表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

65/191

不穏な淡い青色

 翌朝。

 目が覚めると、家の中はしんと静まり返っていた。

 昨夜の過剰なまでの甘やかしの余韻で、体は羽が生えたように軽い。

「……結愛?」

 リビングに降りるが、彼女の姿はない。

 代わりとしてダイニングテーブルの上に、ラップのかかった完璧な朝食プレート(ベーコンエッグとサラダ)と、一枚のメモ用紙が置かれていた。


『おはよう、湊くん。

 今日から新しい仕事に行ってきます。

 朝ごはんはちゃんと食べてね。

 いってらっしゃい。お姉ちゃんより』


 丸文字と、最後に添えられたニコちゃんマーク。

「仕事か……」

 「秘密の仕事」ってやつだ。

 一体何をするのか教えてくれなかったが、少なくとも今日は朝から顔を合わせずに済んだ。

 俺は安堵と、昨夜の甘い時間の喪失感がないまぜになった複雑な気分で、冷めたベーコンを口に運んだ。

(まあ、いいか。今日も平和に過ごそう)

 俺は身支度を整え、誰もいない家に「行ってきます」と告げて外へ出た。


 通学路。

 朝の陽射しは眩しいが、空気は少し湿り気を帯びていた。

 駅へと続く大通りを歩いていると、前方に奇妙な動きをする人影が見えた。

「……ん?」

 ふらっ、ふらっ。

 まるで幽霊か、朝帰りの酔っ払いのように、千鳥足で歩いている生徒がいる。

 危ない。

 そう思った瞬間、その足がもつれ、体が大きく傾いた。

「っ、危ない!」

 俺は咄嗟に駆け出し、地面に激突する寸前でその体を支えた。

 ガシッ。

 細いけれど、芯のある重みが腕にかかる。

「大丈夫……か?」

 声をかけながら、俺は視界に入ってきた相手の制服に違和感を覚えた。


(……この色)

 ワイシャツの色だ。

 普通の高校は白が一般的だ。俺たちの高校もそうだ。

 だが、腕の中にあるシャツは白ではない。

 水色よりもさらに薄い、洗剤が落ちきっていないような淡い青色。


 その色を見た瞬間、俺の背筋が凍った。

 知っている。

 この地域で、唯一この色のシャツを採用している高校がある。

 県立東岸(ひがしきし)高校。

 偏差値が著しく低く、喧嘩やバイク通学が日常茶飯事という、この辺りでは有名な「底辺校」だ。

 俺たちある程度の進学校の生徒とは、住む世界が違う人種。

 関わってはいけない。目を合わせてもいけない。

 それが、この地域の「常識」だった。


(やばい……)

 俺は支えてしまったことを後悔した。

 相手がもし、イカつい不良だったら? 因縁をつけられたら?

「あ、あの……俺、急ぐから……」

 俺は慌てて手を離そうとした。

 関わりたくない。

 見なかったことにして、逃げたい。


 しかし、俺が手を引こうとしたその時。

 支えられていた人物が、ゆっくりと顔を上げた。


「……あ?」


 低い声。

 そして、俺を射抜くような鋭い視線。

(男……じゃない?)

 履いているのは、男子用のズボンだ。

 シャツのボタンもかなり開けている。

 だが、その顔立ちはどう見ても男ではなかった。

 整っているが、あまりに目つきが悪い。

 切れ長の瞳は刃物のように鋭く、目の下には不健康なクマがある。

 髪は無造作に束ねられているが、首筋の白さは女性のものだ。


 彼女は俺の腕を乱暴に振り払い、ふらつきながらも自分の足で立った。

「……触んな、優等生」

 吐き捨てるような言葉。

 その瞳には、感謝の色など微塵もなく、ただ「敵意」だけがギラギラと燃えていた。

 彼女はズボンのポケットに手を突っ込み、俺を睨みつけたまま、あくびを噛み殺した。

 淡い青色のシャツが、朝の光の中で不吉に揺れている。


 俺は動けなかった。

 結愛の冷たさとも、健太の抱える闇とも違う。

 もっと直接的で、暴力的な匂いのする恐怖が目の前に立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ