女優 ホテリエ (2)
明晰夢、とは自身が「これは夢だ」と気付き、時として内容を操れたりする経験だが、中途半端なモノだと、それはとたんに恐ろしい悪夢となる。
シワのない手の甲と顔。
いまはもう取り壊されたスタジオ。
あの頃は笑顔だと思っていたニタニタ顔が一つ、二つ、三つ・・・。
それは。若さ、で押しきれなくなった頃に不意にやってきた。
あの頃の女優は何でもやった。
踊ってもみた。
歌ってもみた。
お茶も、日本舞踊も、お花もやった。
それでも、その日はやってきた。
「濡れ場を経験してやっと一人前なんだよ」
そんなバカな話があるか。
「キミは何も心配しなくていい。ボクにすべて任せたまえ」
いやだ!
「やめるぅ? 育ててやった恩を忘れやがって! この、恩知らずが !!」
その金ぴかの趣味の悪い時計も、やたらうるさいクルマも私の出演料の中抜きで買ったものですよね?
「ふぅん。この程度でやめるなんて、キミの熱意はその程度か。そんなんじゃこの先通用しないよぉ?」
そんなことは・・・。
「お前はダメだ!」「根性無しだ!」「この先ずっとダメだ!」「ダメダメだ!」「ダメダメダメダメダメダメダメ・・・・・」
違う、違う、違う!
お前らが! 裏で手を回し・・・。
違う、ちがう、チガウ・・・。
これは、違う。
すっ。
昔はびっしょりと汗をかいて飛び起きていたものだが、何十年も代わり映えしない駄作を見続けると、まぶたに意識を集中し、目を開けることで悪夢から逃れられるようになった。・・・それでも目元は少し濡れており、あんな奴らのために消費した体内の水分が、ただただもったいない。
グビリ! っと。
適当にどれを選んでもいいように、意識して底に少し残して置いた酒瓶を乱暴につかみ、もしそんな飲み方をするのを目撃した生産者が目を剥くような角度で喉に流し込む。
室温のはずなのに、熱い液体が食道を通り、胃に溜まる。
溜まる、たまる、タマル、Tamaru。
いい感じに現実が曖昧になったところで、頭の中に霧がかかり、見たく無いものを覆い隠し、過去と同時に、未来をも切り離していく。
「あんなやつらの言うことだけど、一つだけは当たっていたわね・・・。この先、ずっと、か」
ふっ、と。
こぼれた笑みは、そのままどこかに落ちて消えた。
○≡
「あのー、そのー、あのですね・・・」
「なによ、もう! しっかり喋りなさいな!」
いつもは部屋の掃除が終わるとすぐに退出する新人ホテリエが、今日はなにやら言いたげだ。寂しかったのか、脱いだ帽子を掴んだ両手は、そろそろその獲物をよれよれにしそうである。
・・・そういうことなのだろう。
「わかったわ」
「えっ!?」
「明日から別の人がくるのね」
「・・・違います」
・・・違ったか。
「良いわよ。一口ぐらいなら」
「本当ですか !? ど・れ・に・し・よ・う・かなっ! って、仕事中でした・・・」
・・・昨日まで雑、ざっつに扱っていた酒瓶を、今日はやけに丁寧に並べたのでそういうことか、と思ったが、これも違うらしい。
「んもう! もじもじしてないで、はっきり言いなさい、ハッキリ!」
「は、ハイ! 実はディナーショウの出演者がいなくて困ってるんです! それでぜひ! でてほしいんですけど、ダメですよね? わかりました! コンシェルジュのお姉さんは笑顔怖いんですけど頑張って言ってみます! 大変失礼いたすますta!」
よれた帽子を頭に戻し、勢いよく下げた調子でこちらに飛ばすのは、天然なのか、わざとなのか。
「・・・良いわよ、でても」
拾った帽子と一緒に言ってみる。
「はい! わかっております! ご迷惑なのはじゅうじゅう! では!」
・・・なにもわかっていない。
「では! じゃないわよ。落ち着きなさい。これでも飲んで」
「わぁ。たっかい、いえ、高いお酒って、ウーロン茶みたいな風味があるんですね・・・」
・・・みたいもなにも、それはロックの烏龍茶だ。
「はい、復唱。出ても良いわよ」
「出ても良いわよ」
「出てくれるんですか」
「出てくれるんですか」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「わかった?」
「わかった! では!」
・・・ダメだこりゃ。
「コンシェルジュにつないで頂戴」
受話器を持ち上げた女優は、ついでになにも理解していない新人ホテリエの回収も依頼した。
○≡
「やったんだってな」
「それはどちらの意味ッス、いや意味ですか?」
昨日も座っていた社員食堂の席で、昨日と同じようにテーブルに突っ伏していた新人ホテリエが、顔も上げずに先輩に応じる。
「ん~。両方?」
気難しい、と思われている宿泊客の女優さんに出演交渉を通したのは快挙だが、それを信じられずお手数をお掛けしたのはやらかし以外の何物でもない。
「まっさか、二つ、いや、一つ返事で引き受けて下さるとは思わないじゃないッス、いや、ないですか・・・」
「まあな」
ごねにごねごね、五年後にね、とか言われてもおかしくない人なのだ。俺だって、疑うだろう。自分の耳を。
後輩が耳を疑う間も無く、思い込みに走ったのも理解できる。
「なんで引き受けてくれたんだろうな?」
「私に聞かれても・・・、酔ってはいましたけど」
「ああそうか、って。いや、でも。あの人はあれが通常運転だろ?」
「実際に運転してたら捕まりますけどね」
起きている間、少なくともホテリエに会う時は常にほろ酔い状態なのだ。運転どころか、ホテル内どころか、ほとんど部屋から出ないのは、ある意味正解だろう。
「あっ、でも、一つだけ条件がありましたよ!」
「差し入れは酒にしてくれ?」
「違うッス、いや違いますですよ! 俳優、って呼ばない、紹介しないで欲しいんですって」
「ふぅん。なんでだろうな?」
「なんでですかね?」
理由は。
悪夢だけが知っている。




