消えない十字架
俺は耐えきれず逃げるようにして自室へと駆け込んだ。
バタンとドアを閉めて荒い息を吐き出す。
そのままベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されて思考がまとまらない。
美咲ちゃんへの罪悪感と結愛の重すぎる愛情が渦を巻いている。
仰向けに寝返りを打ち暗い天井を見上げた。
ポケットのスマホは相変わらず沈黙を保ったままだ。
このまま待っていても事態は何も好転しない。
義母さんの言葉が脳裏に蘇る。
女の子は待っているだけじゃ不安になる生き物だ。
俺はベッドの上で激しく葛藤した末に一つの答えを導き出した。
美咲ちゃんの家に行こう。
今すぐ夜の街を全力で走って彼女に直接会いに行って誤解を解くんだ。
俺は意を決してベッドから勢いよく跳ね起きた。
急いで部屋を出ようとドアノブに手を伸ばしたその瞬間だった。
ガチャリ。
俺が触れるよりも早く外からドアが開かれた。
「……結愛?」
そこに立っていたのは少しだけ息を弾ませた結愛だった。
彼女は俺の顔を見るとふわりと艶やかに微笑んだ。
そして部屋の中に一歩足を踏み入れる。
カチャリ。
俺の目の前で彼女は背手でドアの内鍵を閉めたのだ。
「な、なんで鍵なんて……」
俺が完全に思考を停止して後ずさったその時だった。
結愛が信じられないほどのスピードと力で俺の胸に飛び込んできた。
ドンッ。
「うおっ!」
不意を突かれた俺はバランスを崩してそのまま後ろのベッドへと倒れ込んだ。
スプリングが大きく軋む音が部屋に響く。
視界が反転し気がつけば俺はベッドの上に仰向けにされていた。
「……っ」
俺の上に結愛が馬乗りになっていた。
華奢な両手で俺の肩をベッドに強く押さえつけている。
彼女の長い髪がパラリとこぼれて俺の頬をくすぐった。
甘いシャンプーの香りが逃げ場のない密室に充満していく。
「湊くん……どこに行こうとしてたの?」
上から俺を見下ろすその瞳は恐ろしいほどに澄み切っていた。
宣戦布告を終えた彼女にもう迷いや遠慮は一切ないのだ。
「結愛……ちょっと待て!お前は俺の姉ちゃんだろ……!」
俺が必死に義理の姉という事実を突きつけて抵抗しようとする。
妹ではなく年上の姉だからこその抗いがたい圧と大人の熱がそこにはあった。
しかし彼女の瞳に宿る熱は俺の言葉で少しも冷めることはなかった。
「姉弟だからって関係ないよ」
結愛の長い髪がパラリとこぼれて俺の頬をくすぐる。
甘いシャンプーの香りが密室のベッドの上に充満していく。
「湊くんは今から美咲ちゃんのところに行こうとしてたんでしょ」
彼女は俺の行動を完全に見透かしていた。
俺が夜の街を走って本命彼女の元へ向かおうとしたその決意を真っ向からへし折りにきているのだ。
義姉の真っ直ぐで重い愛情が俺の逃げ場を完全に塞いでいく。
「美咲ちゃんのところになんて行かせない」
結愛の顔がゆっくりと近づいてくる。
いつもの笑顔は完全に消え去りそこにあるのは一人の女としての情念だった。
「私の湊くんだもん……絶対に誰にも渡さない」
吐息が混ざり合うほどのゼロ距離。
義理の姉の柔らかい唇が俺の唇を完全に塞ごうと迫ってくる。
俺の脳内でけたたましい警報が鳴り響いていた。
ここで唇を奪われたら俺はもう絶対に美咲ちゃんに顔向けできなくなる。
しかし馬乗りになっている結愛の体重と彼女の放つ甘い香りが俺の理性を激しく揺さぶる。
「んっ……」
結愛の瞳がゆっくりと閉じられ彼女の唇が俺に触れるまであと数ミリ。
俺の抵抗はわずかに間に合わなかった。
結愛の柔らかい唇が俺の唇を完全に塞いだのだ。
頭の中が真っ白になる。
甘いシャンプーの香りと彼女の熱い吐息が俺の全神経を支配した。
義理の姉との唐突すぎるキス。
それはあまりにも暴力的でそしてどうしようもなく甘い感触だった。
だがその直後に俺の脳裏をよぎったのは美咲ちゃんの悲しそうな顔だった。
「んっ……!」
俺は無意識のうちに両腕にありったけの力を込めていた。
馬乗りになっていた結愛の肩を全力で押し返す。
ドンッ。
俺の力に弾き飛ばされるようにして結愛の体が横へと崩れた。
俺は荒い息を吐きながらベッドの上で跳ね起きる。
取り返しのつかないことをしてしまったという強烈な罪悪感が俺の胸を激しく締め付けていた。
「はぁ……はぁ……結愛、お前何してるんだよ!」
俺が声を荒らげて叫ぶ。
ベッドの端に突き飛ばされた結愛はゆっくりと上半身を起こした。
乱れた長い髪の隙間から彼女の表情が見える。
「……痛いなぁ」
結愛は少しだけ顔をしかめてそう呟いた。
しかし彼女は怒っているわけでも泣いているわけでもなかった。
自分の唇を指でそっとなぞりながら心底嬉しそうにフフッと笑っていたのだ。
「突き飛ばされちゃったけど……これで湊くんの唇は私のものだね」
結愛の瞳には暗い執着と圧倒的な達成感が入り混じった異様な光が宿っていた。
俺に拒絶された痛みよりも俺から奪い取ったという事実が彼女の心を満たしているらしい。
狂気を孕んだその笑顔に俺は背筋が完全に凍りついた。
俺の唇にはまだ彼女の柔らかい感触がはっきりと残っている。




