幕間 王都の動き6
幕間 王都の動き6
「道化師の正体」
1 王城の緊急会議
緊急の鐘が鳴り始めた時、王城はすでに動いていた。
宰相の命令は鐘が鳴る前に出ていた。王城の西側の扉が、内側から閉じられた。閂がかけられた。区画の中にいた者は全員、その中に閉じ込められた。
大臣たちが緊急で招集された。会議室に集まった顔に、一様に困惑があった。
「まず聞かせてもらいたい」
財務大臣が立ち上がった。その声が震えていた。
「西の区画をなぜ封鎖したのか。中には王城の人員が——」
「悪魔に洗脳された者がいる可能性を、以前から察知しておりました」
宰相は椅子に座ったまま、穏やかに言った。
「それに備えて準備を進めていただけです」
「なぜ事前に説明がなかった」
「どこに悪魔の手先がいるかわからない状況では、事前に説明することが即ち情報漏洩に繋がります」
宰相は指を組んだ。
「説明できなかった点についてはお詫び申し上げます。しかし状況上、やむを得ぬ判断でした」
「お詫びで済む話ではない」
法務大臣が声を上げた。
「独断専行にも程がある——」
扉が開いた。
王が入ってきた。王妃が隣にいた。リチャードとロベール、マルクとクレイドが続いた。
大臣たちが立ち上がった。
「何がどうなっている」
テリオン王が言った。その顔に、珍しく緊張があった。
「宰相が西の区画を封鎖しました」
財務大臣がすかさず言った。
「王への報告もなく、独断で」
王が宰相を見た。
「宰相、余は何も聞いておらんぞ」
「左様でございます」
宰相は立ち上がって頭を下げた。
「その点についてはお詫び申し上げます」
「お詫びで——」
「私もそれに賛同し、承認しました」
リチャードが言った。
会議室が静かになった。
大臣たちが第一王子を見た。
「私も同様です」
マルクが続けた。
「状況を考えれば、必要な措置だと判断しました」
財務大臣が口を開いたが、言葉が出なかった。王子二人が認めているとなれば、宰相の独断とは言い切れなかった。
「しかし余には——」
王が息子たちを見た。
「なぜ報告しなかった」
「陛下」
王妃が穏やかに言った。
「王子たちの判断を尊重すると、おっしゃいましたね」
王の口が閉じた。
「今は緊急事態です」
リチャードが一歩前に出た。
「この場での問答が長くなるほど、人々の被害が広がります。事態が落ち着いてから、改めてお話しします。今は——」
「今は事態の対処を」
マルクが続けた。その目が会議室全体を見渡した。「それだけが優先事項です」
会議が動き始めた。
その端で、宰相は会議室を見渡していた。
いた。
ヴェルナート子爵が、部屋の影の側に座っていた。会議の喧騒の中で、その顔だけが違う色を持っていた。余裕があった。人間が緊急事態の会議に持つ表情ではなかった。
宰相は書記官に近づいた。書記官の耳元に、声を落として言った。
「レイオン騎士団長に伝えよ。ヴェルナート子爵を包囲し、いつでも攻撃できる体制を整えるように、と」
書記官の顔が強張った。しかし頷いた。
レイオンが書記官から伝言を受け取った。驚きリチャードを見た。リチャードが小さく頷いた。
レイオンが近くの近衛騎士に、静かに命令を下した。
2 西の区画
閉じ込められた者たちは、最初は怒った。
第一騎士団の部隊長であるカルドは、区画の扉に近づいて外に声をかけた。
「なぜここに閉じ込められている。宰相の命令だと言うが——理由を説明しろ」
扉の外から、同じ第一騎士団の騎士の声が返ってきた。
「宰相様の命令です。事態が落ち着くまで、そこにいてください」
「理由も示されずに従えと言われて、納得できるはずがないだろう!」
カルドは扉を拳で叩いた。
「人を閉じ込めておいて、説明もないのか」
「申し訳ありません」
扉の外の声が、少し詰まった。
「命令なので——」
区画の中で、下働きたちが固まって話していた。
「どういうこと、急に閉じ込められるなんて」
メイドのリナが壁に背を預けながら言った。
「わからない」
隣の使用人のセラが言った。
「でも、外が大変なことになってるのは——鐘の音が聞こえたでしょ」
「それで、私たちをここに入れたのかな」
リナが言った。
「安全のために?」
「かもしれない」
セラが言った。
リナの隣に座った。友人として、ずっとそばにいた仲間として、肩を寄せた。
「大丈夫だよ」
セラが言った。
その瞬間、リナの腹部に鋭い痛みが走った。
熱かった。しかし同時に冷たかった。何かが刺さった感触があった。
見下ろすと、ナイフがあった。
セラの手に握られていた。
「セラ——」
声が出た。しかし力がなかった。体が傾いた。石の床に倒れた。
セラが立ち上がった。その顔が笑っていた。友人の顔で笑っていた。しかしその目が、友人のものではなかった。
セラが近くの使用人にナイフを振り上げる。
「ひぃ!助け……!」
「止めろ——!」
カルドが叫び、剣でセラのナイフを弾いた。
「大人しくしろ!」
別の騎士がセラに組みついた。
「傷が深い——早く治療を——」
カルドは止血の応急処置をしながら扉に向かって叫んだ。
「中で重症者が出た。区画を開けてくれ。このままでは死ぬ——!」
外の騎士の声が返ってきた。
「状況は聞こえています——しかし——」
「開けろ!彼女だけでもいい!」
「……命令があります。何があっても開けるなと、厳命されています」
外の騎士の声が、僅かに揺れていた。
「見殺しにするつもりか!」
カルドが止まらない血を必死に抑えながら叫んだ。
それでも扉は動かなかった。
叩く音だけが、虚しく返ってきた。
中からは、声が聞こえていた。
助けを求める声が。
泣き声が。
誰かを呼ぶ声が。
それでも——扉は、開かなかった。
外の騎士は扉の前に立ったまま、内側から聞こえてくる声に、握った剣の柄が白くなるほど力を込めていた。開けたかった。しかし開けることの意味を、わかっていた。
「ぎゃあ!」
区画の中で、また叫び声が上がった。
カルドが振り返った。
騎士の一人が剣を抜いて使用人を切りつけていた。
「何をしている!」
「へへへ……」
その目が焦点を失っていた。頭の上で花が揺れていた。カルドには見えなかったが、その騎士の全てが変わっていた。
「うわあああ!」
「助けてくれ!」
騎士だけでない。使用人の中からもほかの使用人に襲いかかるものが出てきた。
殺し合いが始まった。
区画の中が、地獄になっていった。
3 会議室の異変
会議室では命令が飛び交っていた。
「各区画の騎士団長に連絡、防衛線の優先順位を中央大通りに集中させろ」
マルクが言った。地図を広げたまま、指を走らせる。
「こことここに誘導路を作る。人々が大通りに向かうルートを確保しながら、ゾンビを遮断する」
「伝令を——」
「早く」
宰相が別の方向に指示を出していた。
「神殿への物資輸送ルートを確保せよ。治療を受けに来る者が増える。捌き切れなくなる前に人員を手配しろ」
「はい——」
「それと、水の問題だ」
宰相は次の書記官を呼んだ。
「治療薬の配布を始められるかどうか、確認を取れ」
「ちょっと待ってください」
クレイドが言った。その顔が、珍しく真剣だった。
「外の状況はどうなっているんですか。大通りは」
「聖騎士と天使が対応している!.」
ロベールが言った。
「大通りは今のところ保っている。しかしそれ以外の区画は——」
伝令が入ってきた。
その顔が青かった。言葉を絞り出した。
「市民同士が——各所で、衝突が起きています。ゾンビによる被害だけでなく、市民が互いに——」
会議室が静かになった。
「水による洗脳が起動したか」
マルクが言った。声が低かった。
「おそらく」
ロベールが答えた。
「それでもできることをやるしかない」
リチャードが言った。
その時、ヴェルナート子爵が音もなく立ち上がった。
近衛騎士が動いた。三人が子爵を囲んだ。剣を構えた。
「動くな」
子爵は止まらなかった。剣を突きつけられながら、歩き続けた。その顔に、笑みがあった。形だけは人の笑みだった。だがそこに意味はなかった。感情もなかった。ただ“笑っている形”だけが貼り付いていた。
「子爵、待て——!」
レイオンが叫んだ。
「賞賛しましょう。ええ、賞賛です。賞賛という言葉は好きですか?」
子爵が会議室の中央に来た。その声が変わっていた。
「これほど手際よく動いてみせた者たちは、久しぶりに見ました」
拍手が来た。パチパチという音が会議室に響いた。
大臣たちが動きを止めた。
「何を言っている……!」
近衛騎士が剣を押し当てた。
「動くな——」
「あれがフォロードゥ・スキャムだ」
宰相が静かに言った。その声に、今までにない緊張があった。
「ご名答」
子爵の体が変わった。
「なっ……!」
体が膨らんでいき三メートルを超える。衣服も変化し道化師の衣装に似た、しかし全てが歪んでいる装いだった。顔が笑っていた。笑い続けていた。その笑みが、止まらなかった。
「初めまして」
フォロードゥが言った。両腕を広げて、大げさに礼をした。
「これほど用意周到な方々とお会いできて、光栄です」
「おのれ!」
レイオンが切りかかった。剣が体に触れた。しかし触れた瞬間、体が花に変わった。百の花が散った。いつの間にか机の向こう側に、フォロードゥが立っていた。
「何っ!」
「こちらですよ」
フォロードゥが笑った。
「くそっ!」
近くの近衛騎士が向かった。斬りかかるもまた花になり、また別の場所に現れた。
「もうすぐ、もっと楽しいことになります」
フォロードゥが笑みを深め、指をパチンと鳴らした。
「何をした!」
宰相が叫ぶように問いただす。いつもの余裕は見られなかった。
「西の区画の扉を開けてあげました」
会議室の外から、音が来た。
扉が開く音だった。そして叫び声が来た。
「みな奥に退避だ!」
リチャードが叫んだ。
王を先頭に、全員が扉へ殺到した。
しかし扉はまるで書かれた絵のようにビクともなかった。
「扉が開かない——!」
「閉じ込められた——!」
フォロードゥが笑い声を上げた。
「フフフ……では、王族の皆様を少しだけ——」
フォロードゥが王に向かって滑るように近づき手を伸ばした。
「やらせん!」
「くそっ、なぜ当たらない!」
止めようとレイオンが、近衛騎士が斬りかかるも何故か当たらない。
しかし、会議室の入口の扉が突然轟音とともに吹き飛ぶ。
皆が驚く中、構わず王に伸ばしたフォロードゥのその手が、突然金属のような音とともに横に逸れた。
剣がフォロードゥの腕を払っていた。
「おや?邪魔が入ったようですねぇ……」
フォロードゥのすぐ側にひとり、会議室の入口に三人、人間が立っていた。
フォロードゥのそばの人間は息を切らし、服が汚れていた。それは榊であり剣を構えていた。
空気が変わった。
それまでこの場を支配していたものとは、別の何かが入り込んできた。
そしてルーシェンが、ファルマが、エリシアが、そこにいた。
レイオン騎士団長
第一騎士団団長にして、王族を護る近衛騎士の頂点に立つ人物(40歳)。子爵位を持つ貴族でもある。
王国の全騎士団を統率する立場にあり、その実力は騎士の中でも随一と評される。剣技は“絶技”と称され、これまで国内で敗北したことはない。
王からの信頼も厚く、穏やかな人柄で部下からの信望も高いが、任務においては私情を排し、冷徹な判断を下すことも辞さない。




