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夢とソースの敗北

 キーンコーンカーンコーン。

 四時間目の終了を告げるチャイムは、ある者にとっては解放の音であり、ある者にとっては開戦の合図だ。

「行くぞ野郎ども! ターゲットは購買!」

「おう!」

 俺たちは教室を飛び出した。

 ゴリの突進力、健太の瞬発力、そして俺の判断力。

 完璧な布陣で購買部へと雪崩れ込んだ。


 しかし。


「あー、ごめんねー。焼きそばパン、今さっき売り切れちゃったのよー」

 おばちゃんの無慈悲な宣告が、俺たちの青春を粉砕した。


「嘘だ……嘘だと言ってくれ……」

 ゴリが膝から崩れ落ちた。

「俺の夢……俺のソース……俺の紅生姜……」

 彼は虚空に向かって手を伸ばし、掴めるはずだった未来の幻影を追っている。

「ドンマイ、ゴリ。また明日がある」

 健太は切り替えが早く、すぐに横にあったカレーパンを確保していた。

「ちくしょー! 俺はメロンパンで我慢する!」

 ゴリは涙目でメロンパンを鷲掴みにした。

「湊はどうする? ラーメンでも食うか?」

 健太が聞いてくる。

「ああ、俺は学食で済ませるよ。お前らは?」

「俺たちは教室でパン食うわ。ゴリを慰めなきゃならねえしな」

「おう、わかった。じゃあ後でな」


 俺は二人に手を振り、パンを買わずに急いでその場を離れた。

(……悪いな、二人とも)

 俺には、パンよりも重要なミッションがあったのだ。


 俺は健太たちが帰ってくる前に教室に戻ると、自分の席ではなく、前方へ向かった。

 そこでは、美咲ちゃんが珍しく一人でお弁当包みを開こうとしていたところだった。

「……美咲ちゃん」

 小声で呼ぶと、彼女はパッと顔を上げた。

「あ、湊くん。お疲れ様。……パン、買えた?」

「いや、全滅だった。……でさ」

 俺は周囲を伺いながら、少し身を乗り出した。

「よかったら、学食行かないか? 向こうなら空いてる席あるし」

「えっ、一緒に?」

「うん。……ダメかな?」

 教室で食べると、どうしても健太やゴリに茶化される。

「湊ー! 愛妻弁当かよー!」なんて冷やかされたら、せっかくの食事が台無しだ。

 美咲ちゃんは少し驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んで、お弁当箱を抱きしめた。

「うん! 行く!」


 学食の端っこ。

 観葉植物の陰になっている二人掛けのテーブル席。

 そこは喧騒から少し離れた、俺たちだけの特等席だった。

 俺は食券で買ったきつねうどんを啜り、美咲ちゃんは可愛らしい弁当箱を広げている。

「見て見て、今日は卵焼き、ハート型にしてみたの」

「うわ、すげぇ。器用だな」

「湊くんにもあげる。はい、あーん」

「えっ、ここで!?」

「誰も見てないよ? こういうのが狙いでここ選んだんじゃないの?ほら」

 彼女が黄色い卵焼きを箸で摘んで差し出してくる。

 俺は周囲をキョロキョロと確認し、意を決してパクりと食べた。

「……ん、美味い」

 甘い出汁の味。

 コンビニパンや、結愛の作る完璧すぎる料理とは違う、素朴で優しい味がした。

「ふふ、よかった。……ねえ、午後の授業、眠くなりそうだね」

「違いない。歴史だしなぁ」

 うどんの湯気の向こうで、美咲ちゃんが笑っている。

 俺はこの時間がずっと続けばいいのにと思いながら、温かいスープを飲み干した。


 五時間目、歴史。

 満腹になった胃袋に血液が集まり、脳みその機能が著しく低下する魔の時間帯だ。

 担当は、新任の若い男性教師、佐藤先生。

 彼は「歴史を面白く!」をモットーにしているらしいが、その情熱はいつも空回りしていた。


「えー、はい。ここテストに出るぞー」

 サトセンがチョークを回しながら、やたらと高いテンションで喋っている。

「この時代の文化はね、まさに『華やか』だったわけです。……中華だけにね! なんちゃって!」

 シーン。

 教室の空気が凍りついた。

 誰も笑わない。

 誰も反応しない。

 ただ、窓の外でカラスがカァと鳴いた。

「……あれ? 今の結構自信あったんだけどなー。コロンブスもビックリの発見だと思ったんだけど……コロンブスだけに転ぶっす! ……はい」

 サトセンは一人でノリツッコミをして、咳払いをした。

「めげずに次行くよー。……このフランシスコ・ザビエルなんだけどね、彼が伝えたのはキリスト教だけじゃないんだよ。……アイも伝えたんだ! ……ザビエルだけに、わびザビ(侘び寂び)があるねぇ!」


「……ふぁ」

 健太が船を漕ぎ始めた。

 ゴリに至っては、教科書を枕にして完全に熟睡モードに入っている。

 俺も瞼が重い。

 サトセンのサムいダジャレが、逆に一定のリズムとなって眠気を誘う子守唄のように聞こえてくる。

(……ダメだ、意識が……)

 俺はシャーペンを握りしめたまま、必死に睡魔と戦った。

 窓から差し込む午後の日差しが、チョークの粉をキラキラと照らしている。

 平和で、退屈で、どうしようもなく幸せな午後の授業だった。

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