褒賞と、夜空の下で
第九十六話:褒賞と、夜空の下で
1 王都の一週間
王都がある程度落ち着くまでに、一週間かかった。正確には「落ち着いた」というより、混乱が制御されたという方が近かった。
壊れた家は壊れたままだったし、亡くなった人が戻るわけでもなかった。それでも鐘の音が緊急のそれで鳴ることはなくなったし、人々が街を歩けるようになった。
復興の作業が続いていた。
石材を積む音が朝から聞こえた。怪我人を運ぶ担架が路地を行き来した。炊き出しの煙が何箇所からも上がっていた。
市場の近くを歩いていた時、二人の老婦人が話しているのを耳にした。
「悪魔が倒されたのはルーシェン様のおかげだって」
一人が言った。
「以前も王都の悪魔を倒してくれた方でしょう。本当に——なんてお方なのかと」
「うちの孫が言ってたんだけどね」
もう一人が続けた。
「あの方がいなければ、もっと大変なことになっていたって。それだけは間違いないと思う。ただ——」
その声が少し落ちた。
「亡くなった人たちのことを思うと、喜んでばかりもいられないけれどね」
その言葉の重さを、俺は受け取って歩いた。
ルーシェンへの敬意は本物だった。街の人々が話す時、名前が出るたびに声のトーンが変わった。それは信仰に近いものがあった。
ルーシェン本人は、それを聞いても我関せずの顔をしていた。
聖騎士たちがカルガリー神聖国へ帰る日が来た。
出発前に、ギディウスが俺の前に来た。いつもの淡々とした顔だったが、その目に何かがあった。
「一ついいか」
ギディウスが俺の目を見ながら話しかける。
「どうぞ」
「邪神の復活がいずれあると、神からお告げが大司教にあった」
「神話では、一国が一夜で消えたとされている存在だ」
「聖騎士にならないか?あの白銀の力……あの力は邪神との闘いで大きな力になるだろう。聖十騎士にすらなれるぞ」
しばらく沈黙があった。
「邪神が……しかし、お断りします。俺はまだ王国でやることがありますから」
「……そうか」
ギディウスは頷き、それ以上は言わなかった。踵を返して、隊列に戻っていった。
「……」
ランエルは俺を見て、何か言いたそうな顔をしたが、結局何も言わなかった。
2 大通りのパレード
準備にはマルクと宰相が中心になって動いた。屋根なしの馬車が用意された。
「パレード、か」
俺は馬車に乗りながら言った。少し顔が強ばっているのがわかった。
「そんな顔をしないでください」
ルーシェンが苦笑しながら隣で言った。その声は普段通りで、歓声が近づいてきても何一つ変わらなかった。
「こういうのも、人々に安心を与えるのに必要なことなのですね」
エリシアは馬車を興味深そうに見ている。
「不安を抑えるための、政治的な意味もあります」
ルーシェンの声は淡々としていた。
「……!」
ファルマは緊張で固まって声がなかった。
大通りに出た瞬間、声が来た。
「ルーシェン様——」
「ありがとうございます——」
「王都を救ってくれた——」
先頭を馬で行くエドワードと第二騎士団が街の人々を整列させながら進んでいた。その後ろを俺たちの馬車が続いた。
ファルマは窓から外を見ていた。手を振るべきかどうか迷っているような顔をした。結局少しだけ手を挙げた。それだけで、近くにいた子供が嬉しそうに叫んだ。ファルマが少し赤くなった。
エリシアは人々の様子を観察していた。その目が、人の熱量を面白いものとして見ていた。
ルーシェンは前を向いていた。歓声を受け取りながら、しかし自分が受け取っているとも思っていないような顔をしていた。
俺は馬車の揺れを感じながら、ただ前を向いた。歓声は、どこか遠くのもののように聞こえていた。居心地が悪かった。しかし一週間前のことを思えば、これだけの人々が街に出て声を上げられていること自体が、奇跡に近かった。
3 謁見の間
王城の謁見の間は、整えられていた。
王が玉座に座っていた。その隣に王妃、後ろにリチャードとロベールとマルクとクレイドが並んでいた。大臣たちが左右に列をなしていた。
ルーシェンを先頭に俺たちが中央に進んだ。
「此度の功績に報いるため」
王が言った。その声は穏やかで、しかし少し疲れていた。
「男爵の爵位と金銭を与えよう」
「お気持ちはありがたく受け取ります」
ルーシェンが静かに答えた。
静かだった。声を荒げていなかった。しかし謁見の間の空気が、一瞬変わった。
「しかし、私は研究者です」
ルーシェンは続けた。
「爵位も金銭も、私には必要なものではありません。代わりに一つだけお願いがあります」
「申せ」
「王国が管理する白銀界のゲートへの、自由な使用権をいただきたい」
ざわめきが来た。大臣の一人が眉を上げた。別の大臣が隣に何かを囁いた。
マルクが前に出て、宰相がそれに続いた。
「ルーシェン殿の申し出は、王国にとっても利のあるものかと存じます」宰相が穏やかに言った。
「白銀界の研究が進めば、召喚獣の理解も深まる。それは国力に直結します」
「ふむ……それもそうか……」
王が考えた。少しの間があった。
「許可しよう」
謁見の間のざわめきが変わった。ある種の納得と、ある種の安堵が混じっていた。俺は列の端で大臣の一人の顔を見た。ほっとしていた。金でも地位でもなく、研究の許可だけを求める英雄——それが、貴族にとって都合の良い人間像だということが、その顔からわかった。
事前にマルクと宰相と計算していたことだと俺はわかっていた。
4 宰相の部屋
「宰相閣下が少ししたから執務室に来て欲しいとお呼びです」
謁見が終わり、宰相から書記官を通して呼び出しがあった。
少し休んでから行くと、宰相が机の前に座っていた。以前より少し疲れが顔に出ていたが、その目は変わっていなかった。
「知らせがあります」
宰相が言った。指を机の上で軽く組みながら。
「デンヴァールです」
ファルマの体が小さく揺れた。
「レオニス侯爵の反乱の兆しがあり、事前に待機させていた騎士団が鎮圧しました。レオニスは拘束された。デンヴァールの街は解放されています」
「シアン兄さんは……!」
ファルマが緊張を孕んだ声で言った。その声が細かった。
「解放されています。無事です」
ファルマの目から涙が出た。
声が出なかった。手で口を押さえた。それでも涙が出続けた。エリシアが横から、ファルマの肩に手を当てた。何も言わずに、そこにいた。
「次に行くべき場所はデンヴァールですね」
ルーシェンが言った。
「そうなるでしょう」
宰相も頷いた。
「ただ距離が問題です。王都から東に千キロ以上離れていますからな——」
「国の飛竜でお願いできますか」
「できるが——」
宰相が書記官を見ると、書記官が書類を確認してから申し訳なさそうに言った。
「今も王都の復興で飛竜を使っています。準備にかなり時間がかかります」
「ふむ……なら、ガイウスという知り合いがいます」
ルーシェンが言った。
「引退した飛竜の召喚士ですが、王都に今もいるはずです。彼に頼めるかどうか聞いてみます。もし了承してくれれば、料金を出していただけますか」
「ガイウスとは——」
宰相の目が細くなった。
「あの武闘家の」
「ご存知でしたか」
「知らないわけがない。彼は優れた武闘家であると共に、問題も色々起こしてくれましたからな」
宰相は少し苦笑した。
「ルーシェン殿の人脈には驚かされますな。それで了承するなら、もちろん出そう。書記官に場所を伝えて貰えれば連絡はこちらでしておこう」
5 夜空の下
その夜はエドワードの屋敷に泊まった。
デンヴァールの件を伝えると、エドワードは目を細めた。大きな体が、わずかに力を抜いた。
「シアンが無事か」
エドワードが喜びを隠さず言った。その声が、普段より柔らかかった。
「それは——よかった」
その声には、戦場で見せていた張り詰めた気配が、少しだけ消えていた。
「はい……本当に……」
ファルマがエドワードを見上げた。エドワードが頭に手を置いた。
俺は聖騎士から聞いた言葉を思い出す。
「しかし、邪神が復活をいずれすると聖騎士が言っていました」
「なんと、邪神が……」
「今回のフォロードゥもその先駆けかもしれません」
「また、神話のような闘いが起こるのか……」
エドワードは腕を組んだ。
「ただ、まだ何も情報がない状態だ。今はデンヴァールでシアンに会うのが先だろう。なにか危険があったら王都に戻ってこい」
エドワードの言葉に俺とファルマは頷いた。
夜が更けた。
俺は眠れなかった。
原因はよくわからなかった。疲れているはずだった。しかし目が覚めていた。頭の中で色々なことが動いていた。フォロードゥのこと、アウレリアの力のこと、王都の一週間のこと……そしていずれすると言われた邪神の復活。
屋敷の入口の広間に出た。外の空気が欲しかった。
扉を開けると、人がいた。
エドワードとファルマだった。
エドワードが壁に腕を預けて夜空を見ていた。ファルマがその隣に立っていた。二人とも気づいていなかった。
「眠れないのか」
俺は言いながら扉を完全に開けた。
二人が振り返った。
「榊さんも」
ファルマが言った。その目が少し赤かった。泣いていたのか、それとも眠れていなかったのか。
「少しな」
エドワードが一歩引いた。俺が出られるだけの空間を作って、また夜空を見た。
「眠れなくて」
ファルマがこちらに向き直った。
「シアン兄さんのことを考えていたら、今までの色々なことも一緒に思い出してしまって」
「そうか」
「デンヴァールに行って、兄さんに会えるのは嬉しいんです。ただ——」ファルマは夜空を見た。
「会えてから、どうしようかなとも思って。兄さんと一緒に暮らすのか、また榊さんたちと一緒に旅をするのか」
俺は少し考えた。
「まず兄さんに会えばいい」
今結論を急ぐ必要もないだろう。
「積もる話もあるだろう。デンヴァールが平和を取り戻したなら、時間はいくらでもある。どうするかはそれから考えればいいし——ファルマが決めたことを、俺たちは尊重する」
「そうだ、急ぐ必要もない。シアンに話すことはいっぱいあるだろう?」
エドワードの声は低く、穏やかだった。
「そうですね」
ファルマが少し俯いて考える。
少し間があって、ファルマが微笑んだ。
今までの冒険を思い出しているような顔だった。怖かったことも、大変だったことも、全部が含まれているような、それでも笑える顔だった。
夜空に星が出ていた。
王都の復興の音は止んでいた。遠くで犬が一声鳴いた。それだけが聞こえた。
三人でしばらく夜空を見ていた。
誰も言葉を続けなかったが、それで十分だった。




