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真夏の太陽とすり抜ける真実

 佐倉のリュックの中でデグーがチチチッと鳴くたびに背後で綾目先生がビクッと肩を揺らしているのがわかる。


「待って!置いてかないで!」


 俺たちが歩き出した途端に綾目先生が情けない声を上げて、俺のシャツの裾をギュッと掴んできた。


「なんですか、離してくださいよ」


「一人で帰るの怖いから一緒に行かせてぇ……!」


 大の大人が、しかも教師が教え子に泣きつくなんて前代未聞だ。


「先生は大人でしょう。自分の足で帰ってください」


 佐倉が振り返り、氷のように冷たい声で切り捨てるが、綾目先生は涙目で首を勢いよく横に振る。


「だってまたあんなネズミが出たらどうするの!ここ薄暗くて怖いし」


「ネズミではなくデグーです」


「どっちでもいいの!お願いだから出口まで一緒に行かせて……」


 完全に教師としての威厳もプライドも投げ捨てたその姿に俺は頭を抱えたくなった。


 結局俺たちはなぜかポンコツ教師を引き連れて、旧校舎の薄暗い廊下を歩く羽目になった。


 先頭を歩く佐倉は完全に無言のままスタスタと冷たい足音を響かせて進んでいく。


 俺の背後には怯えきった綾目先生がぴったりとくっついて離れない。


 少しでも古い床板が軋む音が鳴るたびに「ひっ!」と短い悲鳴を上げて俺の背中に隠れようとする。


「先生、近すぎます……歩きにくいんですが」


「ごめんね、湊くん……でも離れたら食べられちゃうかもしれないし」


「デグーは草食ですよ。大体勝手に閉じ込めたのが悪いでしょう」


 そんな漫才のようなやり取りを繰り返しながら、俺たちは埃っぽい階段を上りようやく旧校舎の出口へとたどり着いた。


 重い扉を押し開けると真夏の刺さるような日差しが一気に俺たちを包み込んだ。


 グラウンドからは野球部の活気ある声が聞こえ、蝉時雨が容赦なく耳を打つ。

 そこには俺たちがよく知っている明るくて平和な日常が広がっていた。


「あ、明るい……助かったぁ……」


 綾目先生がへなへなとその場に座り込み、安堵の息を長く吐き出す。


 俺は眩しい太陽から目を細めながら隣に立つ佐倉を見た。


 彼女は無表情のままリュックの肩紐をきつく握りしめている。


 その中には巨大なデグーとそして彼女が決して語ろうとしない秘密が眠っているのだ。


 ポンコツ教師のおかげで毒気を抜かれはしたが、俺たちの抱える問題は何も解決していない。


「あーもう、本当に寿命が縮んだ!」


 綾目先生は乱れたカーディガンを整えながら大きく背伸びをした。


「じゃあ私職員室に戻るから!二人とも気をつけて帰りなさい」


 彼女はすっかりいつもの教師の顔を取り戻し、足早に新校舎の教職員入り口へと向かって去っていった。


 嵐のように現れて嵐のように去っていくポンコツ教師の後ろ姿を見送って、俺はやれやれと肩をすくめた。


「さてと……俺たちも帰るか」


 俺がそう言って裏門の方へ歩き出そうとすると、佐倉は全く違う方向へ体の向きを変えた。


「私は教室へ寄っていきます」


「は?教室って……まだ学校に用があるのかよ」


「ロッカーに参考書を置き忘れてしまったんです。夏休みの課題を進めるのに必要不可欠なので」


 優等生らしい模範的な理由だが、この状況でよくそんな冷静でいられるものだと感心してしまう。


「仕方ないな。俺も付き合うよ」


 一人で帰るのもなんだか気まずくて俺は彼女の横に並んで歩き出した。


 グラウンドから聞こえる野球部の金属音が夏の空に高く響いている。


 俺たちは並んで新校舎へと続く渡り廊下を歩いていた。

 太陽の光を反射するガラス窓が眩しい。


「なあ佐倉」


 俺はずっと心に引っかかっていた疑問を口にするタイミングを計っていた。


「あのさ……地下で見つけたあのシルバーリングのことなんだけど」


 俺が核心に触れようとした瞬間、佐倉はふと立ち止まり、中庭の花壇に咲く向日葵を見つめた。


「湊くん。向日葵が太陽の方向を向いて咲くのは成長ホルモンのオーキシンが光を避ける性質を持っているからだということを知っていますか」


「は?いや、そんな理科の授業みたいな話じゃなくて……」


「光が当たらない側の茎がより成長することで結果的に花が太陽の方へ曲がるんです。自然の摂理というのは非常に合理的で美しいと思いませんか」


 彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめ返し、全く隙のない早口でそうまくしたてた。


「だからあの指輪が誰の……」


「そういえばこのデグーの飼育環境を整える必要がありますね。ケージやチモシーなどの適切な餌を用意しなければなりません。帰りにホームセンターへ同行してもらえませんか」


 見事なまでの話題のすり替えだった。


 俺の質問を完全に無視するわけではなく、あくまで論理的に会話の主導権を奪い取っていく。


 強引に話を打ち切るのではなく、煙に巻くようなその手法に俺はこれ以上踏み込むことができなかった。


 これが頭の回る優等生の防衛術か。


 俺は小さくため息をつき、追及することを諦めた。


「……わかったよ。さっさと参考書取りいこう」


「ありがとうございます。お利巧な判断に感謝します」


 佐倉は微かに口角を上げ再び歩き出した。


 誰もいない夏休みの校舎は、旧校舎のような不気味さはないもののどこか時間が止まったような独特の静寂に包まれている。


 誰もいないはずの教室のドアをスライドさせると、静寂の中にカリカリという硬い音が響いていた。


 夏の強い日差しが斜めに差し込む中央らへんの席。


 そこに一人座って分厚い参考書とノートに向かっている見慣れた後ろ姿があった。


 エアコンの微風に綺麗な髪が揺れている。


「あれ、雪乃宮さん?」


 俺が思わず声を上げると、ノートの上を走っていたシャーペンの音がピタリと止まった。


 ゆっくりと振り返った彼女は涼しげな目元を少しだけ見開き、俺とそして隣に立つ佐倉を交互に見つめた。


「……湊くん。それに」


 雪乃宮さんが静かに口を開きかけたその時だった。


 俺の隣に立っていた佐倉の纏う空気が急激に冷え込んでいくのがわかった。


 先ほどまで俺を論理的な理屈で煙に巻いていたあの冷静沈着な優等生のオーラが完全に消え去っている。


「あれ、雪ちゃんいたんだ。流石だね!」


 佐倉の口から飛び出したのはひどく明るくテンションの高い声音だった。


 しかしその声の裏には明らかな棘と冷たい嫌味が隠されているのが俺の耳にもはっきりと伝わってきた。


「夏休み中もずっと一人で教室にこもって勉強だなんて、本当に頭が下がるわ。その調子なら次の模試も学年トップは安泰ね」


 さっきまでの理路整然とした口調はどこへ行ったのか。


 佐倉はわざとらしいほどの笑顔を浮かべて、雪乃宮さんを見下ろすように歩み寄る。


「……佐倉さん。あなたこそこんな時間に学校で何をしているのかしら」


 雪乃宮さんも全く怯むことなく、氷のように冷たい声で真っ向から応戦した。


「私はただロッカーに参考書を取りに来ただけよ。わざわざ湊くんに付き合ってもらってね」


 佐倉が俺の存在を強調するようにチラリとこちらへ視線を送る。


 リュックの中でデグーがチチチッと微かに鳴いたが二人の間の張り詰めた空気のせいで俺は動くことすらできなかった。


 優等生と氷の女王。


 どうやらこの二人の間には俺の知らないかなり根深い因縁やライバル関係があるらしい。

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