第三章第二話『カフェ②』
「イチカちゃん……」
リンはフォークを止め、イチカの顔をじっと見つめた。
出会ったばかりの頃はどこかミステリアスで、一歩引いたようなところがあったイチカだが、こうして一緒に過ごすうちに、少しずつ心の内を見せてくれるようになってきたのが嬉しかった。
けど
「けどイチカちゃんって自分のことをあまり話してくれないよね」
リンは気づけば悲しげな顔をしていた。
「え……?」
イチカはフォークを持ったまま、ピタリと動きを止めた。楽しげに笑っていた瞳が、微かに揺れる。
「あ、ううん! 責めてるわけじゃないんだよ!?」
リンは慌てて両手を振って否定した。せっかくの楽しい休日の空気をごちゃごちゃにしてしまった気がして、胸がチクリと痛む。
「ただね、私ばっかり自分のことを喋って、イチカちゃんの好きなこととか、今までどんな風に過ごしてきたかとか……そういうのを全然知らないなぁって思ったの。私、イチカちゃんのこと、もっといっぱい知りたいんだ」
真っ直ぐに向けられるリンの言葉と、その瞳に宿る純粋な好意。
イチカは驚いたように目を見開いた後、ふっと力を抜いてフォークをお皿に置いた。そして、困ったような、だけどどこか愛おしそうな苦笑いを浮かべる。
「……リンさんは本当に、真っ直ぐな人ですね」
イチカは冷めかけた紅茶のカップに両手を添え、温もりを確かめるように指先を動かした。
「話したくないわけじゃないんです。ただ、私の過去や育ってきた環境は……リンさんが話してくれるような、キラキラした温かいものじゃないから。こんな楽しい場所で話したら、雰囲気を壊してしまうんじゃないかって、少し身構えていただけなんです」
「そんなこと気にしないよ! どんな話だって、あたいはイチカちゃんの話なら聞きたい!」
身を乗り出すリンを見て、イチカは小さく吹き出した。その笑顔は、いつものどこか大人びた仮面ではなく、年相応の少女のものだった。
「けど内緒です」
そう言うとイチカはリンのほっぺたに唇をつけた。
リンは一瞬、自分が何をされたのか理解できず、完全にフリーズしてしまった。
「え……っ!?」
頬に残る柔らかい感触と、悪戯っぽく微笑むイチカの顔が交互に頭の中でぐるぐると回る。さっきまで「ユダが〜」と赤くなっていたのとは全く違う、頭の芯がカッと熱くなるような衝撃だった。
「ふふ、真っ赤ですね。ユダさんに負けないくらい可愛いですよ、リンさん」
イチカはクスリと笑いながらフォークを再び手に取り、何事もなかったかのようにショートケーキのクリームをすくった。その様子は、いつもの冷静で大人びた彼女のようでありながら、少しだけ少女らしい意地悪さが混じっている。
「い、イチカちゃん……! いま、何っ、何したの!?」
「何って、内緒の印です。私の過去はまだ教えられませんが、その代わりです」
「代わりにって、そんなっ……!」
リンは両手で頬を押さえながら、恥ずかしさと驚きでオロオロと視線を彷徨わせた。テラス席を吹き抜ける風が心地いいはずなのに、今のリンにとっては全く涼しく感じられない。
「もう……! イチカちゃんって、時々そういう大胆なことするんだから!」
自分にも良くわからない感情にあてられて、リンは仕返ししようと 頭をフル回転。
いい案が思いついたもので、リンは思わず小悪魔的な笑みを浮かべて早速実行した。
「ほらイチカちゃん。あ〜んして!」
自分のケーキを一口大にしてフォークに指すと、それをイチカの口の前に出した。
(普段の大人っぽいイチカなら、あ〜んして食べることを困惑するはず。私ってば天才だね!!)
「ふふ、いいですよ」
イチカは困惑するどころか、楽しげに目を細めた。そして、リンが差し出したフォークの先にあるケーキを、なんの躊躇もなくぱくりと綺麗に口に含んだ。
「……っ!?」
思惑が完全に外れたリンは、差し出したフォークを持ったまま、再びフリーズすることになった。
「ん、美味しいですね。リンさんが選んだチョコレートケーキ、少しほろ苦くて濃厚で、とても私好みです」
イチカは上品に口元を手で隠しながら、実になめらかに咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。それから、呆然と固まっているリンの顔をじっと見つめ、さらに距離を詰めるようにして机に身を乗り出す。
「もしかして、私が恥ずかしがるとでも思いましたか?」
「あ、う……」
「残念でした。私、リンさんから頂くものなら、なんだって喜んでいただきますよ」
イチカの端正な顔がすぐ近くに迫り、その切れ長の瞳が楽しげに弧を描く。小悪魔的に仕掛けたつもりが、完全に一枚も二枚も上手なイチカの対応に跳ね返され、リンの顔は今日一番の熱さで真っ赤に染まった。
「も、もうーーー!! イチカちゃんってば! なんでそんなに平気なの!? 私の天才的な作戦が台無しじゃない!」
「ふふ、リンさんの『あ〜ん』が見られただけで、今日の休日は大収穫です」
「イチカちゃんってばいっつもそう、私のこと大好きすぎじゃない!?」
「ええ、そうですよ」
(あーーーもう!! 本当に掴めれないんだから!!)
共和国遠征前のなんてことのない日常だった。




