道化師の終幕
第九十四話:道化師の終幕
1 イレギュラー
フォロードゥは笑っていた。
その笑みに、不快感も怒りも焦りもなかった。余裕だけがあった。三メートルを超える体を持ちながら、まるで舞台に立つ役者のように、両腕を広げて見せた。
「まさか、ここまで辿り着くとは」
フォロードゥは俺を見た。道化師の仮面のような顔が、にやりと歪んだ。
「イレギュラーというのは、面白いものですね」
「イレギュラーだと?」
「計算に入っていなかった存在です。あなたは——予定にない駒でした」
俺は剣を構えたまま、フォロードゥから目を離さなかった。
会議室の外周に、人影があった。壁際に押し付けられるようにして、王族と大臣たちが固まっていた。第三王子のマルクが俺の方に視線を向けた。
「先程まで西の区画から聞こえていた音が止まりました」
マルクが静かな声で言った。
「外はどうなっていますか」
「麻痺薬を散布しました」
ルーシェンが答えた。
「争っていた方々は動けなくなっているはずです」
マルクの顔が、少し安堵した。しかしすぐに引き締まった。
「ここにいる方々は、今すぐ外に出るべきです」
俺は壁際の人々に向かって言った。
「ここにいても巻き込まれるだけになります」
王が動こうとした。大臣が動いた。護衛の騎士たちが人々を囲んで入口に向かい始めた。
最後に宰相がこちらを見た。
俺はその目を見て頷いた。
「それは困りますねえ」
フォロードゥの声が来た。
指先に、いつの間にか玉が現れていた。色とりどりの、光を持つ小さな玉が、五本の指の間で軽やかに弾んでいた。手品師が客に見せる前振りのような、そのあまりにも自然な動作に、俺は一瞬目を奪われた。
「行かせませんよ」
「人が死ぬと、舞台は盛り上がるでしょう?」
2 幻術
「やらせん!」
騎士団長のレイオンが動いた。
吠えるような声を上げて、剣を振り下ろした。フォロードゥに向かって、真っ直ぐに。
剣が空を切った。
フォロードゥは何もない場所に立っていた。レイオンの剣は、フォロードゥから一歩外れた虚空を斬っていた。
しかし俺の目には、違って見えた。
レイオンの剣は確かにフォロードゥに向かっていたが、俺が見るフォロードゥの位置と、レイオンが向かっている位置がずれていた。レイオンには、フォロードゥが今いる場所が正確に見えていない。
俺は踏み込んだ。自分が見えているフォロードゥの位置に向かって剣を振った。
フォロードゥが反応した。玉を投げようとしていた手を止めて、腕で受けた。
「何……どういうことだ!?」
レイオンが目を見開いた。自分の剣が空を切ったのに、自分から離れた場所で何かが衝撃を受けたのが見えた。
「ルーシェン!」
「なるほど、そういうことですか……炎槍!」
炎槍が飛んだ。俺の剣が当たったのと同じ場所に、正確に直撃した。
「ほう?」
フォロードゥが少し感心したような声を出し後退した。一歩だけ。しかし確かに押された。
「幻術です」
ルーシェンが言った。立ち位置を変えながら、フォロードゥを見ていた。「自分の位置をずらして見せている。しかし風の流れを読めば、本当の位置がわかる」
「よく気づきましたね」
フォロードゥが言った。その声が、本当に感心しているように聞こえた。
「素晴らしい。あなたのような方がいると、楽しくなります」
その賞賛の言葉が、余計に気持ち悪かった。
「……!玉は!?」
俺はその時気づいた。フォロードゥの手に、玉がなかった。
「あそこですよ」
フォロードゥが指さした。
会議室の床を、色とりどりの玉が転がっていた。扉の穴から出ていく。廊下に出た瞬間、玉が変わった。
フォロードゥと同じ姿の何かが、廊下に生まれた。一体ではなかった。玉の数だけ現れた。
外から叫び声と剣の音が聞こえてきた。
「私ほどの力はありませんが」
フォロードゥが言った。少し首を傾けながら、楽しそうに。
「護衛の騎士だけで対処できますかねえ。どうでしょう」
俺はレイオンを見た。
「外に行ってくれ。王族たちの護衛を頼む」
「しかし——」
レイオンが迷った顔をした。
「ルーシェンがいる。以前王都の悪魔を倒した人だ。大丈夫だ」
レイオンは一瞬だけ俺を見た。それから頷き、扉の外に向かった。
「ファルマも外の人たちの回復を頼む」
ファルマが俺を見た。何かを言いたそうな顔をした。しかし頷いた。
会議室が静かになった。
俺とルーシェンとエリシアだけが残った。
「三人で立ち向かうつもりですか」
フォロードゥが言った。その声に、あざけりに近いものがあった。
「健気ですねえ」
「やってみないとわかりません」
エリシアが腕の刃を展開しながら言った。
3 膠着
連携した。
エリシアが位置を計算してフォロードゥに斬りかかった。ルーシェンが風の流れを読んで本当の位置を割り出し、そこに攻撃を放った。俺がその隙に踏み込んで剣を入れた。
フォロードゥはこちらの攻撃を避けようとしなかった。全く傷を与えることが出来なかった。
幻術が変わった。一体見えていたフォロードゥが、三体になった。三体が全て動いた。どれが本物かを俺は直感で選んで攻撃した。しかし本物の防御が厚かった。刃が弾かれた。
『面白い連携ですね』
フォロードゥの声が重なる。三体全てがしゃべっていた。どれが本物かわかりにくくするためだと即座に理解した。
ルーシェンが風を読んで本体を特定し、そこに岩の槍を叩き込んだ。フォロードゥが受けて弾いた。防御に専念している間、俺とエリシアが横から入れた。それも弾かれた。
防御が固かった。エリシアの振動する刃でさえ、服に傷をつけるだけだった。
どの攻撃も届いていた。しかしまともな傷にならなかった。
「なら……!」
水の剣に闇を共鳴させて斬りかかる。肩に刃が通り奴の左腕を斬り飛ばした。
腕を斬られたのにフォロードゥは余裕の表情を崩さない。腕が飛んでも、痛みを感じている様子はなかった。
「それはもう要らないので、どうぞ」
そう言って左腕をこちらに投げてくる。
咄嗟に剣で腕を払うと腕が爆発した。
音より先に、体が吹き飛んでいた。
吹き飛ばされ、壁に背中を打ち付ける。
「榊様!」
エリシアがフォローに入る。
俺が体勢を整えた時にはフォロードゥの腕は元に戻っていた。再生しているのか、戻っているのか——判別がつかなかった。
攻撃を奴の身体に集中させる。
「フフフ……いい攻撃ですね」
フォロードゥは笑いながら戦っていた。本当に余裕があるのか、余裕があるように見せているのか、俺には判断できなかった。しかし何度攻撃を加えても、その笑みが崩れなかった。小さな拍手すらしていた。
「ここまで私に攻撃を当てて来たのは貴方たちが初めてですよ。褒めて差し上げます……しかし少し力不足ですねぇ」
フォロードゥの言う通りだった。
傷を与えても奴が手を翳すと手品のように服の傷ごと消える。傷がただ消えたのではなかった。
最初から存在しなかったかのように、そこから消えていた。先程の腕の事もあり、斬るのが、正解とは思えなくなっていた。
しかし、身体は硬くほとんどダメージらしいダメージが与えられていない。
「いいですねえ、その顔」
「くそっ!」
俺は焦っていた。焦りを出してはいけないとわかっていたが、それでも体の奥で焦っていた。これだけ連携して、これだけ攻撃を重ねて、それでも届かない。エリシアの刃も、ルーシェンの魔法も、俺の剣も——全部が、フォロードゥという存在の前で弾かれていた。
どうすれば。悩むが解決策がない。
その時剣から強い意志を感じた。
4 剣の意思
俺は一瞬だけ、剣に意識を向けた。
水の剣の中に、アウレリアの力が眠っていた。アルセインから渡された光の玉を共鳴させた時から、そこにあった。
その力が、今——脈動していた。
人間の言葉ではなかった。感覚だった。剣の奥から、何かが押し出そうとしている感触があった。使えと言っているわけでもなかった。しかし確かに、今がその時だという意志のようなものが伝わってきた。
「おやおや、どうやら……」
フォロードゥがなにかに気づき、表情が変わった。
天使の波動が近づいて来るのを感じる。この力はセレナか。
今まで余裕を持って動いていたのが、一段階変わった。手品のような動きが止まった。その体に、力が集まり始めた。
「そろそろ幕間のようです」
フォロードゥが言った。笑みはあったが、その声のトーンが変わっていた。
「主役が満を持して登場します。歓待の用意をしなければなりません。前座の役目は終わりです」
遠くから歓声が聞こえた。
人の声だった。何かを迎える声だった。
フォロードゥが力を練り始めた。腕に赤と青の光が集まり出すのが見えた。圧が来た。空気の密度が変わった。今まで感じたことのない規模のものが、フォロードゥの体に集まっていた。
「ルーシェン、エリシア」
俺はアウレリアの意識に集中しながら言った。
「下がってくれ」
「榊さん——」
「アウレリアの力を解放する」
俺は剣を握り直した。
「力を貸せ、アウレリア!」
意識を集中した。剣の中に眠るものに向かって、俺自身の意識を合わせた。闇の力を流し込んだ。共鳴を呼んだ。
剣が変わった。刀身の色が変わった。黒と青の混ざった色から、別の何かが加わった。白銀に近い光だった。それが刀身に宿った。
扉から人が入ってくる気配があった。
「消えなさいイレギュラー!」
フォロードゥが力を解放した。
俺は剣から溢れる力をフォロードゥの力にぶつけた。
5 白銀の獣
轟音と光が会議室を塗りつぶす。
二つの力がぶつかった。
最初は拮抗していた。
フォロードゥの力は圧倒的な質量を持っていた。それが俺の剣の一点に向かってきた。俺は押されながら、剣を保った。腕が震えた。足が後退した。
しかしその時——。
俺の後ろに、何かが現れた。
感じた。振り返る余裕はなかった。しかし確かに何かが俺の後ろに立った。見えなかった。しかし存在した。白銀の色を持った、巨大な何かだった。
床が軋んだ。
存在していないはずの重量が、そこにあった。
吠える声が来た。
獣の声だった。それが会議室に満ちた瞬間、剣の力が変わった。俺が保っていた一線が、前に動き始めた。
白銀の輝きが大きくなりフォロードゥの力を、押し返し始めた。
「な……!」
そして切り裂いた。
フォロードゥの放った力が両断された。その勢いのまま、剣がフォロードゥに届いた。
フォロードゥの体が、右肩から左横腹にかけて両断され、身体がズレる。
斬った感触が、遅れて来た。
「——ああ、そういう終わり方もあるのですね……」
フォロードゥの声が震えていた。初めて、その声から余裕が消えた。笑みが消えた。道化師の仮面が崩れた。その奥にあったのは、純粋な驚きだった。
そしてすぐに別のものが来た。
フォロードゥの体が赤黒い光を帯び始めた。残った力が、内側に集まっていた。
「タダでは消えません……これなら——」
フォロードゥが言った。その声が、壊れた笑みと一緒に来た。
「貴方も一緒に——」
「榊様!」
動けない俺にエリシアが駆け寄ろうとし、フォロードゥが抱きつこうとした時、炎が来た。
「それはさせません」
「……!」
ルーシェンの爆炎槍が、フォロードゥに直撃した。内側に集まっていた力が散った。外に解放される前に、炎が塗りつぶした。
「フフフ……道化の最後など……こんなもの……ですか……」
フォロードゥの体が砂のように崩れ消えた。
道化師の笑みも、余裕も、玉も、幻術も——全部が消えた。
会議室が静かになった。
6 意識の果て
いつの間にか、膝をついていた。
いつからかわからなかった。剣を支えにして、どうにか前を向いていた。息が切れそうだ。
エリシアが来て、俺の肩を支えた。
「大丈夫ですか」
「はあ、はあ、大丈夫、だ」
「大丈夫ではないと思いますが」
「——ああ、意識が飛びそうだ」
後ろから足音が来た。ランエルの声が聞こえた。
「あの白銀の力は何だ。どうやって——」
しかしセレナが腕でランエルを制止した。
「フォロードゥが倒された。それが重要なことです」
セレナの声だった。静かで、しかし明確だった。
「しかし——」
「ランエル」
名を呼ばれランエルが黙った。ギディウスは俺を興味深そうに見ていた。
俺はその声を遠くで聞いていた。体の力が全て消えていた。腕も足も、どこにも力が残っていなかった。
エリシアの手が肩を支えていた。それだけがわかった。
会議室の光が、遠くなっていった。
人の声が、遠くなっていった。
俺は意識を手放した。
最後に、笑い声だけが残った気がした。




