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共犯者の契約

 乾燥機の低いモーター音が深夜の店内に単調なリズムを刻んでいた。


 並んで座るプラスチックのベンチはひんやりとしていて、濡れたズボンの気持ち悪さをさらに強調してくる。


 俺は回るドラムの奥を見つめたまま誰にともなく口を開いた。


「俺さ……一番大切にしなきゃいけない人を傷つけちゃったんだ」


 口に出すと自分の犯した罪の重さが改めて胸にのしかかってくる。


「自分勝手で弱くて、最低な理由で取り返しのつかない裏切りをした」


 結愛の狂気に屈して自分からキスをしたことなんて絶対に言えない。


 それでもこの見知らぬ優等生になら、抽象的な罪の告白くらいは許されるような気がしていた。


 佐倉は俺の顔を見ようとはせず、真っ直ぐ前を向いたまま静かに耳を傾けている。


「もうどうやって謝ればいいのかもわからないし、謝る資格すらないんだ」


 俺の情けない声がコインランドリーの無機質な空間に溶けて消える。


 しばらくの沈黙の後で佐倉がぽつりと口を開いた。


「……私も同じですよ」


 その声はいつもの理路整然としたトーンではなくどこか儚く揺れていた。


 俺が驚いて隣を見ると彼女は自分の膝の上で両手をきつく握りしめている。


「私も……大切なものを守るために、学校にいました」


 彼女の横顔には学校で見せる完璧な優等生の仮面はなかった。


「でも結局のところそれは、自分の弱さや過去から逃げているだけなのかもしれません」


 彼女が何を守ろうとしているのか俺には全く見当もつかない。


 夜の学校に忍び込むほどの執着と秘密。


 この生真面目な佐倉という少女も、俺と同じように誰にも言えない重い何かを抱えているのだ。


 ずぶ濡れの服が乾くのを待つこの奇妙な停滞の時間の中で俺たちは互いの深い傷跡に少しだけ触れ合った。


 外ではまだ激しい雨が街を打ち据えている。


 重苦しい秘密の共有は深夜のコインランドリーの温かい空気にゆっくりと溶けていった。


 蛍光灯が煌々と照らすこの無機質な空間だけはまるで世界から切り離された安全地帯のようだった。


 乾燥機がゴウンゴウンと低く単調な音を立てて回り続けている。


 俺は濡れたズボンの不快感をごまかすように、プラスチックのベンチから立ち上がって大きく伸びをした。


「あーあ。こんな時間まで家に帰らないなんていつ以来だろうな」


「私は初めての経験ですよ?」


 佐倉もベンチから立ち上がり少しだけ強張っていた肩の力を抜くように息を吐いた。


 彼女の視線がふと部屋の隅に置かれているキャスター付きの大きなランドリーカートに止まる。


 洗濯物を大量に運ぶための金属製の頑丈なカゴだ。


「あれ」


 佐倉がポツリと呟き細い指先でそのカートを指差した。


「乗れそうな構造をしていますね」


 その生真面目な口調と飛び出した突拍子もない言葉のギャップに俺は思わず目を丸くした。


 「は?お前何言って……」


 俺がツッコミを入れるより早く佐倉はスッとカートに近づいた。


 そして濡れた制服のスカートを少しだけ持ち上げると、長い脚を軽々と跨がせてその無骨なカゴの中にすっぽりと収まってしまったのだ。


 コンビニの安い無地Tシャツ姿でランドリーカートの中にちょこんと座る優等生。


 そのあまりにもシュールな光景に俺は腹の底から笑いが込み上げてくるのを止められなかった。


「ぷっ……あははははっ!それ、最高に似合わないな!」


「笑わないでください。物理的に可能かどうか検証しただけです」


 佐倉は少しだけむっとしたように唇を尖らせたが、その頬は微かに朱に染まっていた。


「わかったわかった。じゃあ検証の続きを手伝ってやるよ」


 俺は笑いながらカートの縁に手を掛けた。


「しっかり捕まってろよ」


 言うが早いか俺はカートを勢いよく押し出した。


 「きゃっ……!」


 佐倉の短い悲鳴が深夜の店内に響く。


 キャスターがリノリウムの床を滑るカラカラという軽快な音が乾燥機の音に重なった。


 俺は狭い店内を器用にカーブしながら、彼女を乗せたカートを右へ左へと走らせる。


「ちょっ……速いです!危険です!」


 口では文句を言いながらもカゴの縁を握りしめる佐倉の表情は今まで見たこともないくらいに明るくほころんでいた。


「次は俺の番な!」


 俺がカートを止めると、今度は俺がカゴの中に乗り込み佐倉が背中を押す番になった。


「小学生みたいな遊びですね」


 そう言いながらも佐倉は俺を乗せたカートを思い切り押し出す。


 俺たちはまるで親の目を盗んで夜更かしをする子供のように、誰もいない明るい密室で声を上げて笑い合った。


 洗剤の甘い匂いと蛍光灯の眩しい光。

 結愛の狂気も美咲ちゃんへの罪悪感も明日への不安も。


 すべてを外の冷たい雨の中に置き去りにして俺たちはこの瞬間だけただの馬鹿な高校生に戻っていた。


 深い夜の底に沈むコインランドリー。


 そこは傷ついた俺たちが偶然見つけた絶対に誰にも邪魔されない魔法のような非日常の遊び場。


 はしゃぎすぎた俺たちは息を切らして再びプラスチックのベンチに並んで座り込んだ。


 乾燥機の低いモーター音が心地よいBGMのように響いている。


 深夜のコインランドリーでの馬鹿げたカート遊び。


 それはまるで熱に浮かされたような魔法の時間だった。


 俺の胸の中に渦巻いていた自己嫌悪や絶望の泥水はいつの間にかすっかり引いていた。


「はぁ……笑いすぎて腹が痛い」


 俺が天井を仰ぎながら呟くと隣で佐倉が小さく息を整える音が聞こえた。


 「本当に変な時間の使い方でした」


 佐倉の言葉はいつもの優等生らしい硬いものだったが、その声には確かな温もりが宿っていた。


 彼女は濡れたまま少し乾き始めた前髪を指先で整える。


 そしてふと真剣な眼差しを俺に向けてきた。


 その瞳の奥にはさっきまでの悪戯っぽい光はもうない。


 深い夜の底に沈むような静かで切実な光だった。


「湊くん」


 初めて名前で呼ばれたことに俺は少しだけ驚いて姿勢を正した。


 「私の探し物……明日手伝ってくれませんか」


 佐倉は自分の膝の上で両手をきつく握りしめながらそう切り出した。


「探し物って……あんたが夜の学校で探してたやつのことか?」


 俺が聞き返すと彼女は静かにこくりと頷いた。


「はい。私一人ではどうしてもたどり着けない場所があるんです」


 優等生の彼女がこんな夜更けに学校へ忍び込んでまで探さなければならないもの。


 それはただの落とし物や忘れ物などではないことくらい俺にも容易に想像がついた。


 学校がひた隠しにする過去の事件なのか、それとも彼女自身の重い秘密なのか。


 「誰にも言えない秘密なんです」


 佐倉の言葉はどこか怯えているようにも聞こえた。


「でもあなたになら……同じように深い傷を抱えているあなたになら頼める気がしました」


 俺は彼女の真っ直ぐな視線を受け止めた。


 今の俺にはもう美咲ちゃんと過ごすはずだったキラキラした夏休みの予定はない。


 家に帰れば狂気に満ちた義理の姉が待ち構えているかもしれない最悪の日常が待っているだけだ。


 だったらこの見知らぬ優等生の抱えるミステリに飛び込んでみるのも悪くない。


「わかった。俺で力になれるなら手伝うよ」


 俺がそう答えると、佐倉の顔にふわりと安堵の笑みが浮かんだ。


 ピーッという乾燥機の終了音が深夜の店内に響き渡る。


 魔法の時間は終わり、俺たちは新たな秘密を共有する共犯者として終わらない夏休みの次なる扉を開いた。

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