公開処刑
俺の脳細胞がかつてない速度で回転し始めた。
国語の論理パズルなんて目じゃない。
今ここで正解の選択肢を選ばなければ俺の命と言ってもいい平穏な日常が終わる。
「ち、違うって!」
俺は裏返った声で叫んだ。
「健太だよ!あいつ最近モテたいとか言ってやたら高いシャンプー使い始めたんだ!」
健太すまん。
俺は心の中で親友を女子力高めの男子に仕立て上げた。
「へえ?」
結愛は俺の胸に両手をついたまま小首を傾げた。
「健太くん?が、フローラル系のシャンプーを?」
「そ、そう!それに制汗剤も!女の子の匂いがするやつを使えば女子が寄ってくるんじゃないかっていうアホな作戦で……」
我ながら苦しい。
だが勢いで押し切るしかない。
「ふーん」
結愛の目がすっと細くなった。
「でもさ」
彼女の指先が俺のワイシャツの襟をなぞる。
「この匂い、肩のあたりから一番強くするんだけど」
ビクッ。
俺の肩が跳ねた。
暗い廊下で雪乃宮さんと何度もぶつかった場所だ。
「健太くんとどんな勉強したら肩にこんなに匂いがつくの?」
「そ、それは……!ああ、帰り道だ!」
俺はさらなる言い訳を口走った。
「帰り道、満員のバスに乗ったんだよ!その時に隣のお姉さんと密着しちゃって……」
言った瞬間。
俺は自分の口を縫い付けたくなった。
「湊くん」
結愛の声が絶対零度まで下がった。
「今日、自転車通学だったよね?」
終わった。
チェックメイトだ。
雪乃宮さんをバス停まで送るために自転車を押して歩いた俺は至極当然だが、家までの帰りも自転車だった。
玄関に置いてある鍵を見れば一目瞭然だ。
俺は口をパクパクさせたまま完全にフリーズした。
「……嘘つき」
結愛の顔がさらに近づいてくる。
彼女の影が俺の視界を覆い尽くした。
「誰?どこの女?」
耳元で囁かれる声は甘いのにひどく冷たい。
「美咲ちゃんじゃないよね。彼女の匂いなら私も知ってるし」
結愛の鼻はもはや特殊能力の領域だ。
「まさか、またあの青いシャツの不良娘?それとも別の……」
逃げ場はない。
俺の腕は彼女の細い足で完全にロックされているし何より精神的に完全に包囲されていた。
「ねえ、湊くん。正直に言って?」
彼女の瞳が薄暗い部屋の中で妖しく光る。
俺は自らの愚かな言い訳が生み出した底なし沼にどこまでも沈んでいくのを感じていた。
結愛の冷たくて甘い声が耳元で響く。
俺の思考回路は完全にショートし沈黙しか返すことができなかった。
もはやどんな言い訳も通用しない。
観念して雪乃宮さんの名前を出そうと口を開きかけたその時だった。
♪〜〜〜!
部屋の静寂を切り裂くように机の上に置きっぱなしだった俺のスマホが震え出した。
陽気なポップスの着信音が鳴り響く。
ビクッと俺の肩が跳ねた。
結愛の視線がゆっくりと俺の顔からスマホの画面へと移動する。
「……こんな時間に誰かな?」
彼女は俺に馬乗りになったままスッと手を伸ばし机の上のスマホを手に取った。
画面を見た瞬間彼女の唇が弧を描く。
それは天使のように可愛らしくそして悪魔のように残酷な微笑みだった。
「……美咲ちゃんからだ」
結愛はスマホの画面を俺の顔の前に突きつけた。
確かにそこには『美咲ちゃん』という文字が光っている。
なんでこんなタイミングで。
いや彼女は何も悪くないが今の俺にとっては死神からの電話に等しかった。
「で、出なくていい!あとでかけ直すから!」
俺が慌ててスマホを奪おうとするが結愛はひらりと手を躱した。
「だーめ。せっかく彼女からの電話なんだから出ないと失礼でしょ?」
結愛の細い指が緑色の通話ボタンをタップする。
そして無慈悲にもスピーカーアイコンを押した。
『あ、もしもし湊くん?』
スマホから美咲ちゃんの明るい声が部屋に響き渡った。
結愛は俺の口元に人差し指を立て『シーッ』と合図を送る。
そして俺の腹の上に座ったままにっこりと笑ってスマホを俺の口元へ近づけた。
『出ろ』という無言の圧力だ。
俺は震える声で絞り出した。
「も、もしもし。美咲ちゃん」
『夜にごめんね!今、勉強中だった?』
「あ、ああ……まあ、そんなとこ。ちょっと休憩してた」
嘘ではない。
強制的に休憩させられ今まさに命の危機に瀕している最中だ。
『よかった!実は日本史のノートのことで聞きたいことがあって……』
美咲ちゃんの無邪気な声が響く中。
結愛の空いている方の手が俺のワイシャツのボタンを一つ外した。
「……っ!」
俺は声を押し殺した。
何をしてるんだこの姉は。
結愛の冷たい指先が俺の鎖骨をツーッと撫でる。
『……湊くん?どうしたの?なんか息荒くない?』
電話越しの美咲ちゃんが不思議そうに尋ねてくる。
「な、なんでもない!ちょっと暑くてさ!」
『えー?今日は夜涼しいのに。風邪ひかないようにね』
美咲ちゃんの優しさが今は研ぎ澄まされた針のように心に刺さる。
俺の胸元を撫でる結愛の指は止まらない。
むしろ俺が焦るのを楽しんでいるかのようにその動きはゆっくりとそしていやらしくなっていく。
『でね、鎌倉幕府のところなんだけど……』
歴史の話が全く頭に入ってこない。
俺の全神経はスマホの向こうの美咲ちゃんへの返答と首元を這う結愛の指先に二分されていた。
もしここで変な声を出せばすべてが終わる。
俺は冷や汗を滝のように流しながらこの暗闇の拷問に耐え続けるしかなかった。




