一夜の安息
コーヒーの香りが、狭い空間に優しく広がっていた。外では魔物が壁を叩き続けているというのに、この袋小路の中だけは、まるで別世界のように静かで温かい。
新人パーティの四人は、ロスの作った簡易ベッドに腰かけていた。石の台に乾燥した苔を敷いただけのものだが、座り心地は悪くない。むしろ、ダンジョンの冷たい床に直接寝るよりは、格段に快適だった。
「……ロスさん、あんたはどうしてこんなことが出来るんだ?」
カイルが尋ねた。彼は先ほどまで恐怖で震えていたが、今は少し落ち着きを取り戻している。
「スキルだよ。『圧縮形成』ってやつ。触れた物質を圧縮して、好きな形に変えられる。石材なら、密度を高めて硬度を上げることもできる」
「それだけか?」
「それだけだ。戦闘には使えない。何しろ対象に触れてないと発動しないし、時間がかかる。だからFランクなんだ」
ロスはあっけらかんと言った。彼の口調には、自嘲も誇りもない。ただ事実を述べているだけだ。
「でも、今のは……」
「緊急遮断壁は、咄嗟に壁をせり上げただけだ。あれも触れてる範囲でしか作れない。たまたま通路の壁に手を当ててたから出来たんだ」
ロスはそう説明しながら、壁に耳を当てて外の様子を探った。レッドマンティスはまだ諦めていない。規則正しい間隔で壁を叩き続けている。
「あの化け物、いつまでいるんだろうな」
「さあな。でも、俺たちが中にいる限り、獲物を逃がすまいと粘るだろう。だが、壁が破られる心配はない。あと二時間もすれば、俺の魔力で壁は完全に固化する。そうなれば、あの程度の攻撃では傷一つつかない」
「……本当かよ」
「本当だ。だから安心して眠っていい。俺が見張ってる」
ロスはそう言って、自分のベッドに腰を下ろした。彼は完全には目を閉じず、半ば開いたままの状態で、壁の音を聞き続けている。
新人たちは互いに顔を見合わせた。彼らはまだ若く、初めてのダンジョンでこのような事態に遭遇したのだ。恐怖と疲労が入り混じり、何を信じていいのか分からない状態だった。
「……信じていいのか?」
「さあな。でも、あの壁は確かに化け物を防いでる。それに、お湯も出るし、ベッドもある。少なくとも、外で野営するよりはマシだろ」
カイルの言葉に、他の者たちも頷いた。彼らはそれぞれ、簡易ベッドに横たわり、目を閉じた。最初は緊張で寝付けなかったが、やがて疲労が勝ち、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
ロスは彼らを見守りながら、壁の音を注意深く聞いていた。外の魔物は、やがて攻撃の間隔を長くし始めた。体力を消耗したのか、あるいは単に諦めかけてきたのか。
「……もう少しだ」
ロスは小さく呟き、自分も目を閉じた。彼の意識は、しかし完全には眠りに落ちなかった。建築プランが頭の中で次々と浮かんでは消えていく。もしこの壁をさらに強化するとしたら、どんな構造がいいか。もしここを恒久的な避難所にするなら、どこに何を配置するか。
そんなことを考えているうちに、彼の意識も徐々に沈んでいった。
次にロスが目を覚ました時、外の音は完全に止んでいた。壁を叩く音も、爪で削る音もない。静寂だけが残っている。
「……去ったか」
ロスは壁に手を当て、魔力を流して探知した。魔物の気配はない。代わりに、遠くから複数の足音が聞こえてくる。人間の足音だ。
「救助隊か」
ロスは壁の一部を開き、外へと顔を出した。通路には魔物の痕跡が無数に残っているが、本体はどこにもいない。そして、通路の向こうから、重装備の男たちが駆け寄ってくるのが見えた。
「おい! 生存者はいるか!?」
先頭の男が叫ぶ。彼はAランクの剣士、ガルド。屈強な体躯と厳しい表情が特徴的だ。
「いますよ。全員無事です」
ロスが手を振ると、ガルドは目を見開いた。彼の後ろから、他の救助隊員たちも駆け寄ってくる。
「……お前、まさか、この壁を?」
「ええ。緊急避難用に作りました」
ロスは壁を完全に撤去した。すると、中から新人たちが目をこすりながら現れる。彼らはまだ寝ぼけた顔をしていたが、怪我は一切なかった。
「……助かったのか?」
「ああ。よく眠れたよ」
「宿屋より快適だったな」
新人たちが口々に言う。ガルドは呆れたように頭を振った。
「……ダンジョン内に宿屋を作っただと? 馬鹿げてる。だが、確かに助かったのは事実だ。お前、名前は?」
「ロスです。Fランクの穴埋め屋です」
ガルドはしばらくロスをじっと見つめた後、大きく息を吐いた。
「……Fランクか。この後、ギルドで詳しい話を聞かせてもらうぞ」
ロスは頷いた。彼の頭の中では、すでに次の建築プランが動き始めていた。




