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上の空

 ピンポーン。

 日曜日の午後。軽やかなチャイムの音が響いた。

 俺は少し緊張しながら玄関のドアを開けた。

「あ、湊くん。……こんにちは」

 そこには、私服姿の美咲ちゃんが立っていた。

 クリーム色のニットにロングスカート。学校のジャージ姿とは違う、大人びた雰囲気にドキッとする。

 だが、彼女の表情は少し硬い。

 無理もない。ここには、結愛がいるのだから。

「いらっしゃい、美咲ちゃん。入って」

 俺が招き入れようとした時、背後からスリッパの音が近づいてきた。

 「あら、いらっしゃい。美咲ちゃん」

 美咲ちゃんの肩がビクリと跳ねた。

 現れたのは、淡いピンクのエプロンをつけた結愛だった。

 彼女は美咲ちゃんを見ると、ふわりと柔らかく微笑んだ。

「先日はどうも。……体育祭の時は、ちょっと大人気なかったね。ごめんね?」

「え……あ、いえ……」

 美咲ちゃんは目を白黒させている。

 予想していた「魔女」ではなく、話のわかる「優しいお姉さん」がいきなり謝罪してきたからだ。

「湊くんから聞いてるよ。仲良くしてるんだってね。……弟くんのこと、よろしくね?」

「は、はい! こちらこそ……!」

「ふふ、じゃあ上がって。冷たいお茶用意するね」

 結愛は完璧な所作で美咲ちゃんを迎え入れた。

 その姿には、あの公園での恫喝も、グラウンドでの執着も、欠片も見当たらなかった。

 美咲ちゃんは俺を見て、小声で「……本当にあのお姉さん?」と耳打ちした。

「……ああ。最近はずっとこうなんだ」

 俺は複雑な気持ちで頷くしかなかった。


 通された俺の部屋。

 結愛は高級そうなクッキーと紅茶を運んできてくれた。

「ごゆっくり。……若い二人の邪魔はしないから、安心してね」

 彼女は意味深にウィンクをして、パタンとドアを閉めた。

 足音が遠ざかり、隣の部屋のドアが閉まる音がする。

 完全な二人きりの空間。

 本来なら、待ちに待った天国のような時間のはずだ。

 「……ふぅ。緊張したぁ」

 美咲ちゃんが息を吐いて、ベッドの縁に座った。

「お姉さん、なんか雰囲気変わったね。もっとこう……怖い感じかと思ってた」

「ああ、なんか改心したみたいでさ。干渉してこなくなったんだ」

「そっか。よかったね、湊くん」

 美咲ちゃんは嬉しそうに笑い、部屋の中を見回した。

「へぇー、これが湊くんの部屋かぁ。なんか男の子って感じ」

「散らかっててごめん」

「ううん、落ち着く匂いがする」

 彼女は楽しそうだ。

 俺の本棚を見たり、机に置いてある小物を触ったりしている。

 俺も彼女との会話を楽しもうとした。

「これ、中学の時に買ったやつで……」

 説明をしながらも、俺の意識の半分は、常に「背後」に向いていた。

 壁。

 この薄い壁の向こうに、結愛がいる。

 彼女は今、何をしている?

 聞き耳を立てているのか?

 それとも、本当に興味を失って、ヘッドホンをして音楽でも聴いているのか?

 以前なら、絶対に聞き耳を立てていたはずだ。

 そして我慢できずに乱入してきて、「お菓子のおかわりどう?」なんて邪魔をしてきたはずだ。

 だが、今は静かだ。

 あまりにも静かすぎる。

 その静寂が、俺には「俺たちのことなんてどうでもいい」という無言のメッセージに思えて、胸がざわついた。


「ねえ、湊くん?」

「……え? あ、ごめん。なんだっけ」

「もう、聞いてないじゃん」

 美咲ちゃんが頬を膨らませた。

「ごめんごめん。ちょっとボーッとしてて」

「……何考えてたの?」

「いや、明日の小テストのこととか……」

 嘘だ。

 俺は今、隣の部屋から聞こえた椅子を引くような音に気を取られていた。

 結愛が動いた。何をする気だ?リビングに行くのか?それともこっちに来るのか?

 期待と不安が入り混じったドロドロした感情が、俺の思考を占拠していた。

 美咲ちゃんが、じっと俺を見つめている。

 その視線は、出会った頃のような怯えたものではなく、猫のように鋭い観察眼だった。

「……湊くんさ」

 彼女の声のトーンが少し下がった。

「ずっと、ドアの方ばっかり見てるね」

「えっ」

 ドキリとした。

「見てないよ。気のせいだって」

「見てるよ。私と話してるのに、心ここにあらずって感じ」

 彼女は俺の手を握った。その手は少し震えているようだった。

「……お姉さんが、気になる?」

 核心を突かれた。

 俺は動揺を隠そうと必死に取り繕った。

「違うよ! ただ、また邪魔しに来るんじゃないかって警戒してただけで……」

「本当に?」

 美咲ちゃんの瞳が、俺の奥底にある醜い依存心を見透かすように細められた。

「邪魔されたくないって思ってる? それとも……」

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