大人の余裕
リビングの空気は完全に義母さんの独壇場となっていた。
少し大きめのはずだったメイド服が彼女の豊満なプロポーションによって恐ろしいほどの完成度を誇っている。
「さあご主人様、食後のコーヒーをお淹れしますね」
義母さんは艶やかな微笑みを浮かべて俺の目の前に立った。
その言葉遣いも所作も完全に本物のメイドそのものだった。
俺は圧倒的な大人の色香とフリルの破壊力に言葉を失いコクコクと頷くことしかできない。
義母さんは楽しそうにくすくすと笑いながらキッチンへと向かい手際よくコーヒーの準備を始めた。
「ちょっとお母さん!それ私が湊くんに着せるために買ってきたお洋服なのに!」
結愛が顔を真っ赤にしてキッチンに立つ義母さんの背中に抗議した。
しかし最強の調停者はどこ吹く風で優雅にコーヒー豆を挽いている。
「いいじゃない結愛。たまにはこういうのも新鮮で楽しいわよ」
「ずるいずるい!湊くんもお母さんばっかり見ないでよ!」
結愛がプクッと頬を膨らませて俺と義母さんの間に割り込んできた。
「私のお母さん取らないで!」
どうやら彼女はメイド姿の義母さんに見惚れていた俺に対して本気でヤキモチを焼いているらしい。
理不尽な矛先が俺に向かってきたことで俺は再び冷や汗を流し始めた。
「そう、じゃあ私は湊くんをもらうわ」
俺の左側から涼しげな声が聞こえた。
気がつけば雪乃宮さんが俺の腕にスッと自分の腕を絡ませていたのだ。
「えっ……雪乃宮さん?」
「あなたが母親に気を取られているなら、その間に湊くんを独占するのが最も合理的でしょ」
彼女は機械的な言葉を一切使わず極めて自然な口調でとんでもないことを言い放った。
そして俺の肩にコトンと自分の頭を乗せてくる。
その洗練されたシャンプーの香りと柔らかな感触に俺の心臓は再び大きく跳ね上がった。
「わ、私の湊くん取らないで!」
結愛が慌てて義母さんから俺の方へと振り返り今度は右腕にギュッと抱きついてきた。
「湊くんは私と一緒に過ごそうね!雪乃宮さんには渡さないからね!」
「あら。結愛さんはお母様と遊んでいるのではなかったの?二兎を追う者は一兎をも得ずよ」
「お母さんも湊くんもどっちも私のなの!」
右に天使で左に氷の女王。
そして目の前にはコーヒーカップを優雅に運んでくる最強のメイド義母さん。
美咲ちゃんからの絶望的な既読スルーをスマホに抱えたまま、俺は家のリビングで繰り広げられるカオスな三つ巴の争いに完全に巻き込まれた。
「ちょっと手洗い行ってくる」
制止の声を無視して何とか逃げ出し、俺は一人で洗面所に向かい、蛇口をひねった。
冷たい水で両手を濡らし顔をバシャバシャと洗う。
鏡に映る自分の顔はひどく疲労困憊していた。
美咲ちゃんからの既読スルーという最大の懸案事項が未だに俺の心を重くしている。
誤爆とはいえあんな変態女装写真を見られたのだ。
このまま明日を迎えるなんて絶対に無理だ。
水滴が顎からポタポタと落ちていくのを見つめながら俺は深い溜め息をついた。
「あら。そんなにため息をついてどうしたの?」
突然背後から声がして俺はビクッと肩を揺らした。
鏡越しに視線を上げるとそこにはまだあのフリフリのメイド服を着た義母さんが立っていた。
「お、お義母さん……まだそれ着てるんですか」
「ええ。結愛たちがリビングであなたの取り合いをしているからそっと抜け出してきたの」
義母さんは悪戯っぽく微笑みながら俺の隣に並んだ。
その洗練された大人の余裕とメイド服というアンバランスさが相変わらず凄まじい破壊力を持っている。
俺は目のやり場に困ってタオルで顔をゴシゴシと拭いた。
「湊くん。あなた何か隠し事をしてるわね?」
義母さんの声は優しかったがその瞳は俺の心の奥底まで全てを見透かしているようだった。
「えっ……隠し事なんて……」
「ふふっ。私を誤魔化せると思わないことね」
義母さんはメイド服のフリルを軽く揺らし、手を腰の後ろで組みながら俺の顔を覗き込んだ。
「女の子たちを泣かせちゃダメよ?」
その言葉に俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
義母さんが言う「女の子たち」が誰を指しているのかはわからない。
リビングで争っている結愛と雪乃宮さんのことかもしれない。
あるいは俺のスマホの向こう側で沈黙を貫いている美咲ちゃんのことかもしれない。
「本当に大切なものはちゃんと自分の手で捕まえておきなさい」
義母さんは俺の肩をポンと優しく叩いた。
「女の子はね。待っているだけじゃ不安になっちゃう生き物なのよ」
その一言が俺の胸に深く突き刺さった。
そうだ。
俺は美咲ちゃんからの連絡をただ怯えながら待っているだけだった。
誤爆写真の言い訳をするのが怖くて逃げていたのだ。
「……ありがとうございますお義母さん」
俺が小さな声で言うと最強のメイドは満足そうに微笑んだ。
「どういたしまして、ご主人様」
義母さんはメイドらしく優雅に一礼すると、再びリビングの方へと足を動かす。
俺はポケットの中のスマホを強く握りしめた。




