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約束

 江の島からの帰りの電車内。


 冷房の効いた車内には規則正しいレールを刻む音だけが響いていた。


 休日の時間帯も遅めということもあってか、運良く俺たちは一つの車両の座席にまとまって座ることができた。


 ふと右隣を見ると結愛がこくりこくりと船を漕ぎやがて俺の肩にこてんと頭を乗せてきた。


 すーすーと規則正しい寝息が聞こえる。

 向かいの席では美咲ちゃんが雪乃宮さんの肩を借りて完全に熟睡していた。


 雪乃宮さんも腕を組んだまま静かに目を閉じている。

 無理もない。


 今日は本当に色々なことがありすぎた。

 海での死闘から始まり水族館のイルカショーでずぶ濡れになり、最後は江の島の頂上まで登ったのだ。


 俺の体にもこれまでにないほどの心地よい疲労感がずっしりと沈み込んでいた。


 俺も少しだけ目をつぶるか。

 小さく呟き背もたれに深く体を預けて目を閉じようとした。


 「……今日はありがと」


 不意に左隣から声がかかった。

 灰だ。


 薄く目を開けてそちらを見ると彼女は窓の外の暗闇を眺めたままポツリと言葉をこぼしていた。


 いつもは喧嘩っ早くて素直じゃない彼女からの唐突な感謝の言葉。

 俺は少し驚いて首を傾げた。


 「なんで感謝するんだ?」


 俺がそう聞き返すと灰はバツが悪そうに視線を泳がせた。


 「それは……メッセージで無理を言ったから。海連れてけ、って」


 確かに今日のイベントを実行に移そうと思ったそもそもの発端は彼女からの理不尽な呼び出しだった。


 だが結果的にみんなで楽しめたのだから今さら気にするようなことでもない。


 そこで俺はふと昼間の光景を思い出しある疑問を口にした。


 「なんで泳げないのに海って言ったんだ?」


 昼間の砂浜で頑なにパーカーを脱ごうとせず、泳げないとカミングアウトした彼女の姿が脳裏に浮かぶ。


 泳げないならわざわざ海を行き先に指定しなくてもよかったはずだ。


 俺の素朴な疑問に灰はみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げた。

 彼女は言葉に詰まり着ているお揃いの水族館Tシャツの裾をギュッと握りしめる。


 「海ってさ……青春ぽいだろ?だから、その」


 しどろもどろになりながら視線を下に落とす。

 普段の威勢の良さはどこへやら、完全に借りてきた猫状態だ。


 「だからその?」


 俺が少し意地悪く先を促すと彼女の堪忍袋の緒が切れた。


 「あぁもう!湊と一緒に海に行きたかったの!」


 灰が勢いよく顔を上げて叫んだ。

 その顔は耳の先まで茹でダコのように真っ赤になっている。


 「泳げるかとかなんて関係なくて、ただ海に一緒に行って湊と思い出を作りたかっただけ!」


 一気にそれだけをまくし立てると彼女はプイッと完全にそっぽを向いてしまった。


 あまりにも真っ直ぐで不器用な本音。

 胸の奥を直接鷲掴みにされたような破壊力に俺は思わず言葉を失った。


 「電車の中だから静かにだな……」


 照れ隠しでどうにか注意を絞り出すが声が少し上擦ってしまった。

 灰はそっぽを向いたままフンと鼻を鳴らした。


 「この車両ほかにいないから大丈夫だろ」


 確かに見渡してみても俺たちの他にこの車両に乗っている乗客は一人もいなかった。


 俺はこれ以上彼女をからかうのはやめて静かに窓の外へと視線を移した。


 真っ暗な窓ガラスには車内のオレンジ色の明かりと俺自身の少しだけ緩んだ顔が映っている。

 ガタンゴトンと電車が揺れる。


 「……来年もだからな」


 不意に横から消え入りそうな声が聞こえた。


 電車の走行音にかき消されてしまいそうなほど弱々しいが確かに俺の耳に届いた言葉。


 驚いて灰の方を振り向く。


 しかし彼女は腕を組んで目を閉じすでに規則正しい寝息を立てていた。


 狸寝入りなのか本当に数秒で眠りに落ちたのかは定かではない。

 だがその目元は少しだけ緩んでいて、とても穏やかな表情をしていた。


 俺は小さく息を吐き出し今度こそ静かに目を閉じた。

 来年の夏もまたこうして彼女たちと一緒に笑い合えたらいい。

 右肩には結愛の温もりを左隣には灰の不器用な約束を感じながら。


 そんなとりとめのないことを考えながら俺の意識も深い微睡みの中へと溶けていった。

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