二人だけの特別
約束の十時少し前。
俺は駅前の時計台の下でそわそわしながら立っていた。
スマホの時間と目の前の時計を何度も見比べてしまう。
昨日の夜からずっと胸の奥がフワフワと浮ついているのだ。
「湊くん!」
人ごみの中から俺を呼ぶ明るい声が聞こえた。
振り返るとそこにはとびきり可愛い服に身を包んだ美咲ちゃんが立っていた。
淡い水色のワンピースが彼女の清楚な雰囲気を引き立てている。
少しだけ念入りにセットされた髪が朝の風に揺れていた。
「ごめん待った?」
「ううん、俺も今来たところだよ」
王道のやり取りを交わしながら俺の心臓はすでに早鐘を打っていた。
「その服、すごく似合ってるよ」
俺が素直に褒めると美咲ちゃんは嬉しそうにはにかんだ。
「えへへありがとう。湊くんに可愛いって思ってもらいたくて選んだの」
そんな破壊力抜群のセリフをサラッと言えてしまう彼女が恐ろしい。
俺たちは並んで電車に乗り込み、隣町のビル内にある水族館へと向かった。
休日の水族館はカップルや家族連れで適度に賑わっていた。
チケットを買って薄暗い館内へと足を踏み入れる。
外のうだるような暑さが嘘のようにひんやりとした空気が肌を撫でた。
「わぁ綺麗……!」
美咲ちゃんの瞳が巨大な水槽の青い光を反射してキラキラと輝いている。
色とりどりの熱帯魚が優雅に泳ぎ回る様子はまるで別世界に来たようだった。
俺たちは肩が触れ合いそうな距離で並んで水槽を覗き込んだ。
「あそこの小さい魚すごく可愛いね」
「本当だ。陰に隠れてるやつか」
彼女の横顔を照らす青い光がいつもより少し大人びて見えた。
館内の静かなBGMと水槽の気泡の音が二人の間の空気を優しく包み込んでいる。
クラゲの展示エリアに進むと照明はさらに暗くなった。
円柱形の水槽の中でふわりふわりと漂うクラゲたちが幻想的だ。
美咲ちゃんは夢中になって水槽に顔を近づけていた。
「湊くん見て。光ってるみたいで不思議だね」
彼女が俺を振り返ろうとしたその時だった。
俺の右手にコツンと柔らかな感触が当たった。
美咲ちゃんの左手だった。
薄暗い通路で二人の距離が近すぎたせいで自然と手が触れ合ったのだ。
「あっ、ごめん」
美咲ちゃんが慌てて手を引っ込めようとする。
俺の脳内で何かが弾けた。
ここで引いたら男がすたる。
俺は彼女の指先が離れてしまう前にその小さな手をそっと掴んだ。
「湊、くん……?」
美咲ちゃんが驚いたように目を丸くして俺を見上げた。
暗闇の中でも彼女の頬がみるみるうちに赤く染まっていくのがわかる。
「……はぐれないようにさ」
俺は使い古された言い訳を口にしながら彼女の指の間に自分の指を絡ませた。
ひんやりとした館内の空気とは裏腹に繋いだ手から伝わる体温は驚くほど熱かった。
「うん……そうだね」
美咲ちゃんは照れくさそうに俯くと俺の手をギュッと握り返してくれた。
その小さな力強さがたまらなく愛おしい。
俺たちは手を繋いだままゆっくりと青の世界を歩き続けた。
時折すれ違うカップルに見られて少し気恥ずかしかったが絶対にこの手は離したくなかった。
美咲ちゃんの甘いシャンプーの香りが微かに漂ってくる。
───
水族館の順路もいよいよ終わりに近づいていた。
繋いだ手からはお互いの体温がじんわりと伝わってくる。
夢のような時間が終わってしまうのが少しだけ名残惜しかった。
出口のゲートを抜けると、明るい照明に照らされた広大なお土産コーナーが広がっていた。
ぬいぐるみや文房具など海をモチーフにした色鮮やかなグッズが所狭しと並んでいる。
美咲ちゃんはパッと目を輝かせて俺の手を引いた。
「湊くん!あっち見てみよ!」
彼女の弾むような声に引っ張られるようにして俺たちはグッズの棚へと向かった。
二人で色々なグッズを眺めているだけでも幸せだった。
「このイルカのぬいぐるみすごくふわふわだよ」
「本当だ。でも美咲ちゃんの部屋に置いたらベッドが占領されそうだな」
そんな他愛のない会話を交わしながらコーナーの奥へと進んでいく。
ふと美咲ちゃんの足がピタリと止まった。
彼女の視線の先にはキラキラと光を反射するガラス細工のコーナーがあった。
そこには二匹の小さなペンギンが寄り添うようにデザインされたペアのストラップが飾られていた。
一つは涼しげなクリアブルーでもう一つは可愛らしいクリアピンクをしている。
「……可愛い」
美咲ちゃんがぽつりと呟いた。
彼女はピンク色のペンギンをそっと指先で撫でている。
「これ気に入ったのか?」
俺が尋ねると美咲ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに頬を染めてコクンと頷いた。
そして上目遣いで俺の顔をじっと見つめてきた。
「あのね湊くん」
「うん」
「この前の江の島では……みんなで一緒にお揃いのキーホルダー買ったよね」
確かに少し前にいつものメンバーで江の島へ行った時全員で同じデザインのものを記念に買ったことがあった。
あれはあれで楽しい思い出の品だ。
「あれはあれで、みんなとのお揃いもすごく嬉しかったけど……」
美咲ちゃんは繋いだままの俺の手をもう一度ギュッと握り直した。
「今回は……湊くんと二人だけの、特別なお揃いが欲しいな」
彼女の潤んだ瞳と甘く震える声が俺の理性を完全にノックアウトした。
みんなの輪の中にいる美咲ちゃんではなく、俺の彼女としての美咲ちゃんがそこにはいた。
二人だけの特別。
その言葉が持つ破壊力は凄まじかった。
「……うん。お揃いにしよう」
俺が照れ隠しに少しぶっきらぼうに答えると美咲ちゃんは今日一番の満面の笑みを浮かべた。
「やったぁ!湊くん?」
「うん?」
「大好き!」
俺たちは青とピンクのペンギンをそれぞれ手に取りレジへと向かった。
小さなペアのペンギンが揺れるたび、俺は今日という特別な日をきっと思い出すのだろう。




