塔の試練
1.塔1階
扉をくぐった先は、広間だった。
「おいで光源虫」
ファルマが光源虫を召喚して照らすと、天井近くまで蜘蛛の巣が幾重にも張り巡らされており、壁際には長い年月の堆積した埃が白く積もっている。
「誰もいませんね……」
「むしろ、長い間放置されていたみたいな有様だな」
人の気配は欠片もなかった。床を踏む音が反響するほど静かで、それが却って不気味だった。
「奥に階段があるな」
奥の壁に沿って、螺旋階段が上へ向かって伸びている。
光源虫の明かりで追ってみると、かなり上の方で別の階と繋がっているようだった。
「登るしかないな」
「構造がかなり古いですね。慎重に行きませんと……」
エリシアが静かに前を歩きながら言った。俺たちは蜘蛛の巣を払いながら階段に近づき、一段ずつ剣の鞘で叩いて強度を確かめながら登り始めた。
案の定、階段はひどい状態だった。
踏み込むたびに細かな砂が落ち、途中では踏み板の半分が完全に崩落していて、残った半分だけを壁に張り付くようにして通り抜けなければならない箇所もあった。
ファルマが一瞬足を止めたのを見て手を差し伸べると、
「あ、ありがとうございます」
彼女は小さく頷いて受け取った。
そして、ようやく登り切った。
2.塔2階
上の階は明るかった。
高い位置に窓がいくつも穿たれており、外の光が床に斜めに差し込んでいる。
一階の閉塞感とは打って変わって、空間に広がりがあった。
その空間だけ、妙に空気が張り詰めていた。
そしてその中心に、三つの人影があった。
「……!?」
俺は一瞬で状況を理解し、足を止めた。
アルヴァス。あの不敵な目と、腰に剣の柄を覗かせた立ち姿。その横にヴァルクが弓を下げたまま静かに立っており、少し後ろにミセルが両手を胸の前で合わせるようにして縮こまっている。
「待ってたぜ」
アルヴァスが口の端を持ち上げた。
「……何でここにいる」
俺は警戒を解かないまま問いかけた。
「お前たちがこの塔に来る理由はないはずだ」
「理由?決まってる。お前と決着をつけるためだ」
その言葉にこれっぽっちも嘘がない目をしていた。
楽しんでいる。本当に、心から楽しみにしていたというような顔で、アルヴァスは俺を見ていた。
後ろからルーシェンが静かに言った。
「一階の様子から見ても、外から入ってきた痕跡はありませんでした。おそらく……ルシエラの試練です」
なるほど、とは思った。しかし納得したからといって状況が変わるわけでもない。
アルヴァスが剣を引き抜く音がした。
ヴァルクが無言で弓を構える。
ミセルだけが少し縮こまったままで、しかしその目だけは静かだった。
「さあ——楽しもうぜ!」
アルヴァスがそう言った瞬間、ミセルの手から何かが投げられた。
床に転がったそれが何かを認識するより早く、俺たちの真ん中で衝撃が炸裂した。
「くっ、震爆甲蟲か!」
爆発というよりは衝撃波に近い、空気を圧縮して弾き飛ばすような力が四方に広がる。
俺は咄嗟に飛び退き、ルーシェンたちもそれぞれ別方向に散った。
その瞬間、アルヴァスが俺に向かって来ていた。
「速い!」
着地する前に間合いに入られていた。
「よそ見とは——余裕だな」
横に散ったルーシェンたちに意識を向けた一瞬を、正確に狙ってきた。剣が弧を描いて迫り、俺は後退しながら水の剣で受ける。
金属音と水音が混じった不思議な音が響いた。
押し返して距離を取り、俺は水の剣に意識を集中させた。
水を刀身の先から押し出して延長する——刀身が通常の倍近く伸びる。
アルヴァスの目がわずかに見開かれた。
「へえ」
だがその驚きは一瞬だった。
次の攻撃では既にその間合いの変化を読んでいた。
伸ばした刀身の外側から踏み込んでくる。的確だった。剣の間合いと水の伸びる速さを瞬時に計算して、俺が伸ばせる範囲の外側を狙ってくる。
適応が速すぎる。
3.それぞれの攻防
視界の端で、ヴァルクが動いているのが見えた。
「……」
エリシアとの間合いを一定に保ちながら、絶えず移動している。
エリシアが斬りかかろうとするたびに、すでに違う位置から矢を射ていた。
その矢の威力が尋常ではなかった。放たれた矢が斥力フィールドの縁に触れた瞬間、斥力が揺れた。
「これは……!?」
直撃すれば押し破られかねない威力だ。エリシアは迎撃を諦めて回避に専念せざるを得ない。
ルーシェンの方では、ミセルが次々と何かを地面に解き放っていた。
「ほ、ほらこれでも喰らえ!」
薄い、虫のような形をした召喚獣が十匹ほど地面を高速で駆け回り、その背中から火柱を吹き上げている――火走だ。
「水刃!」
ルーシェンは水刃の魔法で迎え撃とうとしていたが、火走は予測しにくい軌道で動いており、なかなか直撃させられない。
「厄介ですね……!」
ルーシェンの動きを封じることが目的なのだとすぐわかった。
「なら本体を叩きます!炎矢!」
そのルーシェンが隙を見て炎矢を放った瞬間、
「む、無駄だよ!」
ミセルが素早く腕に何かを召喚した。薄く光る、カメムシのような形の虫——。
炎矢がそれに触れた瞬間、そのまま反射された。
「っ——」
ルーシェンが身を捩って自分の放った魔法を避けた。危ないところだった。反射虫。受けた魔法をそのまま返す。魔法での攻撃が封じられた。
ファルマは風踏で素早く位置を変えながら毒を仕込もうとしていたが、ルーシェンが鋭く声をかけた。
「ファルマさん、毒は無駄です。ここでは試練の相手です、状態異常が効くかどうか」
「……! じゃあ、行って——疾嘴群鳥!」
ファルマが動きを止め、代わりに疾嘴群鳥を召喚してミセルに向けた。しかし折悪しく、ヴァルクの矢が横から飛んできた。疾嘴群鳥が直撃を避けたものの軌道が逸れ、ミセルには届かない。
こちらが押されていた。全員が、それぞれ対応に追われている。
4.アルヴァスとの決着
「強くなったな!」
アルヴァスとの打ち合いが続いた。
フェイントが巧みだった。踏み込みながら右に振るように見せて、腕の返しだけで左に切り替える。
体重移動の癖が読みにくい。俺が水の剣の間合いを活かそうとするたびに、その一歩外側に回り込んでくる。
じりじりと追い詰められながら、俺は考えていた。
間合いを活かせないなら、逆に消すしかない。
俺は左手に意識を向けた。闇の力を集中させていく。左手の表面に薄い闇の膜が張り、皮膚が黒く染まるような感覚が走った。これで一瞬なら、刃を受けられる。
アルヴァスが踏み込んできた。今度は真正面から……速い。俺はバックラーでなく左手を前に出してその剣を受けた。
「ぐっ……!」
「何っ……!?」
激痛が走った。闇の力が衝撃を殺しても、刃は手に食い込んだ。骨まではいかない、しかし皮膚と肉を三分の一ほど断ち切られる感触があった。
しかしアルヴァスの剣は止まった。
その瞬間、俺はペンダント——ダールから受け取ったあのペンダント——に意識を集中する。水の剣を極限まで小さくして、右の掌中に収める。剣が消えたように見える。
「……!?」
アルヴァスの目が、一瞬だけ迷った。剣が消えた。
何をするつもりだ——その思考が顔に出た、その刹那。
俺は右手をただ前に出した。差し出すだけのような、力の入っていない動作。
そして水の剣を一気に解放した。
収縮していた刀身が解放された瞬間、爆ぜるように伸び、アルヴァスの胸を貫いた。
「ガハッ!!」
アルヴァスは動きを止めた。自分の胸に突き立った刃を見下ろし、それから俺を見た。その顔に、怒りも恨みもなかった。むしろ——満足しているように見えた。
「……やるじゃねえか」
5.それぞれの決着
ほぼ同時に、別の場所で動きがあった。
いつの間にか位置が入れ替わっていたルーシェンたちと、エリシア。
上手く動くことで相手を入れ替えることに成功する。
エリシアがミセルに向かって踏み込んだ。
「く、くそっ」
ミセルが咄嗟に何かを召喚した。
巨大な影が一瞬で現れ、エリシアの上に影を落とした。
「……飛竜!」
押しつぶされる——そう思った瞬間、エリシアは地面に密着するように身を低くして、飛竜の巨体の下をすり抜けた。
後ろで轟音がするのを置き去りに、地を滑るような動きで間合いに入り、反射虫ごとミセルを切り裂く。
「ぎゃあ!」
ミセルが小さく声を上げて膝をついた。
その直前、ヴァルクとの戦線でも動きがあった。
「ルーシェンさん!」
ファルマが素早くルーシェンの側に回り込む。意図を正確に捉えルーシェンが連携して位置を入れ替えた。
「ム……!」
ヴァルクが追いかけて弓を構えた瞬間、ファルマが真正面で両手を合わせた。
「鳴花!」
パアン!
「……!!」
小さな、乾いた音がヴァルクの目の前で弾けた。鳴花。爆竹のように光と音が弾ける小さな魔法。それだけでダメージになるものではないが、ヴァルクの目が一瞬だけ閉じた。
「風刀!」
そこにルーシェンの風刀が走った。
「ぐあっ……!」
ヴァルクの体が一歩後退して、弓を取り落とした。
6.決着、そして
三人が力を失っていった。
アルヴァスは剣を支えにするようにして俺の前に立ったまま、笑っていた。
「俺たちの負けだ」
静かな声だった。
「お前ら四人、本物だな。その力、大事にしろよ」
それだけ言って、アルヴァスの輪郭が揺れ始めた。
霞のように、その体が薄れていく。ヴァルクとミセルも同じように、静かに、跡形もなく消えていった。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、広間は静まり返った。
「ぐ……」
俺は膝に手をついて息をついた。左腕が痛んだ。傷口は浅くないが、今すぐ動けないほどでもない。
「榊さん!」
ファルマがすぐに駆け寄って、回復薬を施してくれた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
俺の心配をしながら、ファルマの声も疲弊している。
「話には聞いてましたが、あれ程の手練ですか……」
エリシアも今後のことに危機感を持ったようだ。いずれまた本物に相対することもあるはずだ。せめて、対策を練る材料にはなったと考えよう。
ルーシェンが乱れた息を整えながら、上方の天井を見上げた。
「長居するのも考えものですね。試練が続くようなら、次が来る前に上に行くべきでしょうね」
「そうだな……あの性格の悪いルシエラのことだ。長々とは休ませてくれないだろうな」
「あはは……」
ファルマも苦笑いをしている。
俺は回復し始めた左手を抑えながら立ち上がり、広間の奥に続く上への階段を見た。
「少しだけ休んで、行こう」
四人でしばらく壁に背を預けて息を整えた後、俺たちは再び上へ向かって階段を登り始めた。
幻影による傷
本来、質量を持たない幻影は物理的な干渉を起こさない。刃で斬られても、炎に焼かれても、実際の損傷は生じないはずである。
しかし精神魔法によって五感に干渉されると、肉体は「斬られた」「焼かれた」と認識し、その結果を実際の傷として再現してしまう。
打ち合えないはずの武器と打ち合い、熱くない炎で火傷を負い、存在しない水で溺れる。
すべては、己の身体が欺かれた結果である。




