終わらない修羅場
粉々に砕け散ったトーストの残骸がテーブルに散乱している。
雪乃宮さんの瞳からは普段の理知的な光が完全に失われていた。
俺と結愛が深夜の密室で未知の変数を生み出したという事実。
彼女の完璧な計算式を根底から覆すその可能性に氷の女王の論理回路は完全にショートを起こしていた。
「許せない……私という絶対的な先生を差し置いて……」
ブツブツと呟きながら雪乃宮さんがゆっくりと俺に歩み寄ろうとしたその時だった。
「まあまあ!数学の点数が悪かったくらいで怒るなよ!」
リビングの空気を全く読んでいない場違いなほど明るい声が響き渡った。
声の主はもちろん健太だった。
彼は完全に状況を勘違いしていた。
昨夜の地獄の特訓で自分が使い物にならなくなったせいで雪乃宮さんが朝から激怒していると思い込んだらしい。
「確かに俺の脳みそは歴史と数学がフュージョンするくらいバカだけどさ!」
健太はトーストを片手に持ちながら胸を張って見当違いのフォローを続ける。
「湊も結愛も悪気はないんだ!だからそんなに怖い顔しないで朝ごはん食べようぜ!」
彼は自分がこの険悪な空気を救う救世主だとでも思っているのか得意げな笑顔すら浮かべていた。
俺は心の中で親友の勇気ある行動に敬礼しつつもそのあまりの的外れっぷりに頭を抱えたくなった。
ピタリ。
雪乃宮さんの足が止まり彼女の首が機械仕掛けの人形のようにギギギと健太の方へ向いた。
「……数学の点数?」
雪乃宮さんの声は地獄の底から響いてくるような低さだった。
「ひぃっ」
健太の得意げな笑顔が一瞬で凍りつく。
「健太くん。あなたのその単細胞生物以下の脳内メモリでは、現在の深刻な状況を全く処理できていないようね」
雪乃宮さんは冷酷な視線を健太に突き刺した。
「あなたの数学の点数など私の人生の計算式においては小数点以下の誤差にも満たない無価値なデータよ。私が今問題にしているのは湊くんという宇宙の真理が私の観測範囲外で改ざんされたという重大なインシデントについてなの」
「う、宇宙の真理……?物理の話ですか……?俺生物選択なんだけど、」
健太は全く理解できないという顔で後ずさる。
「要するに今のあなたはこの空間において完全に不要なノイズよ。黙って光合成でもしていなさい」
圧倒的な語彙力と論理で殴りつけられた健太は「光合成……」と呟きながら白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
見事なまでのワンパンKOだった。
健太の的外れな仲裁は雪乃宮さんの怒りの炎に油を注いだだけで数秒で鎮圧されてしまった。
「さて」
雪乃宮さんが再び俺と結愛の方へ向き直る。
健太というノイズを排除した彼女の瞳は先ほどよりもさらに暗い執着の色を帯びていた。
「邪魔者も静かになったことだし……昨夜の二人の行動記録を秒単位で提出してもらうわよ」
「む、無理だよ!そんなの覚えてないし!」
結愛が顔を真っ赤にして必死に抵抗する。
「覚えていない?それは都合のいい記憶の改ざんね。なら私が湊くんの生体データを直接解析して真実を突き止めるしかないわ」
雪乃宮さんが俺の腕を掴もうと冷たい手を伸ばしてくる。
「ダメ!湊くんに触らないで!」
結愛も俺の反対側の腕に抱きつき、バチバチと火花が散り始めた。




