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満面の笑みと絶対零度

 結愛から放たれる漆黒の魔王オーラと雪乃宮さんが纏う絶対零度の氷のオーラ。


 二つの相反するエネルギーがダイニングテーブルの中央で激突し空間そのものが歪み始めていた。


「湊くんの隣は私の特等席なの」


「非合理的な独占欲ね。彼にとって有益なのは私の隣よ」


 バチバチと青白い火花が飛び散る。

 俺の胃はすでに限界を突破して感覚すら失いかけていた。


 健太は巻き添えを食らわないように椅子の下に身を隠し、父さんは事の重大さに気づかず「青春だなあ」と呑気にビールを飲んでいる。


 このままでは我が家が二人のヒロインの戦場となって物理的に崩壊してしまう。

 俺が死を覚悟して目を閉じたその瞬間だった。


「はいはい、デザートのケーキよー!」

 信じられないほど明るくそして圧倒的な圧力を伴った声がリビングに響き渡った。


 声の主はもちろん義母さんだ。

 彼女は満面の笑みを浮かべながら両手に大きなイチゴのショートケーキが乗った皿を掲げていた。


「女の子は甘いものが好きでしょ?食後のコーヒーも淹れたからみんなで食べましょうね」


 義母さんのその言葉は提案ではなく絶対的な命令だった。


 結愛と雪乃宮さんの動きがピタリと止まる。


 二人の間に渦巻いていた殺伐とした空気が義母さんの放つふんわりとした、しかし逆らえば命はないと直感させる謎のオーラによって一瞬にしてかき消されたのだ。


 俺たちの脳裏に先ほどの光景がフラッシュバックする。

 父さんの額に一直線に突き刺さったあの一本の箸。

 力加減が苦手だと自称する義母さんの怒りを買えば次は自分の眉間にフォークが突き刺さるかもしれない。


 その本能的な恐怖が氷の女王と魔王の争いを強制終了させたのである。


 「……わぁ、美味しそう!お母さんありがとう!」


 結愛が一瞬で天使の笑顔を作り出し自分の席にスッと座り直した。


「……お気遣い痛み入ります。大変美しいケーキですね」


 雪乃宮さんも氷のオーラを完全に引っ込め、上品にお辞儀をして席についた。


 恐るべき義母さんの制圧力。

 我が家の真の支配者が誰なのかを宇宙の真理として叩き込まれた瞬間だった。


「ほら健太くんも机の下から出てきて食べなさい」


「は、はいっ!いただきますっ!」


 健太が這い出てきて直立不動でケーキの皿を受け取る。

 俺も震える手でフォークを握りショートケーキの先端を切り取って口に運んだ。


 生クリームの優しい甘さとイチゴの酸味が限界だった俺の胃袋と精神に染み渡っていく。


「どう?美味しいかしら」


「はい……すごく美味しいです」


 義母さんがにっこりと微笑む。

 右にはケーキを美味しそうに頬張る結愛。

 左には優雅にコーヒーを飲む雪乃宮さん。


 さっきまでの修羅場がまるで幻だったかのように平和なティータイムが訪れていた。


───


 美味しいショートケーキと食後のコーヒーが俺たちの胃袋を満たし、時計の針はすっかり夜の時間帯を指していた。


「……ふぅ。ごちそうさまでした!」


 健太が空になったコーヒーカップをコトリと置き、勢いよく立ち上がった。


「俺はそろそろ帰ります!今日は美味しいハンバーグとケーキ、本当にありがとうございました!」


 彼はこれ以上この家に長居すれば自分の命か精神のどちらかが確実に削り取られると本能で察知したのだろう。


 玄関へ向けての鮮やかな逃走準備だ。


 俺も親友の無事な生還を心の中で祈り小さく手を振って見送ろうとした。


 しかしその脱出劇は予想外の方向からあっさりと遮断されることになる。


 「あら、もう帰るの?」


 義母さんが少し残念そうに首を傾げた。


「もう夏休みだし、こんなに遅い時間なんだから泊まっていけばいいのに」


「えっ?」


「そうだな。部屋は空いて……湊の部屋があるから遠慮することはないぞ」


 父さんまでが呑気に宿泊の許可を出してしまった。

 その言葉を聞いた瞬間だった。


「……お気遣い痛み入ります。ではお言葉に甘えまして本日は宿泊させていただきます」


 健太よりも先に食い気味で即答したのはなんと雪乃宮さんだった。


 彼女は優雅にお辞儀をしながら帰るつもりなど毛頭ないという強い意志を全身から放っていた。

 その視線の先には同じく目を丸くしている結愛の姿がある。


「……雪乃宮さん、泊まるの?」


 結愛の声が再び一段階低くなり、笑顔の裏に暗黒のオーラが立ち昇る。


「ええ。湊くんの学習進捗はまだ私の求める水準に達していませんから。夜通しで徹底的に管理する必要があると判断しました」


「私の家なんだけど。湊くんの夜の時間は私のものだよ」


「非論理的な主張ね。時間は万人に平等に与えられたリソースよ」


 ケーキによって一時休戦していた魔王と氷の女王の間に再び激しい火花が散り始めた。


 俺は信じられない思いで雪乃宮さんを見つめた。

 他人の家、しかもバチバチに対立している女子がいる家に平然と泊まろうとするその度胸。


「……雪乃宮さんって、そんなに厚かましかったっけ?」


 俺は思わず口を滑らせてしまった。

 普段は論理的で隙のない彼女の口から出たあまりにも図太い宿泊宣言に驚きを隠せなかったのだ。


 ピタリ。


 雪乃宮さんが結愛から視線を外しゆっくりとこちらを振り向いた。

 その顔には誰もが息を呑むような美しくそして底知れぬ恐怖を孕んだ満面の笑みが張り付いていた。


「……何か言ったかしら、湊くん?」


「ひぃっ」


 俺の喉がヒュッと鳴った。

 周囲の温度が一気に氷点下まで下がるような絶対零度のプレッシャー。


「い、いえ!何でもありません!ぜひゆっくりしていってください!」


 俺は完全に萎縮し全力で首を横に振った。

 義母さんの箸の恐怖とはまた違う静かで冷酷な圧に俺は完全に屈服するしかなかった。


 「あ、あの……俺はこれで……」


 空気が完全に凍りつく中、健太がそろりそろりと玄関に向かって後ずさりを始めた。


「待ちなさい健太くん」


 雪乃宮さんの冷たい声が親友の背中を正確に撃ち抜いた。


「へぁっ?」


「あなたの数学の偏差値はまだ歴史の年号と混同するレベルよ。このまま帰して明日の朝までに知識がリセットされては私のこれまでの労力が無駄になるわ」


 雪乃宮さんはゆっくりと立ち上がり健太の退路を完全に塞いだ。


「あなたも当然泊まりなさい。夜明けまで関数と向き合ってもらうわよ」


「うわぁぁぁっ!俺の安らかな睡眠がぁぁっ!」


 健太の絶望の叫びが夜のリビングに響き渡った。


「あらあら二人ともお泊まりね!お母さんお客様用の布団を出してくるわ!」


 義母さんが楽しそうに二階へと上がっていく。

 逃げ場を失った親友とバチバチに睨み合う二人のヒロイン。

 休日の夜は終わるどころかここからが本当の修羅場の始まりだったのだ。

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