食品配達員
「・・・」「・・・」
腰の後ろで、手をつかむ “休め” の姿勢を、訓練学校時代から何度とってきただろう?
おそらく、生涯最後となるであろうこの姿勢の自分の前で、呼び出した上司は、と言えばデスクに肘をついて、自らの目の前で手のひらをしばらく重ねたのち、ゆっくりとそれほど興味もないであろう窓の外を眺めだした。
「・・・すまなかった」
絞り出すような謝罪の言葉。
これは、まったく、すっかり、完全に。彼の立場と自分のやらかした事実にふさわしい発言ではなかった。
「なにをおっしゃいますか!」
そう、言ってやりたかったが、今の自分が、叱責を待つ男が発していい言ではない。
「もう少し、考えるべきだった」
「言い訳にもならないが、これからは各人との時間をなるべくとるようにする」
「だがしかし、」
不自然に閉ざされた口が再び開くまでには、時計の秒針がゆうに一回転するほどの時間がかかった。
「キミとこれ以上、仕事をすることはできない」
期待していた、怒号も。
「なぜだ?」という問いも。
蔑むような視線も。
想定していたありとあらゆる処分さえも。
ひとつ間違えれば全人類を恐怖のどん底に叩き落としていた男には与えられなかった。
ただ、年下の上司の震える、必死に隠している微かな震えが。
覚悟していたどんな仕打ちよりも自分の胸をえぐった。
「行ってくれ」
世界がこんなことになった今、それは永遠の別れの挨拶と同じ意味だった。
「・・・」
やってしまった事に後悔はないし、誰かがやらなければいけないのなら、それは自分の役目だった。
それでもなお突き刺さるトゲ、もしくは白木の杭の突き刺さるような痛みを胸にしながら、自分は深々と頭を下げ───
───るのを我慢し、アメリカ合衆国大統領執務室に背をむけた。その主、その人にも。
○≡
「まあっ! あなた!」
家の扉を開けただけなのに、妻に驚かれる。この事実だけでどれだけ自分が仕事中毒だったかわかろうというのものだ。
「お仕事は?」
「やめ、・・・クビになった」
一瞬、プライドが首をもたげたが、正直に告白した。本当は自分の身分は何も変わらず休職状態なのだが、これは単に処分する時間すら惜しい為だろう。なにしろ今の彼らの仕事はこの星を少しでも多くのこすことなのだ。バカげた思いのもと、重大な情報を漏洩したバカな男の罪を数える暇などあまりのバカバカしさにやってられないに違いない。
「まぁっ」
一応隠した手のひらの裏で、妻の口がOの形に開かれた。
「・・・」
あまりの驚きのせいで言うことも見つからないのだろう。
・・・ただ単に呆れて物も言えないのかも知れないが。
「すまない、疲れてるんだ。今は寝かせてくれ」
これは本心だった。半分は。
もう半分、居たたまれない空気から逃げ出した自分は、寝室に逃げ込み、清潔な、一分の隙もない寝具に包まれ目を閉じた。
○≡
「よろしくお願いします! サー!」
今よりずっと子供っぽい顔つきのタイガーの敬礼の角度を直す。
ああ、これは夢だな、と自覚する。
一緒にいた時間はそう長くなかった。
それでも彼が政治家に転向した時には声をかけられた。
嬉しかった。自分より偉くなった若者を、ずっと支えるのが一生の仕事だと思っていた。
あり得ないことだろうが、彼を守る為、凶弾の前に立つ夢は幾度と無く見た。
もう、後ろに彼はいなかった・・・。
目を覚ました。
自分の背中が小さくなったと感じた。
○≡
自分の家なのに居心地が悪いのは、これまでのツケ、というやつなのだろう。
帰ろうと思えば帰れる距離なのに、単身赴任のようなスタイルを維持してきたことの。
子供が小さかった頃はそれでも間が持ったが、妻と二人では大きすぎる家で出された食事を食べ、用意された服を着、手伝おうとするたび「あなたは座ってて! いい? わかったわね?」と言われながら人差し指をたてられるのも。
ちょうど良い、はないのだろうか?
秒刻みでオーダーが入る激務と、この状況の真ん中あたりの。
「・・・」
窓の外をぼんやりと眺めるお供が白湯なのは、この時節柄コーヒー豆が手に入らない、わけではなく、ワイフの城=台所を荒らして帰ってきた彼女を怒らせないためだ。
「・・・」
激務を激務と思わないタイプだった。
次から次へと入る仕事を “必要とされている” と感じられた。
短い休息で回復できてしまっていた。
もちろんこれらは自分のこととして部下には求めなかった。
「・・・」
自分がリークした情報で作成されたらしいスマホのゲームアプリは、まったくもって、びっくりするほどスコアが伸びなかった。
・・・量子コンピュータで導き出された最良の結果を知っているにも関わらず。
なぜか、ゲームには莫大な報酬が設定されていた。
いたずらっぽく笑う元上司とその相棒の顔を思い浮かべながら、ぶっとい指では遊びづらいアプリをそっと閉じ、攻略サイトに骨を投稿した。
二位以下のスコアがググンと伸びたが、まだまだ一位に肉薄するまでには至らなかった。
「・・・」
自分のやった事が正しいかどうかはわからない。
だが、これだけは言える。胸を張って。
あの時の自分は人類の可能性を信じていたと。
八十億、は無理でもその半分の半分の半分ぐらいの頭脳があれば、よりよい方法が見つけられる、と。
「・・・」
状況は自分の手を離れた。
数多く撒いた種は芽吹き、水を与えられ、添え木がなされた。
あとはもう、どれだけ伸びるか見守るだけだ。
「・・・暇だな」
ついに言ってしまった、口にした。
二階の窓から見えたモノがある。
それは特徴的な ─。
なにをしているか ──。
どこの会社に所属しているか ───。
一目でわかる、わかってしまう ────。
「あら、お出かけですか?」
「ああ、行ってくる」
リュックを背負った自転車の人だった。




