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ポンコツの種明かし

 スマホのライトがボイラーの無残な残骸を照らし出す。


 錆びた鉄の巨体の奥底に、周囲の腐食とは明らかに質の違う光沢があった。


「……あった」


 佐倉の声が暗闇の中で小さく弾んだ。

 彼女は俺の手をそっと離すと、瓦礫の隙間に細い腕を差し込んだ。


 引きずり出されたのは小ぶりだが重厚な造りの金属製の金庫だった。


 こんな湿り気の多い地下室に放置されていたにもかかわらず、その表面には埃一つ付いていない。


 まるで誰かがつい最近まで、ここで大切に保管していたかのように。


 「佐倉、それ……」


「私の探していた『真実への、最後の関門です」


 彼女は金庫を床に置き、その前に跪いた。

 スマホの明かりを頼りに彼女の指先がダイヤルへと伸びる。


 だが、その指は目に見えて激しく震えていた。


 カチ、カチという乾いた音が静まり返ったボイラー室に響く。


 佐倉は迷うことなく、特定の数字へとダイヤルを合わせていく。


 なぜ、彼女はこの暗証番号を知っているのか。


 俺の脳裏に浮かんだ疑問を遮るように、最後の一振りが重厚な手応えを返した。


 ガチリ。


 重い金属の爪が外れる音がして金庫の扉がゆっくりと手前に開いた。


 俺は思わず身を乗り出し、金庫の中を覗き込んだ。


 札束や物騒な書類が出てくるものとばかり思っていた俺の予想は鮮やかに裏切られた。


 暗闇の中から現れたのは小さなベルベットの箱だった。


 佐倉がそれを手に取り、蓋を開ける。


 スマホの白い光を反射して、一つのシルバーリングが鈍く輝いた。

 装飾のない、至ってシンプルな銀の指輪。


 だが、それを見つめる佐倉の瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。


「……それは、誰の物なんだ?」


 俺の問いに地下室の冷たい空気が一瞬で凍りついたような気がした。


 佐倉は指輪をきつく握りしめ、再びあの冷徹な優等生の仮面を被り直した。


 「……答える必要はありません」


「おい、ここまで一緒に来たんだぞ。それくらい教えろよ」


 少しだけ呆れたような俺の言葉に彼女は微塵も揺らがなかった。


「湊くん。あなたを巻き込んでおいて勝手だとは承知していますが、これ以上は私の問題なのです」


 彼女は指輪を大切そうにリュックの奥へと仕舞い込んだ。


「これの持ち主を知ることは、あなたにとって何の利益もありません。いえ、むしろ……」


 彼女は言葉を切り、再び俺の手を握った。


 だが、その握り方は先ほどまでの助けを求めるような弱々しいものではなかった。


「行きましょう。もう、ここに用はありませんから」


 俺たちはシルバーの指輪という新たな謎を抱えたまま、再び光の届かない地下の迷宮を出口へと向かって歩き出す。


 カビ臭い階段を上り、地下ボイラー室の重い鉄扉に手をかけた。


 佐倉の背負うリュックからは時折チチチッというデグーの鳴き声が聞こえる。


 俺は大きく息を吸い込み、力を込めて扉を押し開けた。


 ギィィという音と共に地下の暗闇に一気に薄暗い廊下の光が差し込んでくる。


 スマホのライトに慣れきっていた俺の目はその逆光に一瞬眩み思わず腕で顔を覆った。


 だがその光の中に一つのシルエットが立ちはだかっているのにはすぐに気がついた。


 薄い色のカーディガンにふんわりとしたスカート。


 俺たちをあの埃まみれの準備室に閉じ込め化け物の生贄にしようとした狂気の教師だ。


 綾目先生が両手を前に組んで静かにそこに立っていた。


「あんた……よくも俺たちをあんな目に!」


 俺は怒りに任せて怒鳴りつけようと一歩前に踏み出した。


 あの得体の知れない微笑みの裏にある本性を暴いてやるつもりだった。


 しかし俺の怒号が旧校舎の廊下に響き渡るより早く信じられない光景が目の前に広がった。


「ご、ごめんなさい!」


 綾目先生が勢いよく腰を折り90度の角度で深々と頭を下げてきたのだ。


「……ん?」


 俺の口から間の抜けた声が漏れ振り上げた拳の行き場が完全になくなってしまった。


「本当にごめんなさい!怪我はない!?無事だった!?」


 顔を上げた綾目先生の瞳には涙がうっすらと浮かび、声は情けないほどに震えていた。


 先ほどまでのあの不気味で底知れないオーラは跡形もなく消え去っている。


「いや……無事だけど。あんた、なんで俺たちをあそこに閉じ込めたんだよ」


「ち、違うの!閉じ込めようとしたわけじゃないの!」


 綾目先生はぶんぶんと首を横に振りながら涙声で弁明を始めた。


「私……ネズミとかそういう這い回る小動物が本当に本当に大の苦手で……!」


「ネズミ嫌い?」


「そうなの!ロッカーがガタガタ鳴り出した時もう怖くて頭が真っ白になっちゃって……!」


 俺と佐倉は顔を見合わせただ呆然とその言い訳を聞いていた。


 つまり、ロッカーで飼っているという推理は勘違いだったということか。

「じゃああの『お腹が空いたのね』って不気味なセリフは……」


「あれはただの強がりっていうか……!生徒の前でパニックになってるのを見せたくなくて必死に取り繕おうとしたら口が上手く回らなくてあんなホラー映画みたいな変なこと言っちゃったの!」


 つまり彼女は狂気でも何でもなくただ極度のネズミ恐怖症だったのだ。


 パニックに陥り無意識にドアを閉めて逃げ出してしまったというあまりにもマヌケな理由だった。


「そんな理由で生徒を見殺しにするなよ……」


 俺が深くため息をつくと佐倉のリュックからひょっこりと巨大なデグーが顔を出した。


「ひっ……!」


 綾目先生は短い悲鳴を上げて俺の背後に隠れるようにしゃがみ込んでしまった。


 終わらない夏休みの旧校舎を覆っていた恐ろしい怪談サスペンスは一人のポンコツ教師の極度のネズミ嫌いによって見事に崩れ去ってしまった。


 佐倉は呆れ果てたように小さくため息をつくと、背負っていたリュックの紐を直した。


「大人らしくない大人ですね。……行きましょう、湊くん」


 彼女は完全に綾目先生をいないものとして扱い、旧校舎の出口へと冷たく背を向けた。


 俺もこのポンコツ教師にこれ以上付き合う気になれず、佐倉の後を追って歩き出そうとする。


 だが数歩進んだところで佐倉がピタリと足を止めた。

 彼女はゆっくりと振り返り床にへたり込んでいる綾目先生を見下ろした。


 その瞳には優等生特有の鋭い理知の光が宿っている。


「綾目先生。一つだけ腑に落ちない点があります」


「えっ……な、なにかな佐倉さん」


「先生はあのロッカーがガタガタと鳴り出した時、中身がネズミだとあたりをつけて怯え、私たちを閉じ込めて逃げ出しましたね」


 佐倉の冷徹な声が薄暗い廊下に響く。


「しかしあの時点ではまだ南京錠は壊れておらず、扉は開いていませんでした。中身が見えない状態だったのになぜ先生はそれが自分の苦手なネズミだと確信できたのでしょうか」


 その指摘に俺はハッと息を呑んだ。


 確かにそうだ。


 俺たちはあの激しい音を聞いて得体の知れない化け物か狂人が入っているのだとばかり思っていた。


 なのに綾目先生だけはピンポイントでネズミの存在に怯えていたのだ。


 俺と佐倉の冷ややかな視線を浴びて綾目先生の顔からさーっと血の気が引いていく。


「あ、あのね……それはその……」


 彼女は視線を泳がせもじもじと指先を弄り始めた。


「実は……あなたたちが旧校舎に来る少し前に私あの準備室の見回りに入ったの」


「それで?」


「そしたら部屋の隅にすっごく大きくて丸々と太ったネズミみたいなのがいて……!」


 綾目先生は思い出しただけでも恐ろしいというように身震いをした。


「パニックになっちゃって!無我夢中で近くにあったモップでその子を隅に追いやったらちょうど開いてたあの古いロッカーの中に逃げ込んだの!」


「……まさか」


 俺の顔が引きつるのを感じた。


「そのままバンッて扉を閉めて!絶対に外に出てこないようにたまたまポケットに入ってた南京錠をガシャンってかけちゃったのよぉ……!」


 涙目で告白されたその衝撃の事実に俺と佐倉は完全に言葉を失った。


 つまり開かずのロッカーなんていう恐ろしい学校の怪談は存在しなかったのだ。


 ただ数十分前にこのポンコツ教師が巨大なデグーにビビッてロッカーに封印しただけだった。


 俺たちが命がけで挑んだ密室の怪異の正体があまりにもお粗末すぎて頭が痛くなってくる。


「……あなたという人は」


 佐倉が今日一番の深い溜め息を旧校舎の廊下に吐き出した。


 終わらない夏休みのミステリーは一人の教師のパニックによってとんでもない茶番劇へと変貌を遂げていたのだった。

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