夕暮れの弁天橋
水族館を出ると空はすでに茜色に染まり始めていた。
これから夏本番を迎えるというのにどこか切ない夕暮れの匂いがする。
「このまま帰るのもなんだか名残惜しいね」
結愛が海風に髪を揺らしながらぽつりと呟いた。
「湊くん、せっかくだし江島神社にお参りしていかない?」
彼女の提案に他の三人も目を輝かせた。
江の島へと続く全長約四百メートルの江の島弁天橋。
俺たちは揃いの水族館Tシャツを着たままその長い橋を歩き始めた。
右手に広がる相模湾には沈みゆく夕陽がオレンジ色の道を作っている。
「すごく綺麗……」
美咲ちゃんが橋の手すりに寄りかかりうっとりとしたため息を漏らす。
「風が気持ちいいわね。潮の香りがさっきまでの喧騒を洗い流してくれるみたい」
雪乃宮さんが右手を橋に乗せ、水平線の彼方をただ見つめていた。
「理屈っぽいのに、こういう時は詩的になるんだな」
「何か言ったかしら?」
「い、いえ。なにも……」
「お、湊。あそこになんか飛んでるぞ。トンビか?」
灰が空を指差して無邪気に笑う。
俺は海風を全身に受けながら四人の楽しそうな横顔を眺めていた。
車道を走る車の音と橋の下で砕ける波の音が心地よいBGMになっている。
振り返れば本土の街の灯りが少しずつ点り始め、前を向けば緑に覆われた江の島のシルエットが夕空に雄大に浮かび上がっていた。
弁天橋を渡りきり、風情のある数々の建物が俺たちを出迎えた。
「さあ、ここからが本番だよ!」
結愛が元気よくその足を動かし始める。
細い坂道になった参道には両脇に土産物屋や飲食店が所狭しと並んでいる。
夕暮れ時とはいえ観光客の姿はまだまだ多い。
香ばしいイカ焼きの匂いや甘いお饅頭の湯気が漂ってくる。
「湊くん、あそこのたこせんべい美味しそう!」
美咲ちゃんが目を輝かせて屋台を指差した。
「さっきクレープ食べたばっかりじゃないか」
「結構時間経ったじゃん。それに、甘いものとしょっぱいものは別腹だよ!」
「あたしも食いてぇ。へへ、湊、買ってくれよ」
灰までが便乗して俺の肩を小突いてくる。
「……参拝の前に寄り道ばかりしていては神様に見放されるわよ」
雪乃宮さんが呆れたように窘めるがその視線も少しだけ焼きたての海鮮串に向けられていたのを俺は見逃さなかった。
「帰りに買ってやるから。とりあえず上まで行くぞ」
俺がそう言うと女子たちは少し不満そうにしながらも大人しく参道の石段を登り始めた。
揃いのTシャツ姿でわちゃわちゃと歩く俺たちは周りから見れば仲の良い五人グループの観光客にしか見えないだろう。
数時間前までのあの血で血を洗う修羅場が嘘のように今はただ穏やかで平和な時間が流れていた。
参道の賑わいを抜け急な石段を見上げると竜宮城のような鮮やかな朱色の門がそびえ立っていた。
瑞心門だ。
「うわぁ、立派な門だね!」
結愛が感嘆の声を上げる。
「ここから先が神域ということかしら。気が引き締まるわ」
雪乃宮さんが姿勢を正し小さく一礼してから門をくぐる。
それに倣って俺たちも順番に一礼し、境内へと足を踏み入れた。
提灯に明かりが灯り始め夕暮れの神社はどこか神秘的な雰囲気を纏い始めている。
「湊くん、早くお参りしよう!」
結愛が俺の腕にそっと触れ本殿の方へと歩みを促す。
その手首にはさっき水族館で買ったお揃いのクラゲのキーホルダーが揺れていた。
美咲ちゃんも雪乃宮さんも灰もそれぞれ自分のキーホルダーを大事そうに鞄やポケットに付けている。
夏の終わりのような生ぬるい風が吹き抜ける中、俺たちは拝殿の前に並んで立った。
カラン、カラン。
鈴の音が夕暮れの江の島に響き渡る。
俺は目を閉じ、今日一日のあまりにも濃すぎた出来事を思い返しながら、どうかこれ以上俺の胃に穴が空くような事件が起きませんように、と神様に切実に祈りを捧げた。




