理性の崩壊
画面は静まり返ったままだった。
美咲ちゃんからのメッセージは一向に来ない。
水族館デートの激甘な雰囲気から一転してこの状況だ。
その重すぎる沈黙が俺の精神をゴリゴリと削っていく。
ピコン。
静寂を破るように通知音が鳴り響いた。
俺はすがるような思いで画面を覗き込む。
『ぎゃはははは!何これウケるんだけど!湊、ついにそっちの扉開いたわけ!?笑』
送られてきたのは灰からの容赦ない爆笑メッセージだった。
あいつはこういう時、絶対にデリカシーというものを持たない。
涙を流して笑うスタンプまで連打してきて完全に俺をからかって楽しんでいる。
灰の草生い茂るメッセージの連続が俺の羞恥心をさらに煽り立てた。
違うんだと叫びたい。
俺は断じてそういう趣味に目覚めたわけじゃないんだ。
「あはは。灰ちゃんすっごく笑ってるね」
俺のスマホを覗き込んだ結愛がのんきな声を上げた。
「でも美咲ちゃんからは何も来ないね。もしかして湊くんの可愛さにショック受けちゃったのかな?」
笑顔でとんでもないことを言う。
「送信先を間違えたのは私のミスだけど、結果的に美咲さんに湊くんの新しい魅力を見せつけることができたわね」
雪乃宮さんも顎に手を当てて納得したように頷いている。
冷静な分析が今はひどく腹立たしかった。
「お前ら……俺の人生終わらせる気かよ……」
俺は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
このまま放置しておけば美咲ちゃんの中で俺のイメージは完全に変態女装野郎として定着してしまう。
「着替える!俺は今すぐ着替えるからな!」
俺は立ち上がると背中のファスナーに手を伸ばした。
「あ、待って湊くん!まだ脱いじゃダメだよ!もっとこのまま一緒に撮影しようね!」
「ええ。せっかく着たのだからもう少し様々な角度からデータを集めさせてもらうわ」
イケメン執事二人が俺の両腕を再びホールドしようと迫ってくる。
「ふざけんな!俺は今すぐ美咲ちゃんに電話して誤解を解かなきゃいけないんだよ!」
俺はフリフリのメイド服の裾を翻しながら二人から必死に逃れようともがき続けた。
二人のイケメン執事が俺の両腕を再びホールドしようと迫ってくる。
「じっとしてて湊くん!もっと可愛い写真撮ろうね!」
「ええ。美咲さんにあなたの魅力を見せつけるためにも記録は多いに越したことはないわ」
雪乃宮さんは相変わらず冷静な顔で恐ろしいことを言っている。
俺はこれ以上変態の証拠を残すわけにはいかない。
本能のままに背を向けフリフリのスカートを翻して駆け出した。
「あ!待って湊くん!」
背後から結愛の声が聞こえるが振り返る余裕なんてない。
俺はコスプレショップの出入り口を抜けショッピングモールの広い通路へと飛び出してしまったのだ。
休日のモールは当然ながら大勢の買い物客で溢れかえっている。
そこへ息を切らせた女装メイドが飛び出してきたのだからたまらない。
すれ違う人々の視線が一斉に俺へと突き刺さった。
「えっ何あれ……罰ゲーム?」
「でもさ……」
ヒソヒソという声が四方八方から聞こえてきて俺の羞恥心は限界を突破した。
顔を真っ赤にして下を向いたまま人波を縫うように走る。
前がよく見えていなかったのが運の尽きだった。
ドンッ!
俺は通路の角から歩いてきた誰かの胸に勢いよくぶつかってしまった。
「いっ……ご、ごめんなさい!」
俺が慌てて頭を下げると頭上から少し聞き覚えのある声が降ってきた。
「おっと。大丈夫?」
その声にハッとして顔を上げる。
そこに立っていたのは爽やかな私服に身を包んだ長身の男だった。
少し長めの前髪と涼しげな目元。
公園でゴリの筋肉ハグから俺を救い出してくれたあのイケメンの先輩だった。
先輩は俺の顔とフリフリのメイド服を交互に見つめて少しだけ目を丸くした。
「あれ?君は……」
先輩がクスッと小さく笑い声を漏らした。
俺は終わったと思った。
知人にこんな変態女装姿を見られるなんて死刑宣告に等しい。
「ち、違うんです!これはその……」
俺が必死に弁解しようとしたその時だった。
先輩は俺の頭をポンと優しく撫でて涼しげな笑顔を向けた。
「かわいいね」
俺の心臓が以前よりもさらに大きな音を立てて跳ね上がった。
「注目浴びてるから、あっち行こうか」
先輩はそう言うと俺の手首を軽く掴み周囲の視線から庇うように歩き出した。
俺は完全にフリーズしたままその大きな背中に引っ張られていく。
男の先輩に手を引かれ顔を真っ赤にするフリフリメイド服の俺。
背後から追いかけてきた結愛と雪乃宮さんの姿はすでに人波に飲まれて見えなくなっていた。
先輩に手を引かれるまま俺はショッピングモールの奥へと進んでいった。
周囲のざわめきが少しずつ遠ざかっていく。
たどり着いたのは人通りの少ない非常階段の踊り場だった。
重い鉄扉が閉まると外の喧騒が嘘のように静まり返る。
薄暗い空間に二人きり。
俺は息を整えながら先輩を見上げた。
「あ、あの……ありがとうございます」
恥ずかしさで顔から火が出そうだったがとりあえずお礼を口にする。
しかし先輩は涼しげな笑顔を浮かべたまま何も答えない。
そしてゆっくりと俺の方へ一歩距離を詰めてきた。
「えっと……先輩?」
俺が後ずさると背中が冷たいコンクリートの壁にぶつかった。
逃げ場を失った俺の目の前に先輩の長身が覆い被さるように迫る。
ドンッ。
鈍い音が非常階段に響いた。
先輩の長い腕が俺の顔のすぐ横をすり抜け壁に手をついたのだ。
至近距離から見下ろされる形になり俺の心臓は警鐘を鳴らし始めた。
先輩の顔が近づいてくる。
少しだけ香水のような爽やかな匂いが鼻腔をくすぐった。
「ねえ」
先輩の声は今朝公園で聞いた時よりもずっと低く甘く響いた。
「君、本当に男の子?」
耳元で囁かれたその言葉に俺の全身に強烈な電流が走った。
「はいっ……!?」
情けない声が漏れてしまう。
先輩の指先が俺の着ているメイド服のフリルをそっと撫でた。
「こんなに可愛い格好してるからさ。女の子にしか見えなくて」
その瞳には明らかな熱がこもっている。
俺の脳内で危険信号がけたたましく鳴り響いていた。
ヤバい。
これは完全にヤバい展開だ。
「男好き」疑惑が浮上したばかりなのにまさか本当にそっちの扉が開いてしまうのか。
美咲ちゃんという最高に可愛い彼女がいるというのに俺の貞操は今かつてない絶体絶命の危機に瀕していた。
「あ、あの俺は男で……これはただの罰ゲームみたいなもので……!」
必死に弁解しようとするが声が震えて上手く言葉にならない。
先輩の顔がさらに近づき、その吐息が俺の頬にかかる。
「罰ゲームでもなんでもいいよ。俺は可愛い子が好きだから」
先輩が空いている方の手で俺の顎をクイッと持ち上げた。
逃げられない。
男の先輩相手にどうして俺はこんなにドキドキしているんだ。
フリフリのメイド服を着たまま俺は薄暗い非常階段で完全にフリーズしていた。




