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健康的とは。

 美咲ちゃんとの激甘な余韻を引きずったまま俺は我が家の玄関のドアを開けた。


 すっかり日は落ちて家の中はなぜか真っ暗だった。


「ただいま……」


 返事はない。


 しかし静まり返った暗がりの中から微かに規則的な摩擦音と荒い息遣いが聞こえてくる。


「はぁっ、はぁ、ん」


「ふ、ふ、はぁ」


 俺は背筋に冷たいものが走るのを感じて恐る恐るリビングのドアを開いた。


 パッと明かりがついているリビング。

 フローリングの上で二人の少女が並んで寝そべり猛烈なスピードで上体を起こしていた。


「……い、いち、にっ、さんっ」


「……四百五十二、四百五十三」


 結愛と雪乃宮さんだった。

 なぜか二人とも本格的なスポーツウェアに着替えており、額にはうっすらと汗を浮かべている。


 そして俺の顔を見るとピタリと腹筋の動きを止めた。


「……おかえり湊くん」


 結愛がゆっくりと立ち上がり、笑顔を顔に貼り付けた。

 しかしその瞳からは完全にハイライトが消え失せている。


「……どこに行ってたのかな?私たちと一緒にお話ししようね」


 地を這うような冷たい声が玄関に響き渡った。


 俺は美咲ちゃんとの甘い記憶が一瞬で吹き飛び、完全にフリーズした。


「ち、ちょっとその辺を散歩してて……」


 俺がしどろもどろに言い訳をすると雪乃宮さんも優雅に立ち上がってウェアの埃を払った。


「嘘ね。あなたの心拍数と衣服についた微かな香水らしき匂いが全てを物語っているわ」


 相変わらずの恐ろしい観察眼だ。いや、観察鼻か。


 というか俺はそこで一つの重大な疑問に気がついた。


「ってかなんで雪乃宮さんまたいるんだよ!」


「なぜかって?私が湊くんの学習管理者である以上休日の行動を監視するのは当然の義務よ」


 雪乃宮さんは悪びれる様子もなく俺の家にずっと居座っていたらしい。


 「雪乃宮さん!湊くんは私とお話しするの!」


 俺がツッコミを入れる間もなく結愛が雪乃宮さんの前に立ちはだかった。


 雪乃宮さんが結愛に絡んで居座っているのかと思いきや実は逆だった。


 結愛の方からバチバチに対抗意識を燃やして雪乃宮さんに突っかかっているのだ。


「あなたのその無駄な筋肉の収縮運動は非効率的極まりないわね」


「負けないもん!私だって湊くんのために筋力アップしようねって決めたんだから!」


 結愛は謎の方向へ努力のベクトルを向けてしまったらしい。


 ゴリの乱入で俺が「男好き」だと勘違いした結愛はなぜか俺を筋肉の脅威から守るためなのか、それとも雪乃宮さんへの対抗心なのか自ら進んで腹筋勝負を挑んでいたのが真相のようだった。


 「湊くん、私たちに隠し事なんてしちゃダメだよ。どこに行ってたのかちゃんとお話ししようね」


 結愛は満面の笑顔を浮かべながら俺の右腕をガッチリとホールドした。


 その笑顔の裏に隠された圧が凄まじく俺は冷や汗を滝のように流していた。


「そ、それは……」


「彼の心拍数と発汗量から明らかな動揺が読み取れるわ。やはり私の管理下に置かないと未知の変数が増え続ける一方ね」


 雪乃宮さんも立ち上がり論理的な冷たい視線で俺の退路を完全に塞いでいる。


 筋肉を鍛えるという謎の方向へシフトした二人のヒロインによる玄関での地獄の尋問。


 美咲ちゃんとの激甘な水族館デートの余韻は完全に消え去り、俺の命の灯火が風前の灯となったその時だった。


 「あらあら二人とも。玄関でそんなに汗をかいてどうしたの?」


 リビングの奥からふんわりとした声が響き渡った。

 我が家の絶対的頂点である義母さんの登場だ。


 義母さんはエプロン姿でなぜか両手に巨大なシェイカーを持っている。


「あ、お母さん!私たち湊くんのために筋トレしてたの!」


「非効率ですが、彼女の勝負から逃げるわけにはいきませんので」


 義母さんの圧倒的なオーラを前に二人の尋問の空気が一瞬で霧散した。


「そうなのね、偉いわ〜。それじゃあ、筋トレの後はこれね」


 義母さんは満面の笑みで巨大なシェイカーをシャカシャカと振り始めた。


 「はい、特製プロテインドリンクよ」


 義母さんの言葉は提案ではなく絶対の命令だ。

 俺たちは無言で頷きすごすごとリビングのダイニングテーブルへと移動した。


 それぞれの目の前に置かれたグラスには緑色とも灰色ともつかない謎のドロドロとした液体が注がれている。


「……お義母さん、これ何が入ってるんですか?」


 俺が恐る恐る尋ねると義母さんは頬に手を当てて嬉しそうに答えた。


「鶏胸肉とブロッコリーとゴーヤと小松菜とバナナをミキサーにかけたのよ。栄養満点だから残さず飲みましょうね」


 それは飲み物というより完全に固形物の一歩手前だった。


「さあ湊くん!一緒に筋肉を育てようね!」


 結愛がチアフルな笑顔でグラスを掲げるがその手は微かに震えている。


「……この成分表示は未知数ですが摂取義務があるようですね」


 雪乃宮さんも覚悟を決めたように目を閉じた。


 俺たちは一斉に特製プロテインを一気飲みした。

 口の中に広がる強烈な苦味と青臭さそしてバナナの生ぬるい甘み。


「ごふっ……」


 俺は危うく三途の川の向こうでゴリが腕立て伏せをしている幻覚を見るところだった。


「偉いわね!今日の夕食も筋肉に優しいササミの茹でたものと山盛りの温野菜よ!」


 義母さんが次々とテーブルに健康すぎるメニューを並べていく。


 俺の休日の行き先を問い詰める尋問の空気など義母さんの圧倒的なヘルシー志向の前に完全に消し飛んでいた。


 結愛も雪乃宮さんも無言でモサモサとブロッコリーを咀嚼している。


 美咲ちゃんとの甘いデートの代償は味覚の完全な崩壊と顎の疲労という形で支払われることになった。

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