ドアマット令嬢(後)
「あら、お帰りなさいませ、ディアーナさま」
「お帰りなさいませー」
通りざまに優しい微笑みでご挨拶してくれる美人揃いの侍女さんたちに愛想よく「ニャッ」「ニィ~」と応えながら、私は勢いを落としてえんじ色の絨毯の上を走っていく。
だって急いで走るとほら……土とか細かい葉っぱとか落ちちゃうから。
「湯浴みの支度をいたしましょうね」
神出鬼没の侍女長が、笑っていない目でニッコリと微笑んでくる。
……えーと。
あの、いや、今はお風呂どころじゃ……私、急いで……え、ちょっ、やめっ、あーっ!
気づけば侍女たちに包囲されて風呂場へ連行。丸洗いされてしまった。
言葉が通じないって、こういうことよ……いや、いいんだけどね? お風呂気持ちいいし。侍女たちテクニシャンだし。あー、そこそこー、ってなるし。
お風呂上がりにモッフモフのタオルで包まれて、侍女さんたちに丁寧に乾かされてブラッシングされて、ピカピカのふわっふわになった私は、ようやく自分の部屋に戻ってお昼寝クッションにダーイブ!……じゃなかった。令嬢の手紙があるじゃん。
青いクッションの上には、細く巻かれた手紙の束が積まれている。その一番上には黒い羽根が一枚。なるほど? 配達完了の印ね。
よし、令嬢の手紙という記録は手元に来た。でもこれを見せてもどこの家か分かんないわよね。「領地のお父様」も「お義母様」も「義妹」も貴族の家にいっぱいいそうだもの。
ということで、私は王妃陛下のお部屋にお邪魔することにした。だって王妃陛下のお部屋には貴族名鑑があるって知ってるから。
あ、もちろん、たまに王妃陛下がそのページをめくりながら黒い笑みを浮かべてるとか、ついでに王太后陛下も一緒になって「うっふっふ」とか黒いオーラをブチ上げてるなんて、知らないわよ? 見てない、見てない。
私はさっそく部屋を出て階段を駆け下りると、迷うことなく王妃陛下の私室へと向かう。
部屋の前に到着すると、警備に立つ近衛隊員がニッコリと扉を開けてくれた。タイミングが完全に自動ドアなのよね。
イケメンのお兄さんにニャッと礼を言ってスルリと中に入れば、気づいた王妃陛下が笑顔で迎えてくれた。
「ようこそ、ディアーナさま。あら、毛並みが一段と艶やかでいらっしゃるわね。実に麗しゅうございますわ。撫でてもよろしくて?」
まぁ丸洗いされたばかりですから。でも撫でるのは後にしてください。私にはやらねばならぬことがあるのです。
キリッとした顔で、伸びてきた白魚のような手をスルリとかわし、「あら~」という鈴を転がすような王妃陛下の声を背に、私は奥の執務机の方へ向かう。
机の脇には、金の縁取りが施された低い書棚が置かれていて、お目当ての貴族名鑑はその一番上の段。分厚い濃紺の背表紙は一度見たら忘れようがない。
トンッと軽やかに書棚に飛び乗って、前足で貴族名鑑を下に落と……落とし……お、重っ! バカみたいにおっも!
前足だけでなく全身を使う勢いでどうにか貴族名鑑を床にドスッと落とし、その隣へ降り立つ。
やだわ、本なのに落下音がほぼ鈍器。いざとなれば凶器として使えそう……なんてことを思いつつ、私の前足はせわしなくページをめくっていく。
ボルザック、ボルザック……家名の字母順なら、そう遠くはないはず。ええい、肉球が滑る。めくりにくい! 王妃陛下、ここぞとばかりに背中を撫でないで。いま忙しいから。
「どちらかお気に召したお家でもございまして?」
いーえ! お気に召さないお家を探してますのよ!
ひたすらページをめくることしばし――あった! ボルザック伯爵家!
蕩けるような笑顔で背中を撫で続ける王妃陛下を振り返り、私は目当てのページをポフッ! と力強く叩いた。
見て、いいから見て! 背中撫でてないでこれ見て、王妃陛下!
パッフ、パッフと何度もページを叩けば、ようやく王妃陛下は撫でる手を止めて、ページを覗き込んでくれた。
「ボルザック伯爵家……? 建国時から続く由緒ある臣下の家ですわね。この家が何か?」
小さく首を傾げて問うてくる王妃陛下に、私はコクリと頷いて応え、そしてすぐさま目の前に広がるドレスの裾を咥えて引っ張った。
私の部屋に、きーてーー!
「あら、あらあら。どうなさいまして?」
困ったようにドレスの裾を押さえる王妃陛下に、私はなおも口を離さず、いっそうグイグイと扉に向けて引っ張り続ける。
「ええと、私にどこかへ行けと……あ、ついてこいと、そういうことでしょうか?」
「ニャァァーン!」
せいかーい! とドレスの裾を口から離して叫べば、直後に王妃陛下から「分かりました。ご案内くださいまし」とのお返事。即断即決、即行動。為政者として素晴らしい!
「あとで抱っこさせてくださいましね!」
キッチリ対価を求めるとこも為政者だわ……。
そして私はすぐさま王妃陛下を連れて自分の部屋へ。侍女とか近衛とかもくっついてきたけど、まぁ王妃陛下だしね。人が多くてもまったく問題なし。
「これは……」
私の部屋に到着し、真っ直ぐに手紙の束が積まれたクッションへ案内すると、王妃陛下はその異様な量にただ事ではないと察したらしい。すぐに一本を手に取り、巻かれた紙を開いて読み始めた。
積んであった順番はバラバラだったので、王妃陛下がいつの日付の手紙を読んだかは分からないけど、恐ろしいほどの真顔になったのでヤバい回から入ったのかもしれない。
すぐさま指示が飛んで、侍女たちの手で手紙はあっという間に日付順に並んだ。それを淡々と読み進める王妃陛下。そしてそのお膝の上に確保された私。
やめて、この至近距離での暗黒笑顔……「舐めてんのかこいつら」って聞こえたけど空耳よね?
証拠の手紙に怒りを爆発させる王妃陛下をよそに、私はサッと膝から飛び降りた。「あ……」と上がる王妃陛下の声を背に、部屋の入り口近くに掛けられた、私専用の羊皮紙の予定暦へ向かう。
壁際のコンソールテーブルへ飛び乗り、金細工の木枠に前足をかけると、明日の日付を肉球でバシバシと連打した。この日、この日! 明日よ!
私の様子を見た王妃陛下が立ち上がり、侍女たちとともにこちらへ近づいてくる。
「ええと……木の実クッキーですか?」
違う! それはおやつ予定! 日付よ、日付。
ブンブンと首を振り、私は再び、今度は日付の数字だけを狙いすましてペシペシ叩きまくる。
「明日……ということでは?」
「ニャーッ!」
侍女の一人の声に、私は全力で肯定を示した。
そしてすぐさま、壁際に据えられた背の高い振り子時計にしがみつく。
……くっ、文字盤が遠い。
文字盤の脇の飾り柱にしがみつき、私はグイッと身体を伸ばして、前足で文字盤の六をひっぱたいた。ここ! この時刻!
「六時……?」
王妃陛下の呟きに私はウンウンと頷くと、さらに目いっぱい身体を伸ばして、文字盤の周囲に彫られた月の装飾をビシッと叩く。
「月……夜……? 夜の六時、ですか」
アタリ! と私は大喜びで再びぶんぶんと頷い――あ、落ちる。
「明日の六時に、ボルザック伯爵邸で何かが起こるのですね?」
「ニャアァァーン! ニャフッ!」
飾り柱をズリズリと滑り落ちながら「せいかーい!」と叫び、私はコンソールテーブルにお尻で着地した。王妃陛下、さすがです!
……でも助けてくださってもよかったんですよ?
それからは早かった。
王妃陛下の指示で、令嬢の手紙は法務官の手へ渡り、ボルザック伯爵家に関する記録や届出が次々と洗い出されていく。伯爵不在中の財産搬出、跡継ぎ令嬢の安否、屋敷へ出入りする不審な商人――調べる理由なら、すでに充分すぎるほど揃っていた。
「明日の夕刻、法務官と王都警備隊を向かわせます。王妃命令の執行を見届けるため、近衛も二名同行を」
淡々と指示を飛ばす王妃陛下の微笑みに、私は為政者の本気を見た。圧がすごい。でもなんか、むっちゃ生き生きして見えるのは気のせいかしら。
「商人が到着するまでは、決して動かないように。書類も荷物も人間も、すべて揃ったところで押さえなさい」
おぅ、悪党を丸ごと一網打尽ですね。さすがです。
よし、とりあえず明日の段取りはついた。実に楽しそ……いや、実に頼もしい王妃陛下が着々と手筈を整えてくださってるので、今日のところはもうお任せしちゃってもよさそうよね。伯爵家も動物たちが頑張ってくれてるし、なにかあったらカークが知らせてくれるわ。
ってことで、私はごはんにしましょう!
今日のメインは白身魚のクリーム煮。うん、知ってた! いい匂いがプンプンしてたから!
いっただっきまーす!
翌日は気持ちのいい快晴。うん、このぶんなら夜までお天気はもちそうね。雨の中での捕り物なんて、警備隊や近衛が可哀想だもの。証拠品の回収だって大変だしね。
昨夜はカークから緊急の知らせもなく、私はたっぷりと睡眠をとって……あ、私はね? 王城の一部の人たちは違うだろうけど。
でもほら私ネコなんで、実務方面はちょっと……あと荒事も無理なんで、ごめんなさいね。そしてありがとう。ええ、ネコだけど夜はガッツリ寝る派なんです。
私はお昼ご飯をしっかり食べて、夕刻に備えて英気を養うべく、ポカポカのお日様の下でウトウトと微睡んでいた。うん、惰眠じゃないの、英気なの……ぐぅ。
そんな感じで至福の時を過ごしていたら、カークが大きな羽音を立ててバルコニーへ飛来してきた。
「よう、姫さん。俺らが昨日運んだ紙は役に立ったかい?」
カークはヒョイと手すりから降りると、機嫌良さそうにピコピコと尾羽を揺らす。
「いやー、落とさずに運ぶのはけっこう大変だったけど、姫のためだから頑張ったんだよー」
実に分かりやすい期待に満ちた眼差しと、恩着せがましい言い回し……はいはい、分かってるわよ。報酬の催促なのよね。
おやつ置き場を見ると、予定通り、料理長謹製の木の実クッキーが陶器のお皿に上品に盛られている。私が寝て……いや英気を養ってる間に置かれたようだ。カークってば狙い澄ましたようなタイミングね。
「あ、伯爵家の方は今んとこ何もないぜ。クソガキが令嬢のドレスを漁って浮かれてるくらいだな。性悪女はまだ家捜し中。シェリーが隙あらば引っ掻いてやるって爪研いでたわー」
カークの報告を聞きながら、私は皿からできるだけ小さいクッキーを四枚選んで……ちっ、大きさが均等だわ。料理長有能すぎ。
ホクホクしながら報酬を受け取ったカークに、私は王妃陛下が動いてくださったことを伝える。
「なるほど、大捕物か! こりゃあ見逃せねぇや。特等席を確保しなきゃな!」
そう言ってカークはクッキー二枚を咥えて飛び去っていった。きっと仲間たちに届けるのだろう。あとの二枚はとっくにカークの腹の中だ。
そうこうしてるうちに、あっという間に陽は傾いて、私は足取りも軽く部屋を出る。行き先はもちろんボルザック伯爵家。だって私には最後まで見届ける責任があるもの。だから現場に行かなくちゃ。っていうか絶対に行く。
だって、悪党どもに警備隊、さらには近衛まで入り乱れての大捕物! さらには令嬢と愛猫シェリーとの感動の再会! こーんな楽しそうなの見逃せるもんですか。それっ!
鼻息荒く到着した伯爵邸は、当然というか一見何事もなく穏やか。ま、そりゃそうよね。まだ一時間以上あるもの。
「いや、そうでもないぞ。あっち見てみな」
伯爵邸全体を見渡せる木の上で、カークが嘴をちょいと振ってみせる。なので塀の上から視線を巡らせれば――なるほど。通りの端に停められた地味な馬車。その御者台には、さっきから一度も手綱に触れない男が座っている。
少し離れた街路樹の陰では、使用人らしい格好の二人組が立ち話をするふりで伯爵邸の門を窺っていた。ほかにも路地の入口や向かいの屋敷の塀際などに、いかにも何食わぬ顔をした人影がぽつぽつ。
おお。いるいる。目立たないよう散らばっているけど、全員きっちり伯爵邸を見張っているわ。
「あと、すでにお屋敷の中に三人ばかり入ってるらしい。屋根裏に人間が潜んでるって、ネズミどもが教えてくれたぜ」
暗部ってやつかしら。やだ、忍者みたいでカッコいいじゃない。
――そうして、時は来た。
馬房の馬が話していた通り、街に夕刻の鐘が響いてほどなく、商人の大きな荷馬車がやってきた。
荷馬車は裏門から敷地内へ入り、迷うことなく搬入用の馬車停めで止まった。すぐに馬車から五人の男が降りて、馬と荷馬車を残し、通用口から我が物顔で邸内へと入っていく。
「来たよ、あの馬たちだよ。あの愚痴っぽい連中」
「おや、いつもより大きい馬車を引いてるね。愚痴が多くなりそうだ」
「今日は人が多いよ。いつもならあの黒い中折れ帽の男だけなのに」
馬車にほど近い馬房の馬たちが嘶き、木の上で鳥がさえずった。なるほど、今日は荷運びのために仲間を引き連れてきたわけね。
男たちが邸内に入って少しすると、荷馬車が入ってきた裏門が音もなくキィと閉じられた。警備隊だ。逃げ道を塞いだのね。
しばらくすると、邸内からピィーッと指笛が響いた。直後、ドッと一気に正門から警備隊が突入した。
警備隊に続いて、二人の近衛隊員を従えた法務官が書類を掲げながら、声を張り上げて邸内へ入っていく。かぁーっこいいー。
我慢できずに私は屋敷に向けて走り出した。だって、ここじゃ中の様子が見えないんだもの。カークをはじめ数羽の鳥たちもついてきたから、気持ちはみんな一緒ってことよね。
トトン! と勢いをつけて庭の植え込みから出窓に飛び乗り、前足を揃えて窓ガラスに張り付く。明かり取りの大きな窓からは、広間全体が面白いほどよく見えた。
「な、何事ですの!? 無礼ですわよ! やめてっ、やめなさい! 触らないで!」
キノコみたいな派手なドレスを着た女が、甲高い悲鳴を上げている。あれが性悪女ね。その向こうでは、青ざめた顔の中折れ帽の男が、法務官に書類を突きつけられて、じりじりと後退っていた。
いいわ、いいわ、クライマックスだわ。やっちまえー。
おぉ、向こうの階段から男が転がり落ちてきた。それを即座にワッと取り押さえる警備隊員たち。動きにまったく無駄がない。こりゃ二階でも派手にやってるわね。
あ、中折れ帽の男が、懐から刃物を取り出した! けど、近衛の一人が瞬時に法務官を背に庇い、見事な剣さばきで刃物を弾き飛ばす! そして間髪入れず、もう一人の近衛が剣の柄で男をたたき伏せた! きゃー、シビれるー! 尻尾が止まらないー!
目の前の光景に大コーフンしていると、頭上から声がかかった。
「聖獣さま、聖獣さま、娘が厨房に隠れたよ」
「いばりんぼで意地悪な方の娘だよ」
「きっと裏口から逃げるよ」
屋根の上から教えてくれたのは若いネズミたち。私は大急ぎで出窓から飛び降りると、裏口へ向けて駆け出した。
植栽の間を跳ねるように駆け、男たちが入っていった通用口へ近づいた、その時。
「きゃぁぁ!」
いきなり甲高い悲鳴が聞こえた。
見れば、通用口のさらに奥、おそらく厨房へ通じる扉の前で、ドレス姿の少女が声を上げながら両腕を振り回し、一人で暴れている。
首にかかった何本ものネックレスがジャラジャラと跳ね、なぜか潰れたパンを握った拳をせわしなく動かす様は、激しいヘッドバンギングと相まって前衛的な踊りに見えなくもない。
なんだあれ……。
「おぅ、姫さん来たか。あれ見ろよ、小気味いいったらありゃしないぜ」
よくよく見れば、少女の顔面にリスが張り付いている。
リスは鋭い爪を少女の顔に食い込ませ、絶対に離れまいとホールドしていた。しかも後ろ足の爪を、鼻に突っ込むという鬼畜ぶり。
「いやぁぁ! 痛い痛い! やめてぇー!!」
顔の上を素早く移動したリスが、耳たぶめがけて前歯を突き立てた。直後、少女とは思えぬ絶叫が周囲に響き渡る。
おぉう……母リスの復讐がえげつない。子リスの尻尾を切られた恨みは深いなー。そしてカラスたちよ、落ちたパンを取り合うのはやめなさい。空気読め。
少女の絶叫に、さすがに邸内と裏門の方から警備隊が駆け寄ってくる。
察した母リスは、最後に猛烈な必殺前歯をかまし素早く木に飛び移ると、あっという間に姿を消した。見事な退却っぷりだ。
こうして後妻の娘も無事に保護? されて、邸内での捕り物もどうやら終結したようだ。
正面玄関では、警備隊の手によって縄をかけられた男たちが次々と護送馬車に放り込まれ、猿ぐつわをかまされた性悪女は、傷だらけの娘とともに別の馬車へ乗せられていった。金切り声がよほど煩かったのだろう。
邸内を覗けば、シェリーを抱えた令嬢が玄関ホールのソファに座っていた。傍らには法務官が控え、その後ろを二人の近衛が守っている。
王妃陛下の直命案件だし、令嬢はこのあと来る管理官や検分員と入れ替わりに王城で保護ってとこか。
ともあれ、令嬢が無事でよかった。そして令嬢に抱かれたシェリーがものすごく嬉しそうで、よかったよかった。
一件落着に胸をなで下ろし、私は動物たちに別れを告げる。うんうん、みんなありがとうね!
そして私は興奮冷めやらぬままに、ご機嫌で王城への帰路についた。
だって……だって、今日のお夕飯はスモークサーモンと野菜のテリーヌ! 期待するなって方が無理でしょ。興奮が冷めるワケがないっ。
私は今夜のメニューに胸を膨らませ、そしてちょっと侍女長にビビりながら、大きなお月様の下を、一気に王城まで駆け抜けていった。
さて、それから数日――。
私は王妃陛下のお膝の上で、事件の顛末を聞いていた。
「ディアーナさまにご報告するまでが私の責務ですもの~」
と、昼寝時に襲来……いや来訪なさった王妃陛下に、爆速で庭園のガゼボへお招きされてしまった。いや、いいんだけどね?
「あれからボルザック伯爵は、こちらが驚くほど早く領地から帰還しましてね」
なんとも優雅にティーカップを置いた王妃陛下が、私の背をひと撫でして、おっとりと口を開く。
あの令嬢の手紙を読んですぐ、王妃陛下は伯爵領へ使者を送っていたらしい。けれど、伯爵領までは単騎でも最低五日はかかる距離。それなりの時間がかかると思っていたら、なんと伯爵は、大捕物の翌朝には王都へ戻ってきたという。それは驚くわね。
聞けば、なんと性悪女に解雇された古参の使用人たちが、自力で伯爵領まで赴き、伯爵本人に訴え出ていたのだそうだ。
王都屋敷の現状を知った伯爵は、すぐさま私兵を引き連れて領地を出発。そして途中で王妃陛下の使者と出会い、そのまま共に王都まで駆け戻ってきた、ということらしい。
そして捕縛された商人らの背後を洗ううちに、伯爵が領地へ赴く原因となった鉱山の崩落も、人為的であった可能性が出てきたそうだ。
「夫人が以前嫁いでいた男爵家についても、いま調べさせています。亡くなった男爵の死因や、養子に入った男の身元も含めて」
え、なにそれ怖っ! それって私の背中をうっとり撫でながらする話?
「ボルザック伯爵は、それはもう悔恨に苛まれているご様子でしてね。けれど婚姻前の身元調査からして謀られていたのですから、同情の余地は大いにありますわね」
ちなみに、伯爵に性悪女を紹介した貴族についても、水面下で徹底的な調査と監視が続いているらしい。本人は「自分も知らなかった。すっかり騙された」なんて弁明しているそうだけど、どうにも怪しいところが多いのだとか。……うん。その貴族の未来、たぶん真っ暗ね。
あの令嬢は今はもう伯爵家へ戻って、再雇用された忠臣たちに全力でお世話されてるそうだ。
伯爵は今回の騒動の責任を問われて国に罰金を払ったものの、それは表向き。鉱山の崩落には、調査と復旧支援という形で国の援助が入って、感涙にむせび泣いていたらしい。
性悪女と商人の一味は揃って今は檻の中。なんせ契約書の偽造や不正売買、貴族の嫡子への監禁虐待に貴族邸への不法侵入、窃盗。さらには調べが進むほどにボロボロと余罪が出てきている。多分この先、シャバには出てこられないんじゃない?
性悪な娘は顔にしばらく残りそうな傷を作り、どこかの厳しい矯正施設へ送られるそうだ。ぜひとも、二度と動物を虐めない子に矯正してほしい。
あ、そうそう、性悪女や商人が血眼で探していた領主印だけど、伯爵自身が領地に持って行ってたんだって。そりゃ見つからないよね。考えてみたら領地で色んな手続きするんだから、持って行くわ。
「ディアーナさま、こちら王城のパティシエの新作ですのよ」
嫋やかな手で差し出されたのは、濃厚なクリームとフルーツを挟んだ小ぶりのサブレ。
もちろん、いただきますとも! 私、聖獣なんで、何でも食べられますから! そこのチョコもレーズンもドンとこいです。聖獣体質バンザイ。
あーんとかぶりつけば、お口いっぱいに幸せの味。
ガゼボにはふわりと気持ちのいい風が通って、季節の花々がお日様の下で小さく揺れる。
この後は、このままここでお昼寝してしまおうか、あるいは庭園を探検するのもいいかもしれない……。
私は高貴なお膝の上で次のスイーツを見定めながら、これからの予定をのんびりと組み立て始めた。




