消防士
「この中でマンガ、ズバリ『○組の大吾』を読んで、消防士になろうと思った者はおるか?」
学校で給食費が失くなった時にするように、「全員目をつむれー」と前置きされてから質問されたのは、ある意味意外、ある意味当然のこんな質問だった。
・・・正直、迷う。
なぜなら、それがすべてではないものの、動機のひとつではあるからだ。
いや、正直に言おう。
試験の面接で語った内容は外向けだと。
インターネットがなかった昔ならともかく、ググればいくらでも面接官うけする解答例が検索できてしまう時代である。
・・・一歩間違うと、潤滑油のスーパーセールが始まったりする危険はあるが。
さて。ここまで一秒以内で頭をフル回転させたところで、どう答えるか? が問題だ。
正直に手を上げる? 上げない?
一次、二次と試験を突破し、消防学校に入学した今、いの一番の質問とはいえ、間違えたから出ていけ、なんてことはないだろう。
とはいえ、たぶん、ここは上げないのが正解なのは自明の理=誰が考えても当たり前のパターンだ。しかし、ファンタジー色の強い『炎○の消防隊』ならともかく、リアル志向の『○組の大吾』に憧れる人間がこの場に一人もいないのは不自然ではなかろうか?
「そうか、実は私もファンなんだ」
そんな新入生の緊張を解きほぐす、あるあるのジョークの可能性はないか?
・・・なら、挙手しても───。
いやまて、それならなぜ目をつむらせた?
この状況はアレではないのか?
誰かわからないように配慮しつつ、その後「●○は後で職員室にくるように」と身も蓋もないネタばらしをみまうパターンじゃないのか?
○≡
・・・なんてのが、消防学校時代の一番の思い出なんてなぁ。
そんなことを考えつつも、体が自動的に動くのは、正に訓練の賜物である。
実際に勤めてみると、マンガみたいな状況に遭遇する、なんてことは滅多にない。
マンガと同じなのは、最初の部分、今、やっているように装備を身に付け、車両に乗り込むまでだ。
何度経験しても、現着までは、色々と考えてしまう。
次々と入る指令所が聞き取った情報から何をするか、できるのかをシミュレート。
統計では八~九割以上が、死傷者零なので、ほとんどの場合はきちんと逃げてくれている。
初期消火できる時間はあまりに短く、消火器で消えなければ速やかに逃げるのが正解であり、常日頃持ち出す用意をしているならともかく、貴重品はあきらめるしかない。
運が、というか、こちらの消火作業によっては無事に・・・もしくは水か消火剤まみれで助かることもあるだろう。
あとはペット。
火事が発生してしまってから逃げられる時間は三~五分程度。これが長いか短いかは人によるが、普段、着の身着のままで家から出るだけなら一分もかからないのなら少し余裕があるだろうが、散歩慣れしている犬やゲージに入っている小動物ならともかく、放し飼いの中型ペット、はっきり言ってしまうと猫をキャリーバッグに入れるには難しい時間だ。
「中に猫がいます」と言ってもらえれば、またはステッカーなどで知らせてもらえれば、最大限の努力はするが、『猫が救出されました』なんてのがニュースになってしまうのが現実でもある。
できればそんな事態に遭遇したくはない。
要救助者を救出したり、ペットの為にこちらの命を賭けるのは、ドラマチックだけれど、ない方がいいのだ。
○≡
「おーい! こっちこっち!」
PA=消防ポンプ車(Pumper)と救急車(Ambulance)出動。あまり知られていないが、救急車を呼んだのに、ポンプ車がくる、なんてことがある。
救急車が出動中でどうしても到着まで時間がかかるので、先に救命傷病者の救護や救命処置などを行える消防士を派遣したり、救急隊の三名では搬送が困難と予想される、例えば高層階や、道狭まな場所からの搬送に対応する為なのだが、たいていの場合は驚かれるし、ごく稀に、滅多にいないことだが、救急車で楽に移動したいなんて人には、怪訝を通り越して迷惑そうな顔をされることがあってしまう。
「・・・」
そんな過去のいきさつを持つ相手に誘導、本音を言えばされなくても支障のないことをされると思うところはあるのだが、チベット砂狐のような表情は面体に隠れて見えないだろうからよし、としよう。
・・・顔面保護と酸素供給用のマスクは透明だが。
「要救助者はいないんですね?」
「ああ、世界がこんなことになって、田舎の実家に帰るいうて挨拶された、はず」
間違いがなくとも、念を押されてしまうと、とたんに自信がなくなる人も多い。
昼なのに締め切られたカーテン。
連絡を忘れたのか、不定期発行だからどうでもよくなったのか、それでも何部か配達され、曇りガラス越しにたまった新聞と投函物。見たところ封書やハガキがないのは、転送を指示したものか、普段からそうやりとりがないからか。
通報にあったように窓からは次々と黒煙が吹き出し、よく見るとちらほら炎のような赤い影も見える。
一刻の有余もない状況。
バックドラフトが発生しないよう慎重にドアの開き具合を調整しながら、室内を順番に水びたしにしていく・・・。
○≡
消火作業に教科書は無く、一件一件臨機応変に・・・とか言えれば格好いいのだけれど、実は教本はある。それも複数。
今回の消火はまさしく、それらに載っているようなお手本通りの作業だった。
要救助者を含めなし。
火元確認、鎮火完了。
壁中、天井裏も含め残火確認もよし。
・・・現場検証はまだだが、コンセント付近の燃えかたがひどいのでたぶん電気火災だろう。
放火が原因じゃなかったことに胸を撫で下ろしながら撤収作業に入る。
きっちり巻かないとポンプ車に収まらないのはあまりに余裕がないなぁと思いつつ、ホースから活躍の機会がなかった水を押し出す。
カン、カン、カン、と。
消防車が帰りに警鐘だけ鳴らすのはあまり知られていないかもしれない。
鎮火を知らせる為なのだが、鳴らさない場合もあるので。
日の沈みかけた空に見慣れない星が見え始めた。
・・・今日もマンガの主人公のような活躍はできなかった。
でも、それでいいとも思う。
世界が終わるなら終わるで。
できることをしていくだけだ。




