専属バーテンダーと冷房
向かいの席では美咲ちゃんがストローをくわえている。
ちゅうちゅうと幸せそうにメロンソーダを飲んでいた。
その天使のような光景と対照的に俺の目の前には地獄がある。
プツ……プツ……。
未だに不気味な気泡を立てる謎の液体を俺はただ凝視していた。
「ほら、飲めよ。ん?」
健太が意地悪な笑みを浮かべて急かしてくる。
ええい、なんとでもなれ。
俺は意を決してグラスを手に取った。
息を止めて覚悟を決め、その毒薬を口に含む。
「……ん?」
舌の上に広がるのは予想外の味だった。
コーラの炭酸とオレンジの酸味。
そこにカルピスの甘みが絶妙なバランスで絡み合っている。
見た目は最悪だが味はまったく悪くない。
いや、むしろ普通に飲める。
「案外、悪くないぞこれ」
俺が素直な感想をこぼすと、健太は信じられないという顔をした。
「嘘つけ!あんな適当に混ぜた魔女のスープが美味いわけないだろ!」
健太は俺の手から乱暴にグラスをひったくった。
そして自らが生み出した暗黒物質をゴクリと喉に流し込む。
数秒の沈黙。
健太の目が見開かれた。
「……あれ、美味いな」
彼は呆然と呟いた。
自分で作っておいて自分が一番驚いている。
俺はクスッと笑って親友を褒め称えた。
「結構センスあるんだな。将来バーテンダーとかいいんじゃないか?」
「うっせぇよ」
健太は少し照れたように視線を逸らした。
そして誤魔化すようにグラスを傾け残っていた液体を一気に全部飲み干してしまった。
カランッと氷が虚しい音を立てる。
「あ、おい。俺の分もうないじゃん」
俺が空っぽになったグラスを指差して抗議する。
すると健太はグラスをテーブルにドンと置き、ニカッと笑った。
「飲みたかったら俺がいつでも作ってやるよ」
その無駄に爽やかで男前な笑顔に俺は思わず吹き出してしまった。
美咲ちゃんも隣でコロコロと笑っている。
テスト明けのファミレスに俺たちの平和な笑い声が弾けた。
カランコロン。
ファミレスの入り口のチャイムが再び軽快に鳴り響いた。
テスト明けの学生たちで賑わう店内。
その喧騒を少しだけ冷ますような凛とした空気を纏った女子生徒が一人で入店してきた。
艶やかな黒髪と隙のない着こなし。
雪乃宮怜だった。
彼女は店員に人数を聞かれると指を一本立てて案内を待っている。
まさかこんな所で学年トップの氷の女王と遭遇するとは。
俺は思わず小さく手を振った。
「おーい、雪乃宮さん」
俺の声に気づいた彼女は少しだけ目を丸くした。
そして案内される予定だった席へ向かう歩みを変更し俺たちのボックス席へと真っ直ぐに向かってきた。
彼女はテーブルの横でピタリと足を止めた。
俺と隣に座る美咲ちゃん、そして向かいの健太を順番に見下ろす。
「あなた達こんなところで何をしてるの?」
呆れたようなでも少しだけ興味がありそうな涼やかな声だった。
俺は苦笑いしながら口を開いた。
「テスト終わりの祝賀会だ——」
「この2人のイチャつき具合を見て胸焼けを起こそうの会だ」
俺の言葉が終わるよりも早く向かいの席から地を這うような低い声が飛んできた。
健太だった。
彼は空になった『ファミレスの深淵』のグラスを弄りながら完全に死んだ魚の目で雪乃宮さんを見上げていた。
「っ……!おま、健太!」
俺は慌てて親友のすねをテーブルの下で蹴り飛ばした。
「い、イチャついてないよ!ただハンバーグをちょっと分けただけで……」
美咲ちゃんも顔を真っ赤にして両手でパフェのグラスを包み込んでいる。
言い訳をすればするほど墓穴を掘っている気がした。
雪乃宮さんはその様子を静かに観察していた。
俺の焦る顔と美咲ちゃんの赤い顔。
そして健太の死にきった表情。
彼女の視線がすっと細められる。
「……ふーん」
短い一言だった。
しかしその声のトーンは夜の校舎で俺がスマホを見ていた時に放たれたあの冷たい声にとてもよく似ていた。
俺の背筋に冷たい汗が伝う。
国語のスパルタ教師として俺の面倒を見てくれた彼女の目の前で他の女子とイチャついていたという構図。
これは非常にまずいのではないか。
ファミレスの冷房が急に威力を増したように感じられた。




