病弱な妹を優先する婚約者1
のんびりとした午後に、ふいに湿った風が吹き始めた。
さっきまでの晴天とは打って変わって、どこからか流れてきた雨雲が、王都に大きな雨粒を落としていく。
「通り雨かしらね」
「たぶんね。まぁ降りたいだけ降ったら止むわよ」
「やだ、けっこう降ってきたわ」
「きっと、いっぱい降らせたい気分なのよ」
バルコニーでポンポンとお喋りを交わすのは、先ほど来訪したシジュウカラのレディたち。
空の変化に敏感な彼女たちは、雨が降り出すよりひと足早く、この王城のバルコニーへ雨宿りにやってきた。別に聖獣だからと偉ぶるつもりもないので快く軒下をお貸しした。そもそも私も王城に間借りしているようなものだしね。
そうして始まった彼女たちの時間潰しのお喋りは、聞いているだけで楽くて、私は窓際のクッションに丸まって尻尾をひとつ揺らし、可愛らしくも軽やかに続く囀りに耳を傾けた。
「私は雨が好きよ。美味しい木の実が育つもの。身体が濡れるのが嫌なだけ」
「もうすぐ食べ頃なのは、青いとんがり屋根のお屋敷のヤマモモね」
「あー、あの侯爵家のヤマモモ、美味しいわよねー。でも早くしないとすぐに収穫されちゃうわよ」
ほぅほぅ、とんがり屋根の侯爵家のヤマモモね。とても美味しいと……うん、近々偵察に行ってみよう。
「大きな温室があるお家の山桜も好きよ。毎年、真っ黒でピカピカの実がなるの」
「あー、あそこはしばらく行かない方が良いわよ。最近あそこの馬たちは機嫌が悪いから」
「えぇー」
「昨日なんて、ムクドリが熟れた実に浮かれてたら馬糞を飛ばされたんですって。羽根が汚れたって半泣きで戻ってきたそうよ。ほら、山桜は馬房のすぐ横だから」
「「「えぇー、なにそれ。ひどーい」」」
「ねー。あ、そういえば丸窓のあるお屋敷の桑の実がね――」
ひどーい、と言うわりに口調はむっちゃ軽く、次々と流れるように新しい話題が上がっては消えていく。ま、女子のお喋りなんてそんなもんよ。
そうこうするうちに雨は上がって、シジュウカラたちのお喋りも終了。レディたちは日差しが戻り始めた空へと、軽快に飛び立っていった。
「あー、あの馬たちの話ね、知ってる知ってる」
夕方近くにやってきたカークに、雨宿りに来たシジュウカラたちの話をすると、カークはピョンピョンと跳ねながら、不機嫌な馬たちの話題に食いついてきた。
「リンデル伯爵家の馬たちだろう? いつだったか、お嬢様を乗せた馬車をえらく不機嫌そうに引いていたぞ。前を横切ろうとした若い雄ネコが睨まれてビビってたわ」
やれやれといった様子のカークは、けれど次には小さく首を傾げた。
「でもなぁ……あいつら、前はそんなんじゃなかったぜ? けっこう気のいい連中だったけどなぁ」
「何かあったのかしらね?」
おやつのお魚ボーロをポリポリ噛み砕きながら尋ねると、カークも「さぁ?」とばかりに首を傾げた。
「気になるなら、本人たちに聞きに行けばいいんじゃねぇの?」
「そうねー、このままじゃ、おちおち山桜の木に登れないもの。実がピカピカなんですって」
「気になるのはそっちかよ」
声を上げるカークをスルーして、私はリンデル家の馬たちに会いに行くと決めた。だって、木の実に浮かれて馬糞まみれに……なんて、考えるだけで恐ろしいじゃないの。――城の侍女長が。
翌日、私はお昼ご飯をしっかりお腹に収めてから、リンデル伯爵家へ向けて出発した。
はい、鶏ささみとキノコのミルフィーユ、美味しゅうございました。食べずに出るとかあり得ません。
私は絶品のリンゴソースと料理長を称えながら、ムクドリの案内で貴族街を走り抜ける。
さまざまな装飾の塀やフェンス、噴水にガゼボ――通り過ぎる家々によって変化する景色は、華やかでなかなか楽しい。
ちなみに、前を行く案内役のムクドリの彼は、馬糞の被害者本人ではなく同じ群れの仲間だそうだ。その後ろからは、話を聞きつけたカークが面白がってくっついて来ていた。
「ほら、あのお屋敷だよ。向こうにガラス張りの温室が見えるだろ。山桜はその奥だ」
ムクドリの案内に従って、私は屋敷のフェンスの隙間をくぐると、植栽の間を縫うように進んでいく。
「ねぇ、山桜の実はもう熟れてるかしら。黒くてピカピカ?」
「んー、見た感じ、まだ赤いのと半々ってとこかな」
「……なぁ、馬から話聞くんだよな?」
ムクドリとの会話にカークが割り込んできた。もちろん聞くわよ? ちょっと確認しただけじゃないの。
そうして大きな温室の裏の砂利道を抜けると、向こうに馬房らしき建物が見えてきた。
「じゃあ、おいらはここまでね」
先導していたムクドリが、スイッと滑るような急上昇で場を離れていく。どうやら馬たちには近づきたくない様子。まぁ、仲間から話を聞いてたらそうなるかー。
ムクドリに礼を言って、私はそのまま真っ直ぐに馬房を目指して進んでいく。足元の下草が徐々に深くなって、到着する頃にはすっかり草に埋もれてしまった。
伯爵家の馬房は立派な煉瓦造りで、すぐ脇には柵で囲まれた小さな放牧場――パドックがあった。その一角に、赤や黒の実をつけた木が、まるで馬房の屋根に覆いかぶさるように生えている。あれが山桜ね!
ちょうどパドックの中では、馬たちが草を食んだり日光浴をしている最中だ。話を聞くにはちょうどいいわね。うーん、見た感じそんなに不機嫌そうには見えないけどなー。
私は念のため馬たちのご機嫌を窺おうと、茂みや植栽に身を隠しながらソロソロとパドックに近づいていった。ネコ科なんでこういうのは得意なのよ。
ちなみにカークは、高い木のてっぺんで見物を決め込んでいる。
「――だよなぁ。それにさぁ……」
木の柵に近づくにつれ、私の耳に馬たちの話し声が届いてきた。
「わかる。毛並みを磨かれて、鬣にリボンも編み込んでもらったんだろ?」
「そう、それで今日はお嬢様と郊外まで遠出だー、って張り切ってたら寸前でドタキャンよ。は? ってなるだろ」
「うんうん、俺も以前にやられた。お洒落な店を巡る予定がドタキャンよ」
「ふざけんなって思うよな。お嬢様のあんな顔見たら余計にさぁ」
……なんだろ、これって怒っているっていうか、愚痴ってる? ってか、ドタキャン、ドタキャン言ってるけど、何の話?
私は潜んでいた草むらから身を起こすと、パドックの柵をくぐって中へ足を踏み入れていった。
――こんにちは。ちょっとお話を聞かせてもらってもいいかな――
額の宝珠を淡く光らせ、急に現れた私に馬たちは驚いていたようだけど、聖獣の力で話しかけたおかげでパニックにはならずに済んだ。馬は繊細だからねー。ビックリさせると暴れちゃうから。鎮静剤みたいなもんよ。
「ニャアーン」
私は馬たちの前に前足を揃えて座ると、まずはご挨拶。
そして目の前で戸惑う彼らに、最近この家の馬たちが不機嫌だと噂されてることや、近づくと睨まれたり、馬糞を飛ばされると思われてることをズバッと伝えて、なぜそうなってるのか尋ねてみた。
うむー、パドックの砂に尻が沈む……見上げすぎて首が痛い。
「え、そうなのか? そりゃ悪いことしたなぁ」
「そんなつもりはなかったけど、知らないうちに八つ当たりしてたかも……申し訳ない」
私を覗き込むように首を下げていた馬たちが、欹てていた耳をピルピルとさせて、ちょっとショボンとなった。
え、なんだか、とってもいい馬たちなんだけど?
木の上にいたカークも「あれ?」って感じで降りてきて、近場の柵に止まった。
そうして、何となく拍子抜けな気分の私に、馬たちは噂の原因となった出来事を代わる代わる話して聞かせてくれた。
このリンデル伯爵家には、伯爵夫妻のほかに長男と次男の令息が二人と、一番下に令嬢がいらっしゃるそうだ。その令嬢が、半年ほど前に子爵令息と婚約をした。
お相手は、子爵家とはいえ高位貴族家との付き合いも広く、芸術家を招いた音楽会や美術品の鑑賞会を開くなど、社交界ではなかなか評判のいい家。ヴァイオリンを好むおっとりとした令嬢にも合う家風だろうと、まとまった縁談だった。そうして令嬢と婚約者は、これまで十日に一度ほどの穏やかな交流を重ねていた。
その令嬢の表情が曇り始めたのは、ここ二ヶ月ほど。お相手の令息から約束を反故にされることが増えてきたという。理由はいつも、病弱な妹さんの具合が悪くなったから――と。
「ドタキャンはこの二ヶ月で三回だ。いくらなんでも多すぎるだろう」
「いや、前に芝居の途中であの男だけ帰ったことがあったから、四回だ。あれもドタキャンだろ」
うーん、ここ二ヶ月でまともに交流できたのが三回……いや途中退席で二回か。確かに多い。
「仕方ありませんわ、ってションボリ馬車に乗るお嬢様を見たらもう……なぁ!」
「ああ、あの野郎はお嬢様の前では必死に頭を下げるふりをするから、そのたんびに優しいお嬢様は許しちまうんだ」
「あの男、格下の子爵家の分際でうちのお嬢様をコケにしやがって……あー、思い出したら腹が立ってきた」
プリプリし始めた馬が、ガシッ、ガシッ、と後ろ足で砂を蹴り上げた。砂が盛大にバサーッと飛び散って、柵にいたカークがあたふたと飛び上がっていく。おぉう……。
「そりゃ妹が心配なのは分かるよ? でも十日に一度の逢瀬だぞ?」
「お嬢様も俺らも、ドタキャンの日は一日じゅう最悪な気分で過ごすんだ。しかもそれが何回も!」
「おとといなんか、郊外の湖畔庭園に出かける予定で、お嬢様は前日から楽しみにしてたのに。俺らだってめかし込んで張り切ってて……だのにさぁ!」
そうだそうだ、と馬たちは勢いよく前足を踏みならし始めた。……やめて。砂かかるからやめて。気持ちは分かるけど、前足はやめて。
なるほど、馬たちの怒りの原因は分かった。そして、馬たちは怒りっぽくなったのではなく、お嬢様がドタキャンされた日に怒っていた。噂の目撃談や被害は、ちょうどその日に当たっていたのだろう。
「でも、だからってムクドリに馬糞を飛ばすのは、八つ当たりにしてもどうかと思うわよ?」
「「「……え?」」」
私の言葉に、馬たちが一斉に首を傾げた。
なんと、馬たちに馬糞を飛ばした自覚はまったくなかった。ムクドリの件は完全なる偶然……怒りに任せて砂を蹴り上げたら、たまたま馬糞まで一緒に飛んでムクドリに直撃、という実に不幸な事故。
「じゃ、じゃあ、私が山桜の木に登っても怒らない? ピカピカの実を取ってもいい?」
「いや、別にいいけど?」
馬たちの言葉に思わず浮かれてしまう。やったわ、これでもう木の実案件は問題解決!
「でも見た感じ、あの実がぜんぶパンパンに熟れてピカピカになるには、あと一週間くらいじゃないかな」
「せっかくなら、その頃においでよ」
親切な馬たちのその言葉が、浮かれていた私をスンとさせた。
いや、ちょっと待て。それってお嬢様の次のデート予定日あたりでは? 下手したら不機嫌サイクルにドンピシャ……危険すぎるでしょ。やだ、ぜんぜん問題解決してないじゃない!
「分かったわ。じゃあそれまでに私がお相手の子爵令息のことを調べてあげる。お相手は……うん、ヴェルディ子爵家ね。もし病弱な妹を優先してお嬢様を蔑ろにする不誠実な男なら、証拠を揃えてきっちりけじめをつけさせるべきよ」
おおっ、と尻尾を振って喜ぶ馬たちに「ニャッ」と胸を張って別れを告げると、私はさっそく行動を開始することにした。
パドックの柵をくぐって元来た道を戻……ろうと思ったら、ふと遠くからヴァイオリンの音色が聞こえてきた。ふむ……?
音色を追って植栽の陰をそっと進んでいくと、美しく整えられた庭園の中ほど――白い藤棚の下に人がいるのが見えた。
目にも鮮やかに咲き誇る藤の花房の下で、ヴァイオリンを手にした少女がゆっくりと音を奏でている。淡い水色のドレスに、丁寧に結い上げられた栗色の髪。編み込まれた髪には白蝶貝の髪飾りが輝いていた。
――あれがリンデル伯爵家の令嬢ね。
澄んだ音色は風に乗って、細く高く、庭園の中を満たして……そしてふっと止まった。
ヴァイオリンを肩に据えたまま、しばし何事か考え込むように目を伏せた令嬢に、控えていた侍女から柔らかな声がかかる。
「お嬢様、少し冷えて参りました。そろそろお部屋へ……」
「ええ、そうね。でももう少しだけ」
小さな溜め息をひとつ落として、令嬢が手にした弓を構え直した。
「……おととい、弾くはずだった曲なの。湖であの方に聞いて頂きたくて。少し難しい曲を選んでしまったのだけれど――」
キュッと一度唇を引き結んで、令嬢が背筋を伸ばす。
「次はきっと聞いて頂けるから、もっと上手になっておきたいの」
「お嬢様……」
気遣うような侍女の声に、令嬢はニコリと笑った。
「……妹君のご体調、早くよくなられるといいわね。いつか妹君にも聞いて頂きたいわ」
そしてまた、滑るようにヴァイオリンの音色が流れ始めた。
私はその音色から離れるようにそっと後ずさって、植栽の影へと身を沈める。
……あー。
あー、もう。これはアカン。
なるほど、馬たちが「あのお嬢様の顔を見たらもう」って言っていたのが、よぉく分かったわー。あれは怒れない。腹も立てられないわ。だってお嬢様、本気で相手を心配してるんだもの。
約束して、楽しみにして、おめかしして……当日の朝にひっくり返されて、それが何度も。そのたびに「仕方ありませんわ」って笑って、相手の妹の心配までして。今日だってこうやって、次に会える日を待っている。
……ねぇお嬢様、あなたのその優しさ、どこかで底が抜けたりしない?
だって人間だもの。溜め込んだものはいつかは溢れてしまうものよ。そしてそうなった時に、このお嬢様なら「私が我慢しきれなかったから」なんて、相手じゃなく自分を責めかねない気がするのよね……ああ、もう!
「ニャッ」
私はヴァイオリンを弾き続ける令嬢の横顔から目を逸らすと、伯爵家を後にするべく来た道を引き返した。
目指すはヴェルディ子爵家。
もう、もう! 絶対に、洗いざらい暴いてやるんだから!
張り切って走り出した私の後ろを、いつの間にか面白そうにカークが追ってきていた。
……あんた、今までどこにいたのよ。
貴族街の通りに出て、さてヴェルディ子爵家の情報を誰か知らないかな……と思っていたら、街の鳥たちがむっちゃ知っていた。
「知ってるよ。大きな鳥舎がある家でしょ。有名だよ」
「いつもお嬢さんがパンをくれるしね」
「裏庭にいっぱい緑があるお屋敷でしょ」
通りすがりの鳩もスズメもムクドリも、そしてもちろん、カラスのカークもよく知っていた。
「なんだ、ヴェルディ子爵家のことか。早く言えよー」
あんた、さっきいなかったでしょうが!
カークはじめ鳥たちが案内してくれたのは、貴族街でも坂の下に位置する下位貴族の邸宅が集まるエリア。ヴェルディ子爵邸はその中でそこそこ広い敷地を有していた。
「ね、立派な鳥舎があるでしょ。あそこには大きくてカラフルなお爺ちゃんの鳥がいるのよ。すごく物知りなの」
「お嬢さんのお部屋はあっち。いつもパンを残すから、俺たちにくれるんだ」
道々で鳥たちに聞いた話によると、妹さんが病弱というのは、どうやら本当らしい。
「お顔を青くしてすぐ倒れちゃうの。いっぱい食べたいのに食べられないみたい」
「バルコニーにも出てこられない日があるのよ。まだ小さいのに可哀想」
んんっ? 小さい?
てっきり婚約者の令嬢と同じくらいかと思ってたら、妹さんはなんとまだ十才だそうだ。兄である子爵子息とは八才差。マジか。なら子息が可愛がる気持ちも分からなくはない。けど、それにしたって妹可愛さに何回もドタキャンってどうよ? 子爵夫妻や使用人だっているでしょうに。
とりあえず私はヴェルディ子爵邸の裏に回ると、軽やかなジャンプで煉瓦塀の上に巡らされたフェンスの隙間を飛び越え――。
「ウニャッ?!」
ズボッと、これでもかと生えた雑草の海に突っ込んだ。
モッサモサの草を掻き分けて、ひとまず手近な木に上がってみれば――それはもう一面、雑草天国のような裏庭の光景が広がっている。いっぱい緑があるって、こういうこと? 間違ってないけどさぁ……。
私は鳥基準の「緑いっぱい」に半目になりながら、まずは物知りだという大きなお爺ちゃん鳥とやらの元へ向かうことにした。
「そうかい、そうかい。お前さんが聖獣様かい。長生きはするもんだね。そういや若い頃に他の国に聖獣様がいるって話を聞いたことがあったねぇ。その頃はわしも若くてモッテモテ……いやいや、今も捨てたもんではないぞ? ほれ見てみぃ、この美しい風切羽のグラデーション――」
……お爺ちゃん鳥はむっちゃ喋った。ひと言挨拶しただけで、次から次にどんどん喋る。怒濤のお喋り攻撃に、思わず聖獣パワーの鎮静剤をブッ込んでしまったくらいだ。
「で、わしに話を聞きたいと? 何かな? 何でも聞くといい」
お爺ちゃん……コンゴウインコのアレキサンダーは、うずうずと身体を左右に揺らしながら、期待に満ちたまん丸い目を向けてきた。
「なるほど、跡取り坊主のことか。確かに、妹の嬢ちゃんのことは気にかけているな。嬢ちゃんは生来、食が細くてな。滋養にいい食べ物やら、血巡りによい薬やら、坊主が親代わりにあれこれ与えておるわ」
アレキサンダーは六十年前からこの家にいるそうで、若かりし頃の先代に買われたのだとか。
「先代は珍しい鳥やらバラを愛でるのが好きでな、今の当主も骨董や芸術を愛しておるから、まぁ趣味人なのは血筋なんだろう。ああ、奥方は侯爵家から嫁いだだけあって、茶会やパーティーに熱心じゃな。ふたりとも趣味に励んでほとんど家におらん。坊主もやたらと忙しそうにしておるが……あやつの趣味は何であったかの」
なるほど、社交的で芸術に理解があるっていう評判は事実のようね。でも……そんなにこのお家って余裕あるのかな。そんな風には見えないけど。
確かに、さっき通った屋敷の正面は整ってたけど、裏庭からここら一帯は雑草まみれ。この鳥舎の入り口の鍵も壊れていたし、鉄柵はさびが目立って中にいるのはアレキサンダーだけ。
「まぁ、鳥好きだったのは先代だからな。ここにいた他の鳥たちは、鍵が壊れたときに旅に出て行ったわ。今はわし専用のマイホームじゃ。だが、ちゃんと飯は出てるぞ? 足りなければ適当に敷地内で調達すればいいしな」
あ、今の当主は先代の趣味に興味ないのね。あっちのバラ園らしき一帯も、荒れて蔓が伸び放題だし。そしてアレキサンダーは逃げる気ゼロで、ガッツリ敷地内を縄張りにしていると……悠々自適な老後だわね。
とはいえ、この裏庭の現状を見れば明らかに人手が足りていない。まぁ、くっついてきたカークやスズメたちは、喜び勇んで虫たちを捕まえてるけど。
「ねぇこの家、大丈夫? 夫婦揃っていつも不在なら困るんじゃない?」
思わずそう尋ねれば、アレキサンダーはクリッと不思議そうに首を傾げた。
「ん? この家は先代からそんな感じじゃぞ? まぁそれで家は回っておるし、わしも不足なく食えている。嬢ちゃんの食事や薬もな。きっと誰かしらちゃんとやっとるんだろう」
そうなの? なら、しっかりした人が他にいるってことか。まぁいいや。とりあえず今は本題の令息のドタキャンについて聞かなきゃね。
「それで、その子息のことなん……」
「おお、そうじゃ! 分かったぞ!」
いきなりバサーっと、アレキサンダーが羽根を広げて叫んだ。び……びっくりした。思わず毛が逆立っちゃったじゃない。何?
「跡取り坊主の趣味じゃよ! あやつの趣味は紙を集めることじゃ! うむ、しょっちゅう家令と紙を積んだ部屋に籠もっとるからな。やたらと忙しそうなのに毎日紙を眺めるのはやめん。あれはきっと余程の紙好き……ん? なんじゃって?」
「いえ、あの……えっと」
……うん。なんか今、唐突に嫌なロジックが組み上がってきたんだけど。待って、ちょっと頭を整理しないと。
えーと、ここ二ヶ月、子息は婚約者との約束をドタキャンすることが増えた。妹さんが病弱なのは本当。そして両親は芸術と社交で不在がち。屋敷は人の手が足りていない。子息は紙が好き。
うーん、滋養のある食材や薬ってお金かかるわよね。骨董買ったり芸術鑑賞会を開くのも相当かかりそう。社交で必要な流行のドレスとか小物を揃えるのだって、ずいぶんかかるはず。合わせたらかなりの出費だわ。
でもこの家は、それでちゃんと成り立っている。出ていく出費を賄うために、誰かが子爵夫妻に代わって精一杯管理してるってことよ。裏庭は草ボーボーだろうが、誰かが子爵家の評判と体裁を守ってる。それはきっと、すごく大変で忙しい仕事だわ。
じゃあ、いったい誰が? それはたぶん――いいえ、ここは他にも話を聞いて、しっかりと確認しなきゃ。
ふむ……どうやらドタキャンの背景には色々とありそうだわ。




