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気まずい食卓

 昨夜の極限のスリルと甘い事故から一夜が明けた。


 俺たちはリビングのダイニングテーブルを囲んで朝食のトーストをかじっていた。


 窓の外にはまだ本格的な夏休みには入っていないが夏を思わせる眩しい朝日が降り注いでいる。


 健太は完全に寝不足の顔でジャムを塗ったパンを機械的に口に運んでいた。


 そして俺の正面には昨夜俺の部屋から逃亡した結愛が座っている。


「……」


 結愛はトーストを見つめたまま一言も発しようとしない。

 いつもなら「湊くんおはよう!」と笑顔で抱きついてくるはずの彼女が完全に沈黙している。


 それどころか俺が少し動くたびにビクッと肩を揺らし、顔を真っ赤にして視線を逸らしてしまうのだ。


 俺の脳裏に昨夜の薄暗い部屋での出来事が鮮明に蘇る。


 熱を持った耳たぶの感触。

 触れた唇の柔らかさ。


 俺も結愛の顔をまともに見ることができずオレンジジュースのグラスを持ったまま硬直していた。


 「……」


 そんな俺と結愛の不自然すぎる空気を逃すような人間がこの食卓にいるはずがなかった。


 俺の左隣で優雅に紅茶を飲んでいた雪乃宮さんがスッとカップをソーサーに置いた。


 カチンという小さな音が異常なほど大きく響く。


「結愛さん。今日のあなたは非常に非論理的な挙動を繰り返していますね」


 雪乃宮さんの透き通るような声がリビングの空気を一気に冷やした。


「……えっ?そ、そんなことないよ」


 結愛が慌てて笑顔を作ろうとするが、その頬は隠しきれないほどに朱に染まっている。


「いいえ。あなたは先ほどから湊くんと一度も視線を合わせていない。そして湊くんも同様にあなたを視界の端から排除しようと不自然なほど顔の筋肉を強張らせているわ」


 雪乃宮さんの冷徹な観察眼が俺たちの隠し事を容赦なく暴き立てていく。


「これは明らかに二人の間で何らかの重大なインシデントが発生したと推測するのが妥当ね」


 「な、何も起きてないよ!ただちょっと寝不足なだけだから!」


 結愛が必死に両手を振って誤魔化そうとする。

 しかしその態度がさらに雪乃宮さんの疑念を深める結果となった。


「寝不足?それは奇妙ね。私は深夜二時に学習を切り上げて就寝したわ。その時点であなたたちはまだ起きていた」


 雪乃宮さんの瞳から徐々に光が失われていく。


「私と健太くんが完全に深い睡眠に落ちた後……あなたたち二人はあの密室で一体何をしていたのかしら」


「な、何もしてないってば!」


「嘘よ。結愛さんのその上気した肌と湊くんの動揺。計算式に当てはめれば答えは一つしか導き出されない」


 雪乃宮さんの声がかすかに震え始めた。

 彼女の頭の中で俺と結愛が昨夜ベッドの上で繰り広げたかもしれないあらゆる可能性が超高速でシミュレーションされているのだろう。


 「私が……私が眠りに落ちた隙を突いて……」


 雪乃宮さんが両手で頭を抱え込むようにして俯いた。


「湊くんの学習を管理し彼の最適解となるはずだった私が……無防備に寝ているすぐ上で……二人は……」


 彼女の口から漏れる言葉はもはや論理的な原型を留めていなかった。


 圧倒的な敗北感と絶望。


 自分が完全にコントロールしていたはずの盤面が知らない間にひっくり返されていたという事実が彼女の脳を完全に破壊しようとしていた。


「……許せない」


 雪乃宮さんがゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には絶対零度の怒りと深い嫉妬が渦巻いている。


「私の知らないところで湊くんの未知の変数を引き出すなんて……絶対に許容できないわ」


 バキッ。


 雪乃宮さんが無意識に握りしめていたトーストが粉々に砕け散った。


「ひぃっ!雪乃宮さん落ち着いて!」


 健太が完全に目を覚まして悲鳴を上げる。


「湊くん……私という管理者がいながら……どうして……」


 彼女は焦点の合わない目で俺を見つめながらゆらゆらと立ち上がった。

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