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光の玉と帰路

1 空から見た傷跡

 

 雲の間を抜けると、世界が戻ってきた。

 青と白の境界線が遠のいて、高度が下がるにつれて地上の色が増えていった。緑と茶色と、街の石造りの灰色が。

 見覚えのある街並みが見えた。

「ティア・カロスだ」

 俺はそう言いながら、眼下に広がる街を見た。砂漠に入る前、最後に立ち寄った街だ。ルーシェンの大切な人であるマリアが眠る街。カルロスやベロニカがいて、人々は暖かかった。あの時から少し時間が経った今でも、街は変わらずそこにあった。

「それほど時間が経っていないはずなのに懐かしいですね」

ルーシェンが下を見た。その目が、わずかに細くなった。

「随分遠くまで来たということが、こうして見るとわかります」

 風の流れが良かった。この調子なら、夕方には国境を超えてアルセインの塔に辿り着けそうだった。

 飛行機はティア・カロスを後にして、さらに南へ進んだ。

 しばらくして、国境の街が見えてきた。

 エル・パソリアだった。

 最初は何かがおかしいと思った。街の輪郭が、記憶と違った。見慣れた建物の並びが、途中で途切れていた。近づくにつれてそれが何かわかった。

 建物が崩れていた。

 ひとつではなかった。街の様々な所が、まるで何かに押しつぶされたように倒壊していた。遠目でも、その範囲の広さがわかった。

「地震……」

 ファルマの声が、小さく聞こえた。

 振り返ると、ファルマが窓の外を見ていた。その目が、見ているものを受け入れきれていない顔をしていた。

「やはりエル・パソリアで、地震があったんですね……」

ファルマは声を抑えていたが、その言葉の端に何かが滲んでいた。

「あの街には——」

 ファルマはそれ以上言わなかった。しかし言わなかった部分に、何が詰まっているかは想像できた。国境の街には、市場に立つ商人も、宿で働く人も、普通の暮らしをしている人間がいた。それがどれほど巻き込まれたか。予言があったから、人的な被害は少ないと思いたいが……。

 俺は前を見た。飛行機の速度を変えることも、降りることもできなかった。ただ通り過ぎるしかなかった。

 その無力さが、ゆっくりと胸に積もった。

国境の渓谷を越え、ブレスタンの街を越えると、白嶺山の稜線の向こうに夕焼けが広がっていた。

 その夕焼けの中に、塔があった。

 アルセインの塔だった。

 赤く染まった空を背景に、一本の塔が真っ直ぐに立っていた。宙に浮いたその姿が、夕陽の色を受けて橙と黒の境界線を描いていた。

 俺はしばらくそれを見ていた。

 出発した時と同じ塔が、そこにあった。しかしそこに戻ってくる俺は、出発した時とは少し違う何かを持っていた。うまく言葉にはできないが、確かに違っていた。

「高さがまだあるので旋回します」

 エリシアが操縦桿を使い、高度を下げながら塔の周囲を旋回した。頂上の着地点を確認して、角度を合わせた。

 夕焼けの中、飛行機は静かに塔の頂上に降りた。

 

2 アルセインの部屋

 

 飛行機を片付けて、階段を降りた。

 塔の内部は変わっていなかった。同じ石壁、同じ灯りの配置、同じにおい。それが妙に落ち着いた。

 アルセインの部屋のドアを叩いた。

「入れ」

 中に入ると、アルセインは作業机に向かっていた。何かの図面に目を落としていたが、俺たちが入ると顔を上げた。

「戻ったか」

「戻りました」

「ご苦労だった。ルシエラには問題なく会えたようだな」

アルセインは立ち上がり、棚の方へ歩いた。その背中を見ながら、俺は出発前から帰還までの出来事を簡単に伝えた。アルセインは聞きながら棚から何かを取り出し、机の上に置いた。

「武器はできている。ただ今日は休め。渡すのは明日にする」

「わかりました」

 ルーシェンとファルマとエリシアが先に部屋を出た。俺も続こうとした。

「榊」

 アルセインに呼び止められた。振り返ると、アルセインは机の前に戻っていた。腕を組んで、俺を見ていた。

「闇の力の本質は、わかったか」

 俺は少し間を置いてから答えた。

「共鳴です。他の力や物と混ざり合うことで、単体では出せない力を引き出す。それが俺の闇の力の本質だと思っています」

「そうだな」

アルセインは頷いた。しかしそれだけだった。

「ただ、共鳴の理解はまだ入り口に立ったところだ。これからどう使うかを、自分で学んでいかなくてはならない」

「はい」

「以上だ」

 俺は一歩下がってから、思い出したように口を開いた。

「武器を作っていただいたのはありがたいのですが——今は水の剣もあります。二本を同時に扱う想定でよろしいですか」

 アルセインの目が、わずかに動いた。何かを楽しんでいるような、あるいは待っていたような目だった。

「私が作った武器は、水の剣と同時に持つものではない。共鳴の力が必要なものだ。どういう意味かは——明日、見せながら話そう」

 それ以上は教えてもらえなかった。

 部屋を出て、階段を降り始めた。

 降りながら、俺は気づいた。

 そういえば、塔の中で夜を明かしたことがない。今夜の自分の部屋がどこかを、俺は知らなかった。

 一度アルセインの部屋に戻って聞こうかと思った時、階段の途中でエリシアが待っていた。

「こちらです」

 何も言っていないのに、エリシアは俺を正しい方向に案内し始めた。

「わかったのか」

「榊様が少し迷っているように見えたので」

エリシアは前を向いたまま言った。

「各自の部屋はお父様から事前に聞いていました」

「助かった」

「大したことではありません」

 エリシアに案内された部屋に入った。簡素な石の部屋だったが、寝台があって毛布があった。それで十分だった。

 横になった瞬間、眠かった。

最果ての塔から雲の上まで——今日一日の全てが、体の奥に溜まっていた疲れとして一度に来た。考える間もなく、意識が落ちた。

 

3 伝達鷹の手紙

 

 翌朝、アルセインの部屋に集まると、アルセインが言った。

「伝達鷹が何羽か来ているな。頂上で受け取るといい」

 全員で屋上に上がると、手すりに四羽の鷹が止まっていた。それぞれの足に、巻かれた手紙が結ばれていた。

 受け取って、差出人を確認した。

 エドワード。宰相。星詠。そしてもう一通——ベロニカからだった。

「ベロニカさんから?」

ファルマが首を傾けた。

「お前宛だ」

俺は手紙を渡した。

 ファルマは丁寧に封を開けて読み始めた。読み進めるにつれて、その表情が少しずつ緩んでいった。

「……ティア・カロスは比較的平和に過ごしているとのことです。ベロニカさんが元気かどうか、と聞いてくれていて——」

ファルマは手紙を胸に抱えた。

「良かった」

 その言葉の中に、エル・パソリアの光景が重なって聞こえた。ファルマも同じことを思っていたはずだった。

 俺はエドワードの手紙を開いた。

 王都の街の守りを担う第二騎士団の副団長として書かれた手紙は、簡潔だったが内容が重かった。ヴェルナート子爵の動きが不審だという報告が、最近立て続けに入ってきているという。具体的な内容は書けないが、警戒が必要なレベルだという言葉が最後にあった。

 宰相からの手紙を開いた。

 エドワードから報告を受けて独自に調べたところ、王都の地下墳墓で何らかの動きが見られることが確認されたとあった。誰が動いているかまでは特定できていないが、ヴェルナート子爵の名が複数の証言から浮かんでいるとのことだった。

 星詠の手紙は、毎度のことながら詩的だった。

 直接的な言葉は一つもなかった。しかし読み解けば——冬が来る前に種を蒔く者がいる。土の中で芽吹く前に、誰かが気づかなければ、という内容だった。

「ヴェルナート子爵が動き出す、ということですね」

ルーシェンが手紙を読み終えた後、静かに言った。指先で手紙の端を折りながら、その目は既に先を考えていた。

「王都に戻るべきですね」

「そう思う」

ヴェルナート子爵との戦いの時が近づいているのを感じた。

地下で、何かが動き出している。そんな予感がした。

 

4 光の玉

 

 頂上から降りてアルセインの部屋に集まると、アルセインが机の上から小さなものを取り上げた。

 光の玉だった。

 直径五センチほどの球体が、アルセインの掌の上にあった。光を放っているわけではなかった。しかし光を内側に閉じ込めているような、そういう色をしていた。白とも金とも言い切れない、透明に近い輝きがそこにあった。

「これが武器?」

「そうだ」

シルフィから受け取った、アウレリアの欠片の状態からあまり変わっていないように見えるが……。

アルセインはそれを俺に向けて差し出した。

「水の剣を出せ。そして共鳴させてみろ」

 俺は水の剣を鞘から抜き、右手に持つ。

 光の玉を左手で受け取った。掌の中で転がすと、わずかに温かかった。生きているような温かさではなく、長い時間をかけて蓄積されてきたものの温かさに近かった。

 剣に向けて、意識を向けた。

 光の玉と剣——この二つを共鳴させる。いつものように、力を流し込むのではなく、触れさせて、混ざらせる。

 俺は光の玉を剣の刀身に当てた。

 ゆっくりと、意識を集中した。闇の力を媒介として、光の玉の何かと剣の何かを繋げようとした。

 最初は何も起きなかった。

 しかし次の瞬間——光の玉が動いた。

 吸い込まれていった。

 玉が小さくなるのではなく、剣の中に溶けていくように消えていった。音がなかった。光がなかった。ただ静かに、光の玉が剣の刀身の中に入っていった。

しかし、いつまでたっても何も起こらない。

ファルマは首を傾げた。

「あれ?何も起こらないのでしょうか」

ファルマが小声で言いかけた。

その瞬間——

剣が脈打った。

 心臓の鼓動に似た何かが、剣全体から発せられた。一度。また一度。その間隔が、俺自身の鼓動に似ていた。

 そして威圧があった。

「これは……!」

 剣から放たれるそれは、敵意でも怒りでもなかった。ただそこに在るという、圧倒的な存在の重さのようなものだった。俺の手の中にある剣が、俺よりも遥かに古い何かを宿した瞬間の感覚だった。

 脈動は数度繰り返されて、やがて静まった。威圧も消えた。剣は元の水の剣に戻った。しかし何かが変わっていた。俺にはそれがわかった。

「アウレリアの力を、剣に込められるよう加工した」

アルセインが静かに言った。机の端に手をついたまま、剣を見ていた。「お前が共鳴を上手く使えるなら、その力を一時的に剣に乗せることができる。その力は——」

「どれほどのものですか」

ルーシェンが聞いた。声が、いつもより低かった。

「恐るべき破壊力を持つ。ただし闇の力を大きく発動させれば周囲にも勘づかれる。最小限の発動でも十分な力になるはずだ。逆に言えば——最小限に留めることを意識しろ」

「消耗は」

「激しい。使い所を間違えれば、その後動けなくなる」

アルセインは俺を見た。

「考えて使え」

 俺は剣を数度振ってみた。重さは変わっていなかった。動きも変わっていなかった。しかし剣を振るたびに、その奥に何かがある感覚があった。眠っているのではなく、待っているような。

 アウレリアの意志のようなものが、そこにあった。

「上手く使います」

俺は言った。

「約束します」

それはアルセインにだけでなく、剣の中にあるアウレリアにも向けた誓いだった。

 

5 帰路の計画

 

「王都へ向かう道筋だが」

アルセインは地図を広げた。机の上の紙を指でなぞりながら続けた。

「塔の頂上からまた飛行機で飛べる。フレズナールの街の手前——見張りに見つからない距離までは空路で行けるだろう」

「そこからは?」

「来た道を戻れ。ただ——」

アルセインの指が地図の上の一点で止まった。

「リノアのタホ湖に寄るといい」

「タホ湖の遺跡ですか」

ルーシェンが地図を覗き込んだ。

「セイレーンの指輪がある。それを使えばリノアから離れたところでタホ湖に入れる。遺跡に何があるかわかるだろう」

アルセインはそれだけ言って、それ以上の説明をしなかった。何があるかは、行けばわかるということだろうと俺は理解した。

「タホ湖に寄り、後は来た道を戻る」

俺は確認した。

「その行程で行きます」

「気をつけていくといい」

 アルセインは地図を片付けながら言った。それだけだった。

 俺たちは荷物をまとめて塔の頂上に出た。

 夕べの疲れは取れていた。体が軽かった。

 飛行機を組み立てながら、俺は昨日から今日にかけての全てを頭の中で整理した。ルシエラから受け取ったもの。雲の巨人からもらった約束。アルセインから渡された光の玉と、アウレリアの力。そしてヴェルナート子爵が動き出しているという報せ。

 全部が繋がっている気がした。まだどう繋がるかは見えていなかったが、それぞれがバラバラに動いているものではないと感じていた。

 風の方向を確認した。

 飛行機に乗り込んで、前を向いた。

 塔の縁から、飛び立った。

 アルセインの塔が遠ざかっていった。俺はそれを一度だけ後ろに確認して、前を向いた。

 王都へ向かって、飛行機は空に向かっていった。

 

 



アウレリアの力が宿った水の剣


水の剣にアウレリアの力が宿り、榊の「共鳴」によってその力を引き出すことができる。その威力は絶大だが消耗も激しく、使い所をよく考える必要がある。

今の榊の力量では、消耗していない状態でも一度引き出すのが精一杯。いわば一日に一度だけ解き放てる切り札のような力である。榊の力量が上がれば、引き出せる力もさらに強くなっていくだろう。


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