目覚めと、静かな朝
第九十五話:目覚めと、静かな朝
1 天界の会議
光が満ちていた。
場所と呼べる場所ではなかった。広さも形もなく、ただ光だけがあった。その中に、アウレオ・レグルス=ルクスはいた。
フォロードゥが消えた。その事実を、光の秩序神は感知した。
計画では、セレナが聖騎士と力を合わせて倒すはずだった。天使と人間の連携が悪魔を退け、人々がその光景を見て神への信仰を深める——その筋書きが、崩れた。
第三者が介入した。
何が起きたのかを正確に把握できていなかった。それが、アウレオ・レグルス=ルクスにとって計算外だった。
「残念でしたね」
声が来た。
運命神モルド・フェイト=ニクスが、いつの間にかそこにいた。優しげな声だった。しかしその声の奥に、何かが混じっていた。
「何しに来た」
「ただの観測です」
モルド・フェイト=ニクスは言った。口元に笑みがあった。
「計画通りに行かなかった、ということですね。それでもフォロードゥは倒された。結果は変わらない。ただ——」
少し間を置いた。
「その過程を変えてしまった存在がいる。それがとても興味深い」
「イレギュラーが発生した」
アウレオ・レグルス=ルクスは抑揚のない声だった。
「自分たちの知らない何かが動いている。それは懸念すべきことだ」
「懸念ですか……」
モルド・フェイト=ニクスは繰り返した。どこか楽しそうに。
「おう、久しぶりだな」
別の声が来た。
武神ヴァル=グリム・アグニスだった。大きな気配と一緒に現れた。
「アウレリアの力が観測されたな」
ヴァル=グリム・アグニスは言った。その声に、隠しきれない喜びがあった。
「本当に久しぶりだ。あの力が、まだ残っていたか」
「多くの命が失われました」
今度は穏やかな声が横あいからする。
生命神ヴィタ=エテルナ・ネメシスが来ていた。その声には、悲しみと達観が混じっていた。
「あれほどの数の死が、一夜にして——私は悲しい」
誰も言葉を継がなかった。
最後に、自然神エル=マーテル・ガイアスが現れた。何も言わなかった。ただ微笑んでいた。しかしその微笑みの奥に、何かが静かに燃えていた。
「本題を話す」
アウレオ・レグルス=ルクスが神々に向き直る。
「邪神が復活しようとしている」
沈黙が落ちた。
「フッ、また戦えるな」
ヴァル=グリム・アグニスが過去を思い出す。その声は低かった。喜んでいるのか、覚悟しているのか、その両方が混じっていた。
「また命が失われますね……」
ヴィタ=エテルナ・ネメシスが呟いた。その目が遠くを見ていた。
「それもまた運命の一形態」
モルド・フェイト=ニクスが言った。優しい声だった。しかしどこかに楽しんでいる声音があった。
「邪神が復活することも、また——」
「黙れ」
アウレオ・レグルス=ルクスがモルドの声を遮る。
エル=マーテル・ガイアスは微笑んだまま、何も言わなかった。
「今度こそ邪神を滅ぼす」
アウレオ・レグルス=ルクスの光が増す。
「そのために人々の信仰を集める必要がある。悪魔の脅威があるなら、光の守りを求める声は増える」
「同意しましょう」
ヴィタ=エテルナ・ネメシスが微笑む。
「戦いがあるなら、俺は行く」
ヴァル=グリム・アグニスが腕を鳴らす。
「面白い時代になりますね」
モルド・フェイト=ニクスが指を顎にあてる。
神々はそれぞれの思いを持ったまま、誓いの言葉を交わした。
その中でアウレオ・レグルス=ルクスは内側で考えていた。
セレナに話を聞かなければならない。何が起きたのかを。そしてあのイレギュラーが何者であるのかを。
2 知らない天井
目が覚めた時、知らない天井があった。
石造りだった。しかし石の造りが丁寧で、天井の縁に細かい彫刻が入っていた。ベッドが柔らかかった。普段使っている宿のそれとは全く違う。掛け布団の素材が上等だった。
王城だろうと見当をつけた。
体を動かした。重かった。しかし動けないほどではなかった。腕に力はあった。足も同じだった。ただどこかから来る疲労感が、体の底に溜まっていた。
ベッドの端に人がいた。
ファルマだった。
椅子に座ったまま、ベッドに突っ伏して眠っていた。榊の手の近くに、自分の手が置かれていた。いつから看病していたのか、その顔に疲れがあった。
起こすべきかと思った。しかし眠っているのなら寝かせておいた方がいいとも思った。
迷っている間に、ファルマの目が開いた。
ゆっくりと、目が覚めた。最初は虚ろで、それが俺を認識した瞬間に変わった。
「榊さん!」
ファルマが顔を上げた。椅子から立ち上がりながら、俺の顔を確認した。
「気づいていましたか。具合はどうですか。頭は痛みますか。手足は動きますか」
「落ち着いてくれ」
俺は苦笑いした。
「少し疲れているだけだ。大丈夫だ」
ファルマが少しほっとした顔をした。しかしすぐに確認モードに戻った。俺の手首を取って、脈を確かめた。
「ここはどこだ」
「王城の客室です」
脈をとりながらファルマが答えた。
「榊さん、まる二日寝ていました」
「……二日」
「二日です」
俺は天井を見た。二日。それほどアウレリアの力を使うことが体に負担をかけるのか。使い所を間違えれば動けなくなると、アルセインが言っていた意味を改めて理解した。簡単に使えるものではなかった。
3 事後の話
その話をしているうちに、扉が開いた。
ルーシェンとエリシアが入ってきた。
「目が覚めましたか」
俺が起きておるのを見て、エリシアが素早く寄ってきた。
「顔色は悪くありませんね。手足の感覚は」
「ある。大丈夫だ」
ファルマと似たやり取りに苦笑する。
「ただの疲労でしょう」
ルーシェンは椅子を引いて座りながら、淡々とした声だった。
「心配のし過ぎは榊さんも疲れます」
「でも二日も——」
エリシアが言いかけた。
「起きました。問題ありません」
ルーシェンは俺を見た。
「倒れた後のことを聞きたいでしょうから、話します」
「頼む」
俺は頷いた。
「フォロードゥを倒した後、頭に花が咲いていた人々は全員、正気に戻りました。草も花も消えたようです。悪魔が消えたことで、仕掛けが解けたようです」
「死体ゴーレムは」
「そちらは動き続けました」
ルーシェンは続けた。
「悪魔とは別に命令が刻まれていましたから、悪魔が消えても動き続けた。討伐に時間がかかりました」
「王都の被害は」
ルーシェンがわずかに間を置いた。
「死者と怪我人が多いですね。まだ全体像が掴めていません。物資の備蓄を事前に進めていたので、不足の問題は出ていません。しかし死が多すぎた。死体ゴーレムの残骸の処理だけでも、人手がいくらあっても足りない状況です」
「汚食粘獣も使っているとヴィルヘルムさんから聞きました」
ファルマが言葉を引き継ぐ。
「本来は死体への使用は禁止されているのですが、緊急措置として」
「神殿は?聖騎士達はどうなった?」
「全ての神の神殿が協力しています」
エリシアが言った。
「回復魔法、炊き出し、避難場所の提供——それぞれの神殿が動いています。普段はあまりお互いに干渉しない神殿同士が、今は一緒に動いているのが少し不思議な光景です」
「そして聖騎士達は死体ゴーレムを倒すのを積極的にしていたと聞きます」
王都が立ち直るには時間がかかる。その言葉の重さを、俺は受け取った。
「エドワード叔父さんも今大変みたいです……あの、騎士団長の人は亡くなったみたいなので、今団長代理をしているそうで……」
ファルマがエドワードのことを教えてくれる。
「フォロードゥを倒したのは、公式には私ということにしています」
ルーシェンが続けた。
「榊さんの闇の力が表に出れば、また追われる可能性がある。前衛として動き、私の魔法を補助した、という形にしました」
「ありがとう」
あのアウレリアの力を説明しろと言われても難しいしな。後で見られた聖騎士達には聞かれるかもしれないが……。
「それで構わない」
「構わないというか——実際の貢献の差は大きいですが」
ルーシェンは少し口元を動かした。笑ったのか苦笑したのか、判断が難しかった。
「それと、褒賞が出るそうです。爵位も選択肢に入るとのことで」
「爵位はいらない」
俺は即座に言った。
「なぜですか」
「貴族になったら動きにくくなる。立場やらしがらみなど、色々縛られるだろう?」
ルーシェンは少し考えてから言った。
「正しい判断だと思います。ただ——」
その目が少し輝いた。
「アウレリアの力についての研究は、また協力していただけますよね」
「……研究の話はもう少し後にしてくれ」
「わかりました。でも覚えていてください」
4 クレイドの来訪
そのうちに扉がノックされた。
「入っていいですか」
砕けた声だった。
「どうぞ」
入ってきたのは、護衛の騎士を一人連れた若い男だった。整った顔をしていたが、構えたところがなかった。笑みが自然だった。
「元気そうで良かったです」
第四王子のクレイドが言った。部屋を見渡してから、俺のベッドの傍に来た。
「二日寝てたって聞いてたので、もっと顔色悪いかと思ってましたよ」
王子なのに随分砕けた人だな。
「ご心配をおかけしました」
「いや、あれだけのことをしたんだから当然じゃないですか」
クレイドは椅子を引いて座った。護衛の騎士は扉の傍に立った。
「マルク兄上は今、宰相さんと一緒に王都の立て直しに全力を使ってます。リチャード兄上も動いてます。ロベール兄上は影の方で——まあ、みんなでバタバタやってますよ」
「クレイド王子はよろしいのですか」
他の王子やらの手伝いはしなくてもいいのだろうか。
「僕は正直、あんまり役に立たないんですよね」
クレイドは頭を掻きながら笑った。
「だからこういうメッセンジャーみたいなことをしています。まあ得意なことで役に立てればと」
その言葉の中に、自虐でも開き直りでもない、何か別のものがあった。自分の役割を理解して、その中でできることをしている人間の言葉だった。
「褒賞の件ですが」
クレイドが続けた。
「事態が落ち着いたら、正式に話があると思います。何か欲しいものとか、望むことがあれば考えておいてください。王城で伝えますから」
「わかりました」
「では、まあ、ゆっくり休んでください」
クレイドは立ち上がりながら言った。その顔が、屈託がなかった。
「本当によかった。助かりました、色々と」
扉が閉まった。
5 静かな朝
しばらく、四人で黙っていた。
特に何かを話す必要がなかった。窓から光が入っていた。王都の外から、かすかに人の声が聞こえていた。復旧の作業の声だった。騒乱の声ではなかった。
「少しゆっくりしよう」
俺は少し伸びをする。今まで何だかんだ駆け足で動き続けてたような気がする。
「そうしましょう」
ルーシェンが少し微笑みながら答える。
「榊さん、何か食べられそうですか」
ファルマが聞いてきた。そういえばお腹が空いていることに今気づく。
「たしかにお腹すいたな」
「では何か頼んできます」
ファルマが立ち上がった。その顔が、ほっとしていた。
エリシアは窓の外を見ていた。
「静かになりましたね」
エリシアが静かに言った。
「ああ」
「静かというのは、良いことです」
エリシアが言った言葉の意味を、俺は考えた。
昨日まで王都に満ちていた悲鳴も、鐘の音も、剣の音も、今は聞こえなかった。代わりに聞こえるのは、遠くの作業の声と、窓の外を通り過ぎる風の音だった。
久しぶりに、心が落ち着いた。
本当に久しぶりだと思った。
外の光が、部屋の中にゆっくりと満ちていった。




