことで伺いました」
俺は言った。
「星は——嘘をつきません」
星詠は水晶玉に目を向けたまま言った。
「ただ、優しくもありません」
「前にも同じことを言ってましたね。どういう意味ですか」
ルーシェンが聞いた。
「一つの嘘が、百の真実を覆い隠す夜が来ます」
俺は少し考えた。直接的な言葉が来ないのはわかっていたが、それでも何かを言っているはずだった。
「王都に何かが起きる?」
「星の並びが歪んでいます。大きな騒乱が、近い将来に」
「いつ頃ですか」
「星は時を教えてくれません。近い、ということだけです」
星詠の口元が、わずかに動いた。
「闇に似た力ほど、闇ではないものはありません。それは人を救うために作られたものですから」
その言葉が、胸に引っかかった。
闇に似た力。闇ではないもの。あの草のことか?
「地下墳墓を見てくるといいでしょう」
星詠が続けた。
「それ以上のことは教えてもらえますか」
星詠は微笑んだ。それ以降、何を聞いても同じ微笑みだけが返ってきた。
「行こう」
俺は諦めて立ち上がった。
6 地下墳墓
護衛の戦士に地下墳墓の場所と行き方を聞いた。
王都の西端、住宅区画が途切れる手前にそれはあった。石造りの入口が低く構えており、地面に向かって階段が続いていた。入口の前に騎士が二人立っていた。
「何用か」
俺が答えるより先に、ルーシェンが一歩前に出た。
「エドワード副団長より、地下墳墓を調査するよう命を受けてまいりました」
微塵も迷いのない声だった。騎士が眉を動かした。
「証明は」
「これをどうぞ」
ルーシェンが騎士団の証明印を取り出した。
騎士は確認して、頷いた。
「どうぞ」
俺はルーシェンを見た。ルーシェンは前を向いたまま歩き始めた。その顔が、何の事もないという顔をしていた。
「騎士団の証明印、そういえばあったな」
「エドワードから以前預かったものですよ」
ルーシェンは小声で答えた。
「調査と嘘をついたのは?」
「言葉は選びました」
俺は言葉を選んで人を動かすことの話題を打ち切った。
墳墓の中は薄暗かった。
入った瞬間から、それが来た。
——何かが、肌に触れるように。
力だった。闇の力とは違う、しかし類似した何かが、墳墓全体に染み込んでいた。壁から、床から、天井から——じわりと滲み出るような感覚があった。
「何か寒いですね」
ファルマが腕をさすりながら言った。
「気のせいかもしれませんが、急に」
「気のせいではないでしょう」
ルーシェンが言った。エリシアも視線を周囲に走らせていた。
棺が並んでいた。石造りの棺が列を作り、壁際に整然と配置されていた。蓋は閉じられていた。特に大きく異常な点は見当たらなかった。
しかしこの場所全体から、確かに何かが来ていた。
俺は奥に向かって歩いた。より強く感じる方向に。
奥に進んだ。
廊下が続いた。棺の列が続いた。
コツ……コツ……コツ……。
そして——前から足音が聞こえる。
奥からだった。ローブをまとった人影が、こちらに向かって歩いてきた。
コツ……コツ……コツ……。
俺は足を止めた。エリシアが横に並んだ。ファルマが俺の後ろに入った。ルーシェンが杖を構える。
コツ……コツ……コツ……。
人影が近づいてきた。
暗い墳墓の中で、その輪郭がはっきりしてきた。ローブのフードが深くかぶられていて、顔が見えなかった。歩き方は人間のものだった。
人影が俺の正面で止まった。
沈黙があった。
それから、フードが下ろされた。
一瞬、時間が止まったように感じた。
俺は——目を見開いた。
女だった。若い顔だった。金色の髪が、フードの中から零れた。その目が俺を見た。透明に近い、感情を映さない目だった。
「榊様」
名前を呼ばれた瞬間、背筋が粟立った。
呼び方に、温度がなかった。
「お前は……」
声に聞き覚えがあった。
セレナだった。
バエルを滅ぼした天使。俺たちがあの村から逃げ出す原因を作った天使。あれからずっと、どこにいるか知らなかった存在が——王都の地下墳墓に立っていた。
地下墳墓
王都西端に位置する大規模な共同墓地。四・七ヘクタールに及ぶ敷地の地下には、貴族たちの棺が静かに眠っている。
本来この世界では火葬が原則だが、神殿の浄化を受けた者に限り土葬が許される。
墳墓は定期的に清められ、その結果、これまでアンデッドが出現したことは一度もない。
――記録の上では。




