ドアマット令嬢(中)
ボルザック伯爵邸は貴族街の一画、やや平民街に近い場所にあった。
広々とした敷地の豊かな植栽のおかげで身を隠す場所には困らない。というか、門番も私兵もやる気がないというか仕事がおざなりで、侵入は楽勝だった。そもそも伯爵邸にしては人が少なすぎる。大丈夫かしらね、この家。
頭上で小さく鳴いたカークが示す方向を見れば、庭の片隅……白い花を咲かせたスイカズラの影で、シェリーがじっと邸宅のバルコニーを見つめていた。あれが令嬢の部屋なのだろう。
そっとシェリーに近づいて声をかけたら、ピョンと跳び上がって驚かれてしまった。すごく可愛らしいお嬢さん。そしてとっても健気。こりゃチェルシーが誤解したのも無理ないわ。
……あ、いいのよー。聖獣とか別にエラくないから。同じネコ仲間だから。気楽に接してね。うんうん。照れた顔がまた可愛いわねー。
「あなたはここにいて。まず私が様子を見てくる。人間がきたら隠れるか素知らぬ風でね」
私の言葉にコクコク頷くシェリーに尻尾を振って、私は屋根まで登れそうな足がかりを探すため静かに歩き始めた。
手頃な木から木へ。そして邸宅の外壁を強く蹴ったら、わずかに出っ張った窓の桟を足がかりに一気に屋根へ。ふふん、楽勝だわ。
眼下ではシェリーがこちらを見て口をパカッと開けている。あら真っ白な牙ね。歯磨き完璧。
ということで、さして苦もなく令嬢の部屋のバルコニーへ。格子の入ったガラス戸越しに中を覗けば……いた! 年の頃なら十代の前半……痩せた女の子が机に向かって何やら一生懸命に書き物をしている。
衣服は簡易な部屋着にしても貴族令嬢としてはあり得ないほど粗末。室内へ目を移せば、床には掃除が行き届いていないのか、ところどころ埃が溜まっている。小テーブルに置かれたトレイの上には、下働きが食べそうな固パンと水差し、木のカップ。うーん、これは……。
私はとりあえず本人に気づいてもらおうと、前足の爪でガラスをカシカシ、カツカツと引っ掻いた。さすがにネコの身でテラス窓は開けられない。あーけーてー。
机に向かっていた令嬢はすぐに音に気づき、こちらを振り向いてくれた。驚きに大きく目を見開いた令嬢が、よろけそうになりながらこちらへ近づいてくる。澄んだ青空のような瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。
なるほど、この子がシェリーの大好きなご主人ね。痩せてるし窶れてはいるけど大丈夫、まだ瞳の光は消えていない。
「聖獣……さま?」
私の額の宝珠を目にして、令嬢が窓越しに声を上げた。
それに小さく頷いて、私は窓を開けて欲しいと更にカシカシとガラスを叩く。けれどそれに令嬢は長い睫毛を伏せ、悲しそうに左右に首を振った。
「開けられないのです……塞がれてしまって」
令嬢が手でさする窓の内側には、窓枠と開き戸をまたぐように何本もの釘で木片が打ち付けられている。これ、完全な監禁! アウトー!
さてどうしたものかとバルコニーで思案していると、令嬢はいっそう窓辺に身を寄せてきた。
「シェリーが聖獣さまに知らせてくれたのですか? シェリーは、シェリーは無事でしょうか」
真っ先にシェリーを心配する令嬢が何だか微笑ましい。私がしっかりと頷いてみせれば、令嬢は泣きそうな顔で笑った。シェリー、あなた愛されてるわね。
さて、令嬢がかなりマズい状況なのは分かった。
私としては早急に救出したいのは山々だけど、遠い領地に行ってる伯爵は戻って来られない。それに王城の人たちを動かすなら、もう少し情報と証拠が必要よね。
ふむ、と改めて室内へ目を向ければ、部屋の奥に先ほどまで令嬢が座っていた椅子と机が見えた。そういえば一体なにを一生懸命に書いていたんだろう。
私の視線の先に気づいた令嬢が、ハッと小さく口を開けた。そしてすぐさま机へ戻ると、何かを掴んで窓辺へ駆け寄ってくる。何かの台帳……いや、紙の束?
それは何通もの手紙が日付順に細い紐で綴じられた束だった。表紙代わりの厚紙には『お父様へ』と書かれている。
「いつか父に届けられる日のため、起きたことを日付順に書き残しております」
ほうほう、ってことは手紙すらまともに届けられない状況だと……こりゃ真っ当な使用人は排除されてるっぽいわね。性悪どもが小賢しいわ。
令嬢は手紙を一枚ずつガラスへ押し当てるようにして私に見せてきた。
なるほどこれは……ただの手紙じゃない。いつか戻る父親にすべてを訴えるための、詳細な記録だ。まだ十三才の少女が、いつか読んでもらえると信じて書き続けてきたのか。
ガラス越しに手紙を読んでいく私を、令嬢が少しだけ不安そうに覗き込んできた。なのでしっかりと頷きを返しておく。大丈夫、大丈夫。言葉も分かるし、バッチリ字も読めるからね。人間の言葉が話せないだけだから。……まぁ、それが一番大きいハンデなんだけどね?
最初の数通は、ごく普通の手紙だった。
「お父様、早く帰ってきてくださいね。家族皆と笑顔でお迎えできる日を心待ちにしております」
「お父様がご不在の間に、もっとお義母様や義妹と親しくなれたらと思っております」
けれど、その内容は枚数を重ねるごとに、徐々に不穏な色を帯びていく。
「侍女頭のナタリアがいなくなりました。執事のヘンリーやメイドのアナもです。昔からお屋敷にいた者たちが、いなくなっていくのは淋しいです」
「夜、見知らぬ商人が訪ねてきました。お仕事の関係でしょうか。お義母様が屋敷の中を案内しておられました」
「お義母様に領主印の保管場所を尋ねられました。存じませんとお伝えしました」
………これ、もしかして一刻を争うパターン?
すっごい詐欺の匂いがする。領主印なんて、会社でいえば実印みたいなものでしょ。書類を偽造されて、財産を根こそぎ持っていかれかねない。……マズい、マズすぎる。
ガラス越しに次の手紙が示されるたび、事態の深刻さは増していった。
「亡くなったお母様のお部屋がとても散らかっていました。昔、お母様が大切になさっていた宝石箱が見当たりません。壁に掛けられていた絵もなくなっていました。どこかへ片付けられたのでしょうか」
「知らぬうちに商人が無遠慮に邸内を歩き回っていて、とても驚きました」
「お掃除をすると言って、お義母様たちがお父様の寝室や執務室の引き出しや戸棚を、次々と開けていました」
……おぉう、これは確実にやっちゃってるね、性悪女。そしてこれからさらに何かやろうとしてるね。
次の一枚には、後妻たちが執務室へ入ろうとした時のことが記されていた。
「執務室へは許しなく入ってはならない、というお父様のお言葉をお義母様にお伝えしました。お義母様は私の出過ぎた言動をお叱りになり、部屋での謹慎を命じられました」
なるほどねぇ。ご令嬢は後妻たちを止めようとして、それでこの部屋に閉じ込められたと……は? 謹慎じゃなくて監禁でしょうがっ!
よし、だいたい分かった。今の伯爵家が、とにかくヤベェ状況なのは分かった。
考えたくはないけど、このままじゃご令嬢だけじゃなく伯爵も危ない。だって後妻にとって、伯爵が戻ってきたら困ることだらけでしょ?
もし領主印まで手に入れたら、伯爵家の財産を勝手に動かして、その証拠を隠すために何をするか分かったものじゃない。
……うん。これは今すぐ動いたほうがいいね。
ということで、私はいったん屋根の上へ戻ることにした。
令嬢には「すぐ戻るから待ってて」とゼスチャーで伝えた。きっと通じてるはず。ガラスに肉球押しつけただけじゃないから。キリッと聖獣っぽくキメたから。うん、大丈夫なはず……。
ことは一刻を争うので、私は屋根に到着するとすぐさま額に意識を集中して、近くにいる小動物たちへ呼びかけ始めた。がんばれ私の聖獣パワー。
そうして淡く宝珠がきらめく中で待つことしばし、屋根の上にはなぜかガクブルする家ネズミたちが十数匹……いや処刑の呼び出しじゃないから。狩らない、狩らない。ほらほら見て、これ宝珠! ね、ワタシ聖獣。コワクナイデース。
震えるネズミたちを懸命に宥め、諸々の事情を説明すること数分。
短いネズミ会議ののち、私の前に一匹の年長らしきネズミが進み出てきた。長老かしら……あ、違う? 長老は床下で死んだふりしてる? それってどうなの。
年長のネズミは屋敷の構造に詳しいらしく、前足で屋根瓦の下にある小さな隙間を示した。どうやらそこから屋根裏へ入って梁を伝えば、屋敷中を行き来できるらしい。さすが家ネズミ。人間よりよほどこの家に詳しいわ。
私の号令でネズミたちが次々と瓦の隙間へ入っていくのを見送って、私は再び令嬢の部屋のバルコニーへ。
あ、よかった。令嬢ちゃん待っててくれたのね。うわぁ、ゼスチャー通じてたのが地味に嬉しい。
私はちょっと自信のついたゼスチャーを再び令嬢に向けて披露。腰を下ろし、片方の前足をポフッと口元へ当てたら、そのまま小さく首を横に振ってみせた。
その様子を目の前で見ていた令嬢は、一瞬目を丸くしたあと、同じように片手で自分の口をそっと塞いだ。それに私はウンウンと頷く。令嬢は手で口を覆ったまま、確信したようにゆっくりと大きく頷いてくれた。
よし、「声を出さないで」という意思はバッチリ通じたようだ。これすっごく大事だからね。だってほら……。
私がもう片方の前足でヒョイヒョイと部屋の奥を指すと、パチパチと可愛らしく瞬きをした令嬢が後ろを振り向いて、そして、
「きっ――――――」
悲鳴を飲み込んだ。
よし! よく頑張った令嬢! ここで声を上げたら台無しだからね。いま誰かに来られたら困るのよー。
現れた四匹のネズミを前に、令嬢はしばし呆然としていた。やがてハッと我に返って私の方を振り向く。顔色はちょっと青いしギッチギチに口を覆ってるけど、うん、大丈夫そう。偉いわよ。
私が窓際に置かれた手紙の束とネズミたちを交互に示すと、令嬢はコクコクと頷いた。なんか段々と目が据わってきてるわよ令嬢ちゃん……。
目の据わった令嬢は、必要な手紙を選び出すと一枚ずつ細く巻き始めた。それをネズミたちが順番に咥え、家具の裏にある床板の隙間から次々と運び出していく。
あー、ことが終わったらその家具裏の床板、隙間を塞いでおいた方がいいと思うわ。
さて、令嬢にお願いすることは、ひとまずこれで終了。
「ニャッ!」
私はくるりと尻尾を振って令嬢に別れの挨拶をする。それに令嬢は大きく頷いて応えてくれた。
キラッキラの青空みたいな瞳に見送られて、私はバルコニーから大きくジャンプ。そして空中でクルッと身体をひねり、シュタッと格好よく地面へ着地。……決まった!
かなり高かったけど怖さをまったく感じないのは私が聖獣のせいかしら? なんか前世でも高いとこは平気だった気がする。ジェットコースターとか吊り橋でテンション上がるタイプ。だからネコに転生したのかしらね。
我ながら見事な着地に気を良くしていたら、植栽の影でハラハラしながら待っていたシェリーが駆け寄ってきた。なので私はシェリーに、お嬢様の無事と部屋での出来事をざっくり伝える。
「は……? ネズミ?」
シェリーの口から、うら若き乙女にあるまじきドスのきいた声が聞こえた。幻聴かな?
「ネズミどもがお嬢様に接触したと……?」
ブワリと逆立った真っ白な長毛がコワい。この家のネズミたちがやたらビビってたのって、もしかしてシェリーのせいでは……?
私は必死に言葉を選んでネズミたちを擁護した。彼らの協力と活躍をこれでもかと力説し、どうしても必要だったのだと説明して、そうしてようやくシェリーは納得してくれた。ものすごく渋々とだけど。舌打ちでもしそうな雰囲気だったけど。
そうやって私が必死にシェリーへ説明している間にも、屋根ではカークと仲間のカラスたちが、ネズミから受け取った細い手紙を次々と回収していた。やがてそれらは庭先の目立たない場所へ運ばれ、小さな山になって積み上がっていく。
私の話になんとか納得したシェリーが、性悪どもを偵察するために邸内へ入ったあと、私は改めてカークたちが積み上げた手紙の束を見やった。んー、けっこう量があるなー。
私は近くで小さな木イチゴを突っついていたカークに声をかけた。
「カーク、もうひと仕事お願いしていいかな。この紙の束をぜんぶ王城の私の部屋まで運んでほしいの。窓際にある青いクッションの上ね。報酬は私のおやつの木の実クッキー三枚でどう?」
嘴の先でつまんだ木イチゴをパクッと飲み込んで、カークがピョンピョンと跳ねるように近づいてくる。
「五枚ならいいぜ」
「四枚。これでダメなら自分で運ぶわ」
「えぇーー」
不満そうにブチブチ言いながらも、カークは黒い尾羽を機嫌よく揺らし仲間を集め始めた。
くっ、明日のおやつが激減してしまった……まったく、聖獣の足元を見るんじゃないわよ。
細い手紙を二本ずつ嘴で挟み、飛び立っていくカークたちを見送って、私は駆け足で敷地内を移動する。
令嬢の手紙はなんとか外に運べたけど、それだけじゃ王城の人たちを動かすにはちょっと弱い。性悪たちの次の行動を掴んで先回りしなきゃね。そのためには聞き込みよ。
私は伯爵家の広い敷地内を見つからないように駆け回りながら、色んな動物たちの話を聞いた。動物たちって本当によく人間たちを見ているのよ。それぞれの話は細切れだけど、つなぎ合わせれば全体像が見えてくる。動物ネットワーク、侮れないわー。
「三日前にデカい絵や重そうな荷物を積んだ馬車が出てったよ。同じ馬車を四回は見たかな」
裏門近くの木に住んでいる鳥は、歌うようにそう教えてくれた。
「ああ、あの胡散臭い商人かい? いつも決まった曜日と時間に馬車で来るよ。あいつに飼われている馬たちは、いつだって愚痴ばかりだ。聞いてるこっちが滅入っちまう。次にあの愚痴を聞くのは明日だね。夕方の鐘が鳴って、少ししたら来るはずさ」
馬房で飼葉を食みながら、うんざりした様子で馬たちは溜息をついていた。
「次は大荷物になるわね、積み込むのが大変、って奥様が男に言ってましたっ」
「次までに必ず探し出せよって、男が奥様に言ってるのを聞きましたっ」
必死の形相でそう教えてくれたのは家ネズミたち。私が情報を集めていると知って、わざわざ追いかけてきてくれたらしい。その隣では、いつの間にか偵察から戻ってきたシェリーが満足そうに頷いている。いや……あー、うん。ありがとう。
その時ふと、シェリーが何かに気づいたように目を見開いた。
「いまの話で思い出したのだけど、こないだ男が、『ほかは全部準備できた。あとはダンナのインだけだ』って、性悪女にくっつきながら話してたわ。よくあんな臭い女にくっつけるものだって思ったからよく覚えてるの」
……ダンナのイン。
……旦那の印?
つまり――伯爵の領主印!
そっか、性悪たちは明日の夕方までに領主印を見つけて、なにか大きな悪事に使うつもりなんだ。しかも伯爵家からもっと大胆に荷物を運び出す準備を整えている。
やだ、明日の夕方って、もう時間がないじゃない。大急ぎで王城に戻らなくっちゃ!
私はシェリーをはじめ伯爵邸の動物たちに見張りを頼んで、大急ぎで王城へと戻った。
いつの間にか陽は西に傾いて、視線の先では小高い丘にそびえる王城の白壁が、みかん色の夕日に照らされている。小腹が空いた……みかん食べたい。




