未知の領域
終わらない試着地獄を抜け出した後も俺の連行は続いた。
巨大なショッピングモールの中をあちこち引きずり回される。
そして気がつけば少し薄暗くて異質な空気を放つテナントの前に立っていた。
壁一面に並んでいるのは日常では絶対に着ないような派手な衣装ばかりだ。
いわゆるコスプレショップというやつである。
「あ!湊くんこれ絶対似合うよ!」
結愛が目を輝かせて手に取ったのはフリルがふんだんにあしらわれた白と黒のメイド服だった。
「いやいやいや!ちょっと待て!」
俺は全力で後ずさりした。
「なんで俺がそんなの着なきゃいけないんだよ!」
「湊くんの新しい可能性を引き出すためには固定観念を打ち破る必要があるわ。この衣装はその検証に最適ね」
雪乃宮さんまで真顔で恐ろしいことを言い出している。
この二人は「初めて」を上書きするという目的すら忘れて完全に俺で遊んでいるだけだ。
「だいたい俺だけ異性みたいな服着るのおかしいだろ!」
俺が必死の抵抗で正論をぶつけると二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
「なるほどね。あなたの不満は理解したわ」
「少しだけそこで待っててね湊くん!」
二人はそう言い残すと俺を試着室の前に放置して足早に店の奥へと消えていった。
これでメイド服の件は諦めてくれたのだろうか。
俺が少しだけ安堵して息を吐き出した数分後のことだ。
シャッ。
勢いよく試着室のカーテンが開け放たれた。
「お待たせいたしました、お嬢様」
そこに立っていたのは黒の燕尾服に身を包んだ結愛と雪乃宮さんだった。
スラックスにタイトなベストそして細身のネクタイ。
普段の可愛らしい服から一転して二人は完璧な男装の執事へと変貌を遂げていたのだ。
結愛は持ち前の明るさが少し生意気で凛々しい少年のように見え、雪乃宮さんはその圧倒的な美貌が冷たく知的な青年らしさを際立たせている。
「……っ!」
俺の心臓が不覚にも大きく跳ねた。
悔しいがめちゃくちゃかっこいい。
男の俺ですら思わずキュンとしてしまうほどに二人のノリノリな執事姿は完成されていた。
「さあ湊くん。私たちもこういう服を着たのだからもう文句はないわよね」
雪乃宮さんが優雅な手つきで俺の腕を引いた。
「お着替えの手ほどきをさせていただきますね」
結愛が艶やかな笑みを浮かべて例のメイド服を広げる。
かっこよすぎる二人の執事に迫られ、俺の抵抗する気力はすっかり削がれていた。
「ちょっ、お前ら顔が近いって……!」
「じっとしていて。背中のファスナーが上がらないわ」
「リボンも私が可愛く結んであげるからね」
執事のような滑らかで有無を言わせない手つきで俺はあっという間に着替えさせられていく。
気がつけば俺はヒラヒラのメイド服を着せられ二人の麗しいイケメン執事に両脇を固められるというカオス極まる状況に陥っていた。
休日のショッピングモールで俺の尊厳と性別は完全に迷子になっている。
「……っ、く!」
俺が顔面を真っ赤にして俯いていると二人は示し合わせたようにスマホを取り出した。
「お嬢様、最高に可愛らしいですわ」
結愛が執事らしい涼しげな、でもどこか楽しげな声で言う。
「非の打ち所がない完璧な仕上がりね。この記録は我が主人のために必要不可欠だわ」
雪乃宮さんもカメラのレンズを俺に向けながら淡々と言い放った。
「や、やめろ!撮るなって!」
俺は必死に手を伸ばしてスマホを遮ろうとした。
だが二人の執事としての有無を言わせない言葉遣いと圧倒的なかっこよさに俺は気圧され次の言葉が出なくなってしまう。
「じっとしていてください、お嬢様」
「動くと手ブレして論理的な記録が残せないわ」
その滑らかで完璧な執事の所作に俺は完全に封じ込められた。
カシャカシャカシャカシャ!
コスプレショップの一角に俺の人生終わりの鐘のようなシャッター音が鳴り響き続けた。
「ふふっ、良い写真がいっぱい撮れちゃったね雪乃宮さん」
「ええ。では一通り確認したらデータを『湊くん監視フォルダ』に転送しましょう」
撮影会が終わり二人はスマホの画面を指で弾きながら満足げに微笑んだ。
そして二人の指が同時に画面をタップしたその時だ。
「……あ」
「……」
結愛と雪乃宮さんの顔から同時に表情が抜け落ちた。
「……間違えちゃった」
「……送信先を間違えてしまったわ」
二人のスマホ画面には俺のフリフリメイド姿の、しかも顔面蒼白で涙目の写真が映し出されている。
そしてその写真の下には、一つの通知が表示されていた。
『「サバイバル」写真を送信しました』
「え……?」
俺の頭の中は真っ白になった。
サバイバル。
それは少し前の江ノ島旅行の時に作ったグループLINEだ。
メンバーは雪乃宮さん、結愛、俺、灰……そして彼女の美咲ちゃん。
「消して!今すぐ消して!」
俺が悲鳴を上げると二人は慌ててスマホを操作し始めた。
「だ、ダメ!削除が間に合わない!」
「……既読になったわ」
完全に終わった。
スマホの画面には無情にも『既読 2』の文字が光っている。
そしてその数秒後。
『既読3』
俺は既読をつけていない。従って送信者本人と俺以外は全員見ている。
俺のフリフリメイド姿が最愛の彼女の目に触れたと分かるその瞬間。
俺の夏休み、いや俺の人生が完全に音を立てて崩れ去っていくのを俺は確かに感じた。




