ドアマット令嬢(前)
「ロビンが、二股をかけているらしい」
そんな噂話を聞かせてくれたのは、今日ふらりと王城の私室を訪れた、私の友人カーク。
「え、ロビンってあの堅物のロビン?」
「ああ。それでいま、チェルシーと大ゲンカ中だ」
昼食が終わってしばらく、いい感じにまったりとしていた私は、思わずソファから身を起こしてカークに首を傾げてみせる。
「まさか。どうせまた巡回中に親切にした子に勘違いされたとか、そういう事じゃないの?」
私の知るロビンはとても勤勉で真面目な男だ。
毎日決まった時間に街を巡回し、困っている者がいればさりげなく助け、トラブルがあれば仲裁に入り、皆に頼られる兄貴分のような存在。そして彼女であるチェルシーとはラブラブなはず……。
「あー、いやな、俺も最初は別のロビンの話だと思ったんだよ。だが、あのロビンで間違いないらしい。なんせ、ついさっきチェルシーが大声でブチ切れた挙げ句、ロビンをブン殴ってたのを見たばかりだ。だもんで、こうして大急ぎで姫にご注進に馳せ参じた、ってわけよ」
あまり表情の変わらないカークだけど、明らかに面白がってるのが丸分かり。
「相手は伯爵家の女の子らしくてな。そりゃもう綺麗で上品なお嬢様らしいぜ。それもまた下町育ちのチェルシーの癪に障ったんじゃねぇの。自分とは正反対のタイプだからなー。下町のチャキチャキ娘 対 箱入り純正お嬢様! こりゃ見逃せない勝負……いてっ!」
素早く立ち上がって、ウッキウキするカークの横っ腹に軽くジャブを入れると、私は足早に部屋の扉へ向かった。
「カーク、ロビンたちがいる場所に案内してちょうだい」
だって噂だけを信用するわけにはいかないものね。ちゃんとロビンから話を聞かないと。まぁその前にまずは喧嘩を止めることになるかもだけど……。チェルシーはそこそこ喧嘩できるようだけど、万が一にもロビンが本気で相手したら大けがしちゃう。
「OK、じゃあ外で待ってるぜ」
部屋のバルコニーの手すりにヒョイと音もなく飛び乗ったカークに一瞥をくれて、私はそのまま早足で扉を出ると、王城の広い廊下を走り出した。
えんじ色の絨毯のふかふかとした感触を足裏に感じながら、私は外へ出る最短ルートとして一階の小サロンを目指した。今の時間なら付属のコンサバトリーから内庭へ続く扉が開いているはず。
「あらディアーナさま、お出かけですか?」
王妃陛下の侍女が通りすがりに声を掛けてくるけど、そのまま無言で疾走。忙しいの。ごめんね。
「慌ただしいお散歩ですわねぇ」
「お夕食までにはお戻りになってくださいましねー」
朗らかな侍女たちの声を背に、私は広くて真っ白な階段をひたすら駆け下りていった。
華やかな近衛隊員らがスムーズな所作で私に道を譲ってくれるので、足のスピードが落ちることはない。うん、近衛は空気読んでナンボよね。
私はそのまま扉の開いていた小サロンを突っ切って、コンサバトリーから内庭へ。なんか後ろから掃除中のメイドたちの「きゃっ」とか「ちょっ……」とかいう声が聞こえたけど、とりあえず気にしない。
足元の感触が、絨毯から石タイル、そして土道へと変わっていく。目指すはあの花壇の先。塀の向こうよ!
「花壇は踏まないでくださいよー!」
しゃがれた大声は庭師のロブ爺。折り悪くその花壇脇で作業をしていたようだ。
鋭くも警戒するようなロブ爺の視線に、私はモチのロンよ、とばかりに華麗にジャンプ!
色とりどりに咲き誇る花たちの上を飛び越えて、その先にあった手頃な木の枝へと飛び上がってみせた。
そして、私はこちらを見上げるロブ爺を振り返ると、得意満面に一声上げる。
「ニャァァーーン」
「お見事ですな」と眼下でウムウムするロブ爺に気を良くして長い尻尾を一振りしたら、木々の向こうにある塀へ向かってさらにジャンプ。
柔らかな風に私の銀色の毛並みが揺れる。降り注ぐ木漏れ日が気持ちいい。
「おう、相変わらず足が速いね、姫さん」
塀の上では、先ほど部屋のバルコニーから飛び立ったカラスのカークが、バサリと羽根を広げて待っていてくれていた。
「チェルシーがロビンをシメている場所は東の下町だ」
「分かった」
カークがふわりと飛び立つと同時に、私はまた走り出した。
敷地内の壁やら庭園やら建物の屋根やらを上へ下へと飛ぶように駆け抜けて、城の東門から堀を渡って王都の城下町を目指していく。
途中で私を止める者はいない。侍女もメイドも騎士も文官も、すれ違う偉そうな貴族でさえ私の背を見送ってくれる。
聖獣っていうのは、つくづく自由でお気楽な身分だわねー、と自分でもいまだに思ってしまうわ。
私は一年前、この国の聖堂に突如として現れた聖獣……と呼ばれる猫だ。
どこから来たのか、なぜ現れたのか、私自身にもさっぱり分からない。おまけになぜか前世の記憶があったりするんだけど……そこはあまり意味がないかな。
だって、たぶん日本の会社員だったかなー程度で、個人的な記憶はほとんど残ってないんだもの。
ディアーナという名は、なんかすごく荘厳な式典と共に国王陛下に授けてもらった。五百年ぶりの式典だったんですって。
まぁ、名付けに関しちゃ実際のところ、王太后陛下と王妃陛下が侃々諤々の話し合いの末に決めたらしいけどねー。
おかげで国王陛下は、いまだ自分の命名案を女性陣にボロクソに却下されたショックが残ってるっぽい……イケオジ、ドンマイ。
この国の聖獣へのスタンスは「聖獣さまの行動を妨げない」「過剰に崇めない、祀り上げない」というもので、いるだけでオッケーらしい。私としてはとても助かっている。そうでなきゃこんな風に好き勝手に城内や街中を走り回れないものね。
綺麗な王城住まいで、三食にオヤツと昼寝つき。お気楽なネコ生活は慣れたらやめられないわー。
とまぁ、そうこうしてるうちに到着しました王都の下町。
東の城門を出てから街中を屋根伝いに走ることしばらく、空中でホバリングし始めたカークの嘴の示す先を見れば、なるほど細い路地の先……民家の壁に囲まれたちょっとした空き地に、ネコの集団が見える。
その集団の中心には――おぉう、三毛のチェルシーのパンチからピョンピョンと逃げ回っているトラ縞のロビンの姿が……。
「ちがっ……違うんだって! 話を聞け!」
「この浮気者――! よけるなーー!」
かなりヒートアップしてるチェルシーちゃん、なかなかにスピード感のある本気のフック。それをサッとよけるロビン。チェルシーを力で抑えようとしないとこに好感持てるわねー。
でも、とりあえずは喧嘩を止めましょうか。話が聞けないもの。
「はいはい、そこまでー」
屋根から飛び降りて声を上げれば、二匹を囲んでいたネコたちの輪がサッと開けた。でもその真ん中では、いまだチェルシーの攻撃は止まず、ゆえにロビンも逃げ続けている状態――こりゃあかんですね。
なので私は、自分の額に意識を向け、腹から声を出した。
――チェルシー、ロビン、止まりなさい――
額にある聖獣の宝珠がわずかに熱を持って、キラリと淡い光を放った。
と同時に、ピタリと二匹の身体が止まった。
互いに対面したまま、チェルシーは腕を振り上げた状態で、ロビンは飛び上がる寸前の身をかがめた状態で、まるで時間が停止したようにピタッと動きを止めた二匹は、ソロリと目線だけを私に向けてきた。
――二匹とも少し離れて。そう……話を聞かせてくれる?――
二匹はブルリと一度身体を震わせ、それからゆっくりと後退するように離れると身体を私の方へ向けてシュンと大人しくなった。どうにもバツが悪そうな表情だ。けど周囲で見守っていたネコたちはホッとしたようなので、無理にでも止めて正解だったみたい。
聖獣の能力はまだぜんぜん使い慣れないけれど、こうして動物と普通に話せたり、いざとなったら強制的に従わせたりできるのは助かる。荒事にはまったく自信がないんだもの。欲を言えば人間とも言葉を交わせればよかったけど、世の中そう都合よくはいかないのよね。世知辛いわー。
「それで、いつもラブラブな二匹はなんで喧嘩してるの? ロビンが二股かけたってホント?」
軽く首を傾げてストレートにそう尋ねると、即座に「違う!」とロビンが声を上げた。が、直後にチェルシーが「嘘つき!」と再び臨戦態勢に入った。
「私、知ってるんだからね! 見たんだから! あんたがボルザック伯爵家のシェリーと何度もコソコソ逢い引きしてるのを! お、お屋敷の中まで入ってったのをこの目で見てるんだからっ!」
あー、それはあかん。
屋敷の中はシェリーの縄張り。そこに一匹で招かれるのは誤解されても仕方がない。入り込むのではなく招かれるってとこがミソ。互いに同意ってことだ。
ちなみにシェリーはボルザック伯爵家の飼い猫で、まだ一才二ヶ月。人間なら十七~十八才ほどの白い長毛が美しいお嬢さんだ。
二才のロビンと、一才半ほどのチェルシー。人間なら二十代半ばの男をめぐる若い恋人と美少女の構図――そりゃチェルシーが警戒するのも無理はない。
「ね、ロビン。なんでシェリーのとこに通ってたの? 後ろ暗いことがなきゃ話せるでしょ? もうここまできたら洗いざらい話した方がいいわよ」
私の言葉に周囲のネコたちから「さっさとゲロっちまえ」「羨ましいことしてんじゃねぇ」「謝り倒せ」「捨てられろ」など、やいのやいのと嫉妬混じりの野次が飛び交った。
あー、下町のチェルシーも貴族家のシェリーも揃って美猫だからねー。若い雄ネコたちのやっかみがすごいわー。
「話すっ! 話すから! っていうか話そうとしてたらチェルシーが……あ、いや、話すよ。話させてくれ」
ギッと睨みつけたチェルシーに両手を挙げんばかりに降伏したロビンが、ついに浮気二股疑惑の真相を話し始めた。
ことの発端は十日ほど前の出来事。
ロビンはいつものように街中を巡回していた。彼にも縄張りはあるけど、基本的に王都の東に住むネコたちは東エリア内なら行き来は自由。
そうして下町から大通りを過ぎて、王城寄りの貴族街の道を歩いていた時、ロビンは貴族の敷地内で木にぶら下がっているシェリーを見つけた。
見ればシェリーのお高そうな首輪のリボンが木の枝に引っかかっている。どうにか取ろうともがくシェリーを見かねて、ロビンが塀を越えて助けに行ったのが始まりだそうだ。
無事にシェリーを地面に降ろした後、ロビンは先輩猫としてシェリーに二度とこういった危険がないように注意を促した。
「下手したら死ぬところだったぞ。助かったからよかったものの、今後は自分の能力を超えた無茶はしないように」
ピシリとシェリーに注意して、本来ならこれで終わるはずだった。けど、終わらなかった。シェリーが反論してきたからだ。
「だって! 無茶しなきゃいけなかったのだもの! やらないで済むなら、私だって木登りなんかしたくなかったわ!」
シェリーも本当は素直に礼を言って謝りたかったのかもしれない。
けど、みっともなく木にぶら下がった挙げ句に、通りすがりの雄ネコに尻の下から突進されて「ひょー」と空中に飛ばされたダメージは、かなり大きかったと思われる。羞恥やら何やらで頭が真っ白だったんでしょうね。
「なんだ? じゃあ犬か鷹にでも襲われたのか? どんな奴だった!」
東エリアを日々巡回してるロビンとしては聞き逃せない言葉だった。まさか、自分の知らぬうちに新参者が俺たちの街で蛮行を? ならば見過ごすことはできない! と。
そうしてシェリーを宥めながら落ち着かせ、よくよく話を聞いてみれば、それはどうにもキナ臭いボルザック伯爵家の内情だった。
シェリーが貰われてくるずっと前、ボルザック家は伯爵夫妻と令嬢の三人家族だった。
しかし三年ほど前に夫人が流行病をこじらせて他界。夫である伯爵も、まだ十才だった令嬢も暫くは泣き暮らしていたという。
子猫のシェリーがこの家に貰われてきたのはその二年後。表面的にでも立ち直ろうとする娘を思って伯爵が誕生日にプレゼントしたのだそうだ。
シェリーは令嬢との出会いを今でも忘れないと言う。
籠を覗き込んでパッと花が咲くように笑った顔やキラキラした目。小さな手で優しく背を撫でられて、シェリーはその日のうちに令嬢が大好きになったのだとか。
「この話がえらく長くてさ……ご令嬢がどれだけ可愛くて優しくて素晴らしいか、シェリーが延々と語ってくるんだよ」
ボヤくロビンに適当に相づちを打って、私は話の続きを促した。
いつの間にかチェルシーはロビンの隣に足を揃えて座り、真剣に話に耳を傾けている。まるでひと言も聞き逃さないぞとばかりに……。
ここでロビンが何か失言しようものなら、すぐさま高速アッパーが炸裂するだろう。周囲のネコや鳥たちからの茶々も鳴りを潜め、みな静かに耳を傾けていた。
ボルザック家の状況に変化が訪れたのは十ヶ月ほど前のことだ。伯爵が後妻をもらった。
後妻は、夫と死別した子連れの元男爵夫人。紳士クラブの知人の紹介で、身元調査にも問題はなく、伯爵は再婚を決めたという。
シェリーによるとその再婚相手の後妻は前評判の通り、とても優しげで控えめであったという。令嬢と同い年だという連れ子も、可愛らしい見た目の甘え上手で素直な子供だったそうだ。――伯爵の前では。
「私、あの女嫌いよ! 私のことを蹴ったんだから! 初めて来た日の夜によ? その娘は娘で、私の毛を毟ったり尻尾を引っ張ってくるんだから! あの親子、絶対に性悪だから! 悪い人間の臭いがプンプンするから!」
令嬢のことを話していた時と打って変わって、シェリーは嫌悪感もあらわにプンスカしてたそうだ。
「あの女たちが来てしばらくしたら、伯爵様がどっかに出かけちゃったの。りょうち、ってとこに行ったんだろうって鳩たちが教えてくれたわ。それからお屋敷の中が少しずつおかしくなったの。なにより……お嬢様に会えないの」
現状を思い出したのか、シェリーはえらくションボリした様子だったそうだ。聞けばだんだんと大好きな令嬢に会える時間が減っていったという。
「やっと廊下で会えても、お嬢様は笑ってくれなかったの。すごく痩せてて、私を撫でる手も震えてて……最近は部屋の扉も閉まったまま。だから私、バルコニーから入ろうと思って」
そうしてシェリーは二階のお嬢様の部屋を目指して木に登り、失敗したらしい。
ロビンの話によると、お嬢様の部屋のすぐ横に木はあるけれど、バルコニーに飛び移るには遠いうえに枝の位置も低すぎるとのこと。そりゃ貴族の家だもの。防犯上でそうなるわよね。
「だから敷地内や屋敷の中で他のルートを探してたんだよ。人間に見つからずにシェリーでも無理なく屋根へ上がれるルートをさ。……だから俺は潔白だ」
ロビンの話をあらかた聞き終えると、隣で黙って座っていたチェルシーが小さく溜息をついた。
「それならそうと、なんでもっと早く話さなかったのよ。私だって協力したのに」
「だって屋根に行くルートくらいすぐに見つかると思ってたんだ。でもシェリーは思った以上にドン臭く……いやお嬢様でさ。木も壁も登るのが下手だったんだ。それにお前は……」
モゴモゴと下を向くロビンに「私が何よ?」とチェルシーが突っかかった。
「お前はその……最近、食欲が落ちてるし、少し様子も違ってただろ。匂いも前とは違うし……もしかしたら腹に子供がいるんじゃないかって。だったら大事にしなきゃ……ダメじゃないか」
ロビンの消え入りそうな声に、周囲の視線が一斉にチェルシーへと向く。
「や、やだ……気がついてたの? もう少ししたら言おうと思ってたのに」
「当たり前だろ。俺がお前のことで気づかないことなんかあるもんか」
「も、もう……ロビンったら」
なんか急にイチャイチャし始めた二匹に、周囲は何とも言えない顔で視線を交わす。いかん、このままじゃ話がずれるわ……主にラブラブ方向へ。今はボルザック伯爵家の話よ。
「あー、ボルザック家ってあの三段噴水があるお屋敷か? あそこの人間のクソガキなら俺らもよく知ってるぜ」
話を戻したのは近くの屋根上で話を聞いていたカラスのカーク。
「あのクソガキ、俺らの仲間に石ぶつけて大けがさせやがった。リスの子が捕まって尻尾を切られたって話もある」
なるほど。後妻もその娘も性悪らしいけど、娘の方は一段とヤベー奴っぽい。シェリーが会えなくなった令嬢を心配するのも当然。何をされるか分かったもんじゃないもの。
何より、命を弄ぶような奴がこの王都で好き勝手してるなんて、私自身が許せない。
「何が起きてるか確認しないと。私も見に行くわ。ボルザック伯爵家へ!」
声を上げた私に、カークが合いの手のように「カァー」と甲高い声を上げた。
よし。じゃあ、ちょっくら行ってきますか。




