父の熱弁
俺の右腕は結愛に引かれ左腕は雪乃宮さんにホールドされている。
リビングは完全に二人のヒロインの戦場と化していた。
「湊くんは私のだもん!」
「非論理的よ!彼は私の管理下に置かれるべきだわ!」
俺の身体が左右に千切れそうになっていたその時だ。
ドスドスドスッ!
階段を下りてくる重々しい足音が廊下に響き渡った。
バンッと勢いよくリビングのドアが開け放たれる。
そこに立っていたのは昨夜箸を額に受けたはずの父さんだった。
父さんの目は部屋の惨状を前にしてなぜかキラキラと輝き始めていた。
「母さん!これだ!これこそが青春なんだ!」
父さんが背後を振り返って大声を張り上げた。
俺は絶望的な状況の中で実の父親の頭がおかしくなったのかと疑った。
「湊が教えてくれた!俺の味わったことがない、真の青春!」
「……お父さん?何言ってるの?」
結愛が俺の腕を引いたままポカンと口を開ける。
「一人の男を巡って二人の美少女が火花を散らす!そして力尽きて倒れる親友!」
父さんは床で光合成をしている健太を指差して感動に打ち震えている。
「おお湊よ!お前は父の叶わなかった夢を体現してくれているんだな!」
どうやら父さんの脳内ではこの地獄のような修羅場が美化された青春ドラマに変換されているらしい。
「……朝から騒々しいわ〜」
父さんの熱弁を遮るように静かで冷ややかな声が聞こえた。
父さんの背後からエプロン姿の義母さんがゆっくりと姿を現す。
義母さんの視線がリビングをぐるりと一周した。
粉々に砕け散ったトースト。
白目を剥いて倒れている健太。
俺の腕を左右から引っ張ってバチバチと睨み合う結愛と雪乃宮さん。
そして謎の感動に包まれて涙ぐんでいる父さん。
義母さんの顔からスッと表情が抜け落ちた。
リビングの温度が先ほどの雪乃宮さんの比ではない速度で急降下していく。
義母さんは一言も発しなかった。
ただ静かにスッと右手を伸ばし感動に浸っている父さんの頭をガシッと鷲掴みにした。
「……へ?」
父さんの間抜けな声が漏れる。
アイアンクローのような完璧なホールドだ。
義母さんはそのまま無言で踵を返し、父さんの頭を掴んだままズリズリと寝室の方向へ歩き出した。
「ま、待て母さん!痛い!頭蓋骨が軋んでる!俺の青春がっ……!」
父さんの悲鳴が廊下の奥へと吸い込まれていきやがてパタンと寝室のドアが閉まる音がした。
完全なる静寂。
圧倒的な力の差を見せつけられ俺を引っ張っていた結愛と雪乃宮さんの手も思わず緩んでいた。
我が家のヒエラルキーの頂点には絶対に逆らってはいけない。
寝室のドアが閉まる音がリビングに重く響いた。
義母さんの圧倒的な武力介入により俺の千切れそうだった両腕は解放された。
しかし平和が訪れたわけではない。
結愛と雪乃宮さんはお互いの手を離したものの依然としてバチバチと視線を交錯させている。
雪乃宮さんの瞳にはまだ狂気じみた暗い炎が燻っているし、結愛も絶対に俺を渡さないという強い意志で睨み返しているのだ。
義母さんが寝室から戻ってくれば今度は俺たちがアイアンクローの餌食になるかもしれない。
このままこの家に留まれば確実に俺の命と精神は削り取られる。
俺の生存本能が強烈なアラートを鳴らしていた。
「……湊くん。さあ続きを」
雪乃宮さんが再び俺の方へ冷たい手を伸ばしかけたその瞬間だった。
「よし!みんなで外に出よう!」
俺はこれ以上ないほどのクソデカ大声でリビングの空気を強引に引き裂いた。
「……は?」
結愛と雪乃宮さんが同時に目を丸くして動きを止めた。
「い、いきなりどうしたの湊くん?」
「非論理的な大声ね。鼓膜が破れるかと思ったわ」
二人のヒロインが呆気にとられている隙を突き俺は床で光合成をしている健太の襟首をガシッと掴んで強引に引きずり起こした。
「ほら健太も起きろ!外の空気を吸いに行くぞ!」
「ぐぇっ!?なんだ!?江戸幕府が滅亡したのか!?」
寝ぼけ眼の親友がうわ言を叫びながらフラフラと立ち上がる。
「外って……どこに行くつもりなの?」
結愛が不思議そうに首を傾げた。
俺の頭の中はとにかくこの危険な密室から逃げ出すことだけで一杯だった。
口から出たのは自分でも予想外の突飛すぎる提案だった。
「ラジオ体操に行くぞ!」
「……ラジオ、体操?」
結愛がポカンと口を開け雪乃宮さんは怪訝な顔で眉をひそめた。
「湊くん。現在の時刻とラジオ体操の実施時間は明らかに整合性が取れていないわ」
雪乃宮さんの冷静なツッコミが飛んでくる。
「そんなの公園に行って自分たちでスマホで音楽を流せばいいだろ!とにかく健康第一だ!太陽の光を浴びてセロトニンを分泌するんだよ!」
俺は適当な理屈を並べ立てて二人の背中を玄関の方へとグイグイと押し始めた。
「ちょ、ちょっと湊くん!パジャマのままじゃダメだってば!」
結愛が顔を赤くして抵抗する。
「着替える時間は五分だ!五分後に玄関集合な!」
俺は強引に話をまとめると、健太をリビングのソファに放り投げて自室へと駆け込んだ。
とにかくこの殺伐とした空間をリセットするには体を動かして強制的にイベントを発生させるしかない。




