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研究所の夜と王都の影

第八十四話:研究所の夜と王都の影

 

1 サクラモントの桟橋

 河導が速度を落として、桟橋に近づいた。

 サクラモントの港だった。川沿いに船が並び、荷揚げの声が飛び交っていた。朝の光が水面に散って、慌ただしい活気があった。

 桟橋に降りると、受付の男が俺たちに気づいた。

 以前ここで会った男だった。あの時は俺たちから余分に金を取ろうとして、ヴィルヘルムに殴られた男だ。その顔が俺を認識した瞬間、男は姿勢を正して頭を下げた。

「以前は大変失礼いたしました」

 声が変わっていた。以前の油っこい愛想とは全く違う、まともな声だった。顔つきも違った。まるで別人だった。

「気にしていない」

俺は手を振って答えた。

「ヴィルヘルムさんへの用件でしたら——」

男は少し表情を曇らせた。

「今は王都に行っておりまして。用件は教えてもらえていないのですが、少し前に出発されました」

「王都に?」

「はい。詳しいことは私には」

 ヴィルヘルムが王都に向かっている。その事実が頭の隅に引っかかった。商売の用件か、それとも別の何かか。考えてもわからないので、頭の端に置いておくことにした。ただ嫌な予感だけが、わずかに残った。

「ありがとう」

 桟橋を離れた。

 

2 街道の移動

 

 サクラモントの街を抜けて、街道に出た。

「ここから風踏で行こう」

俺は風踏を召喚しながら言った。

「街道の端を使う。邪魔にならないように気をつけながら進もう」

「そうですね。荷馬車などにぶつからないよう気をつけましょう」

 俺とファルマが風踏を一体ずつ召喚した。リスに似た小さな召喚獣が現れ、尻尾を広げた。その下から風が出て、乗り込むと地面から浮き上がった。エリシアが俺の後ろに捕まった。ルーシェンが隣で風の魔法を足元に集めて浮かんだ。

 街道の端を進んだ。荷馬車が街道の中央を行き、旅人が歩いていた。それらの邪魔にならないように速度を合わせながら進んだ。

 しばらく走ったところで、エリシアが口を開いた。

「この国では風踏をあまり見かけませんね」

「そういえばそうだな。旅人の移動は馬車か徒歩がほとんどだ」

「王国と白銀界の位置関係が原因です」

ルーシェンは俺の頭上を飛びながら、前を向いたまま話した。

「風踏の卵は白銀界で採れますが、王国側から繋がる白銀界の入口は数が少なく、採れる量も限られています。帝国側は入口が多く、質のいい卵も手に入りやすい。だから帝国では風踏を使った移動が一般的ですが、王国では馬車の方が現実的なんです」

「なるほど」

「白銀界の産物が、文化そのものを変えてるってことですね」

ファルマが言った。その目が、興味深そうに細くなっていた。

「薬草の産地と同じようなものですね。どこで採れるかで、使える人間が変わります」

「正確な理解です」

ルーシェンがまるで正解を聞いた先生のように頷く。

 街道の脇に緑が増えてきた。木が密になってきた。エルドウィンの深森が近づいていた。

 

3 森の道

 

 森に入った。

 木々が高く、光の届き方が変わった。街道の明るさから、薄暗い緑の中に移行した。

「この森は相変わらず暗いな」

 しばらくして、茶色い塊が動いた。

「土ゴブリンですね。相手するのも面倒です、このまま行きましょう」

ルーシェンが前を指さして言った。

 三体おり、気づいた時には近かった。しかし風踏の速度を上げて通り過ぎれば、追いつける相手ではなかった。

「ギギャァ……」

俺は速度を上げた。ゴブリンが後ろに消えた。

「グルゥ!」

 次は土コボルトだった。

 こちらは速かった。二体が木の幹を蹴って飛びかかってくる軌道が見えた。速度で躱せない距離だった。

「はっ!」

「ゲギャ……!?」

俺は水の剣を一閃した。一体が崩れ落ちた。

「炎矢!」

「グギャァ!」

もう一体をルーシェンが炎矢で対処した。

 通り抜けた。

 森が開け、研究所の建物が見えてきた。

「着きました」

 ファルマが安堵した声で言った。しかしその顔に疲労が滲んでいた。風踏の連続使用で魔力が減って疲れたようだ。

「今回は移動距離が長かったからな……大丈夫か?」

「何とか——でも少し休ませてください」

ファルマは風踏から降りながら、力なく笑った。

 

4 研究所の再訪

 

 ノインが張った結界は無事だった。

 研究所の外観を確認してから、ルーシェンが結界に触れ内側に入った。扉を開けると、薄い埃の匂いがした。しばらく人が入っていなかった分だけ、空気が古くなっていた。

「掃除しましょう」

確かにこのままだと身体に悪そうだ。

 四人で手分けした。棚の埃を払い、床を拭いた。ファルマは多少疲れていたが、それでも手を動かした。エリシアは棚の物の配置を確認しながら丁寧に埃を取った。

「さて、掃除も終わったし、まずはこれか……」

 研究所が整ったところで、俺はマジックバッグから箱を取り出した。

 机の上に置いた。

 玉手箱のような形の、小さな箱だった。ロレンから受け取った時の「地上に着くまで開けないように」という言葉は守った。

「これが湖底で受け取ったものですか」

ルーシェンが箱を見ながら言った。その目が興味で輝いていた。

「ああ」

「浦島太郎の話をしてくれましたね」

ファルマが少しおっかなびっくりな顔で箱を見ていた。

「開けたらお爺さんになる、という」

「なる訳がないとは思うが——」

俺は正直に言った。

「でも、なったらどうするんですか」

「なってから考える」

「榊さんが老人になったら困ります」

エリシアが真顔で言った。

「ありがとう」

 俺は蓋に手をかけた。慎重に、ゆっくりと開けた。

 白い煙が噴き出した。

「うおっ!?」

 盛大に出た。机の上から天井に向かって広がった。俺は咄嗟に後退した。全員が一歩引いた。

 煙が広がった。

 広がって——消えた。

 特に何も起きなかった。老人にもなっていなかった。

「ロレンめ」

俺は思わず言った。

「ただの演出ですかね」

ルーシェンが煙の消えた机の上を見た。

「中身は……」

 箱の中を覗いた。

 人形が入っていた。

 ロレンを縮めたような人形だった。青い髪が再現されており、糸目のような目がついていた。服も青いワンピース風だった。

 そしてあの書かれた手紙があった。

俺は手紙を開いた。

「『旦那さんへ。長い旅お疲れ様でした。この手紙を読んでいるということは、ちゃんと地上まで持って帰ってくれたということで、ウチとしては嬉しい限りです。さて、煙にびっくりしはりましたか。びっくりしましたよね? ちょっとウチ笑ってしまいました。すみません。本当にすみません。でもちょっとだけ笑いました』」

「……」

「笑っていることについて謝ってませんね」

エリシアが呆れたような表情で言った。

 俺は続きを読んだ。

「『さて。その人形はウチと旦那さんをつなぐ通信具です。ウチから連絡したい時は人形が光ります。旦那さんから呼びたい時は人形を持って名前を呼んでください。一応双方向です。ただし使い方として、人形を持って話すことになるので、傍から見たら人形に頬擦りしている危ない人に見えます。それは仕様なので諦めてください』」

「……」

「仕様というのは理由にならないと思います」

ファルマが眉を寄せた。

「『準備ができたらウチから連絡します。では、またいずれ。ロレンより。追伸:お爺さんにはなりませんので安心してください。その話、そういえば昔旦那さんが話してくれましたね。面白い話ですね』」

「昔?というかこれだけの文章をあの僅かな時間で書いたのか……」

 俺は手紙を置いた。

 疑問は残るが人形を手に取った。小さかった。掌に収まるサイズだった。これを人前で使うことを考えると、気が重かった。

ただ——人形の目が、ほんの一瞬だけ動いた気がした。

「持っていくしかないな」

「……頑張ってください」

ファルマが少し目を逸らしながら言った。

 

5 共鳴の研究

 

「今日はここに泊まりましょう」

ルーシェンが言った。その目がすでに研究室の棚を見ていた。

「ファルマさんも疲れていますし——ただ、共鳴の研究を少しだけ」

「少しだけ、か」

「少しだけです」

 その言葉を言いながらルーシェンの手が俺の腕を引いていた。少しだけという量ではない引っ張り方だった。

 ファルマが「夕食の野菜を取ってきます」と言って庭に出た。エリシアが「手伝います」と後に続いた。

 研究室にルーシェンと俺だけが残った。

 ルーシェンは棚から素材を取り出し始めた。鉱石、木片、金属の欠片、乾燥した植物——様々なものが机の上に並んでいった。

「一つずつ共鳴させてみてください。どの程度の意識の集中でどんな変化が起きるか、記録します」

「全部やるのか」

「全部です」

 一つずつ試した。

 鉱石に共鳴させると密度が変わった。木片に共鳴させると一瞬だが木が強化された。金属には刃の時と同じような変化があった。乾燥した植物に共鳴させると、それが水を引き寄せた。

 ルーシェンはその全てを記録しながら、考え続けていた。途中で何かに気づいた顔になり、俺に向き直った。

「試してみたいことがあります」

「何だ」

「私に、共鳴させてみてください」

 俺は少し迷ってから、ルーシェンに闇の力を当てた。白銀界でやったように、相手に闇の力を付与する。

 ルーシェンの体の輪郭が、わずかに変わった。

 ルーシェンが目を閉じた。何かを確かめるような顔だった。しばらくして目を開けた。

「……私やファルマさんが白銀界に入れるかもしれません」

「本当か」

「この状態は、白銀界の濃い魔力を共鳴させた闇の力が弾いていくれる感覚があります。この状態なら——ファルマさんにも同じことができれば、今まで二人だけが入れなかった白銀界に、全員で入れる可能性があります」

 それが何を意味するかは、すぐわかった。

「白銀界は現世と距離感が違う。近道になる」

「そうです」

ルーシェンは机に地図を広げた。指で線を引きながら続けた。

「ただ問題があります。白銀界への入口は国家が管理しています。許可なく入ることはできない。そして同じ入口から出なければならないという制約もある——それをどうするかは」

「宰相と話す必要があるな」

「そう思います。王都に戻ってから相談しましょう」

ルーシェンは地図を畳みながら言った。

「それと——アルセインの塔のように未承認のゲートがある場合は話が別ですが、見つかると厄介なことになります」

「それは最初の白銀界で見つかって体感したよ。どっちにしても今すぐどうこうできる話じゃない」

「そうですね」

 扉が開いてファルマとエリシアが戻ってきた。ファルマが野菜の入った籠を持っていた。

 

6 シチューと夜

 

 ルーシェンがシチューを作った。

 野菜だけのシチューだった。それを見た瞬間、懐かしさが来た。

「これ——」

「以前よく作っていましたね」

ルーシェンが鍋をかき混ぜながら言った。その横顔に、わずかに苦みのある笑みがあった。

「私が作れるものが限られていたので、あの頃はこればかりでした」

「俺が料理するようになった理由だ」

「ファルマ様はご存じでしたか?」

エリシアが聞いた。

「聞いたことがあります」

ファルマが頷いた。

「ルーシェンさんが栄養のことしか考えていなくて、これだけ出てきたと」

「正確には、これが最も効率よく栄養が取れると判断していました」

ルーシェンは平然と言った。

「美味しいかどうかは考えていなかったんですか」

エリシアが聞いた。

「当時は考えていませんでした」

ルーシェンは少し間を置いてから言った。

「今は違いますよ」

 エリシアは鍋を見た。それから、自分の手を少し見た。

「私も——以前の自分なら、栄養が取れればそれでいいと思っていたと思います」

エリシアは静かに言った。

「でも今はそうじゃなくなりました。色々なものを食べて、食べることに楽しさがあることを覚えた。その変化を、自分でも悪くないと思っています」

 俺はエリシアを見た。

 アルセイン塔で出会った頃のエリシアは、感情の起伏が薄く、合理性だけを優先していた。それが少しずつ変わっていた。その変化を、エリシア自身が認識して、肯定していた。

「良いことだと思う」

俺はそう言った。声色に嬉しさが混じっていたと思う。

「これからも色々経験していこう」

 エリシアは俺を見た。その口元が、緩んだ。笑顔と呼べる変化だった。

「はい」

 シチューを食べた。

 野菜の甘みと、シンプルな味だった。最初の頃これしかなかった時は正直辟易していたが、今食べると悪くなかった。あの頃の記憶と今の場所が混ざって、胸の奥に温かいものが溜まった。

 

7 ガイウスの飛竜

 

 翌朝、出発した。

 エルドウィンの深森を抜け、街道に戻った。昨日より風踏の扱いが安定していた。ファルマも一夜休んで魔力が回復していた。

 サクレイアの街を通り過ぎた。特に立ち寄る理由はなかった。魔物にも遭遇しなかった。街道を進む旅人や荷馬車の流れに合わせながら、淡々と距離を縮めた。

 昼前にストークレンの街に着いた。

「ファルマさん、もう少し行けますか」

ルーシェンが聞いた。

「……正直、少しキツイかもしれません」

ファルマは腕を押さえた。魔力の消費で疲れが溜まっていた。

「ガイウスにまた飛竜を頼めないか?」

「そうですね。おそらく大丈夫でしょう」

ルーシェンと話し合い、ガイウスのところに行くことになった。

 町外れに向かった。以前来た道を辿ると、記憶の通りの場所に家があった。

 ノックした。

 扉が開いた。

 ガイウスだった。腕を組んだまま扉を開け、俺たちを見て、一言だけ言った。

「いつもの飛竜か」

「以前のように王都までお願いします」

 金を渡した。ガイウスは確認して、頷いて庭に出た。

 召喚した飛竜は以前と同じく巨大だった。

「乗れ」

大きな体の背中に、突起物が鞍のように並んでいた。全員が乗り込んだ。

 ガイウスは飛竜の首元に立った。座らなかった。腕を組んだまま、そこに立っていた。それが彼の操縦スタイルだった。

 飛竜が翼を広げた。

 地面が遠くなった。

 空に出ると、風が来た。飛竜の速度が上がった。眼下に街道が続いていた。森が見えた。川が光っていた。

 しばらくして、王都が見えてきた。

 

8 王都の気配

 

 王都だった。

 城壁が見えた。建物の密集が見えた。大通りが格子状に走っているのが上から確認できた。以前ここに来た時と、形は変わっていなかった。

 しかし——何かが違った。

 俺は飛竜の背から王都を見ながら、その感覚を探った。

 暗さ、とでも言うべきものがあった。建物が暗いわけではなかった。天気が悪いわけでもなかった。日差しは普通に当たっていた。

 しかし街全体が、以前より重い何かを帯びているように見えた。

 俺の感覚がそう言っていた。闇の力がそう感じていた。

「どうしました?」

ルーシェンが後ろで聞いてきた。俺の顔を見ていた。

「なんでもない」

俺は答えた。

 答えながら、王都から目を離せなかった。

 飛竜が高度を下げながら、王都に近づいていった。


ガイウス

ストークレンに住まう、隠居した老召喚士。齢七十五。

だがその体は未だ衰えず、背は曲がらず、鋼のような筋肉を保っている。

かつては強者のみを求めて戦い続けた格闘家であり、その名を知る者も少なくない。

飛竜との契約もまた、戦場を渡るためのものだった。

今は送迎にしか使われないその飛竜は、かつて幾度も死地を共に越えた古き戦友である。

本人はもう戦う気はないと言うが、その拳は今も鈍っていない。



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