第二章幕間『帰還③』
「約束してただろ常世、酒飲むぞ」
月が顔を見せていた。
廊下を歩いていたところ、どこからか現れたか分からないアルデバランに呼び止められ酒に誘われた。
こうしてアルデバランに酒に誘われたのも、ユダが名前を覚えてこの世界に連れ戻してくれたお陰だと改めて彼の勇気に感謝しつつ、常世は軽く頷いた。
「俺で良ければご一緒させてください」
「相変わらず固いやつだなおめーは、まぁそれじゃぁ俺の執務室で飲むぞ!」
「執務室とは執務をする場所では?」
常世が真面目に返すと、アルデバランは軽くため息をついた。
「お前みたいな真面目でお堅い人間は嫌いだね。俺は」
唇を尖らせたアルデバランはそう言った。
「嫌いにも関わらずこうして酒の席に誘ってくれた。…俺には充分すぎます」
「……ほんっと、そういう真っ直ぐなとこが調子狂うんだよ」
アルデバランはガシガシと自分の頭を掻きむしり、観念したように息を吐き出した。嫌いだなんだと言いつつも、常世を置いてきぼりにするつもりなど毛頭ない男である。
「ほら、さっさと入れ。そんなところでしみじみされても照れ臭くて敵わねぇ」
アルデバランに背中を小突かれるようにして、常世は執務室の中へと足を踏み入れた。
部屋の机の上には、すでにいくつかのグラスとボトルが並べられていた。窓から差し込む静かな月明かりが、室内の無骨な家具を淡く照らし出している。激しい戦いの日々から一転して訪れた、信じられないほど静かで穏やかな空間だった。
「……なぁ、要」
扉を閉め、鍵をかけたアルデバランが、ぽつりとその名を口にした。先ほどまでの軽口とは違う、少し低く、何かを噛み締めるようなトーン。
「俺はお前が戻ってきてくれて嬉しいぜ。…本当の本当に」
日頃の、全てを見通しているようで頼りになる姿から想像できない、ただの少年のような態度に常世は一瞬だけ瞠目した。
常世はすぐにその驚きを引っ込め、ふっと細められた目元に穏やかな光を宿した。
「俺も自分の居場所に戻れて嬉しいですよ。ギルドマスター殿」
「はっ、やっぱりおめーは俺の戦友に似ている」
「戦友ですか…」
「あぁ俺と、いるかも分からない未来の勇者を信じて戦ってくれた、かけがえのない大切な仲間達だ。……マナ以外、全員死んじまったがな」
改めて常世は彼の背負っているものを実感する。
およそ百年前の小さかった頃のアルデバランは、先代勇者のミカエルから未来の勇者を権能者同士の戦いに勝たせるよう託された。
それこそがアルデバランの背負っているものであり、『聖獣』フェニックスを魂に宿し不老不死を得てまで生き続ける理由なのだ。
「唯一生き残っているマナ殿も、ギルドマスター殿と最期を迎えられるように、自身に『巻き戻し』の能力を使って肉体の時間を遡り、今もなお若き姿のまま貴方の傍にいる」
だが悲しいかな。マナの能力は通常とは異なり、能力の使用に記憶を使う。
つまり今いるマナは、アルデバランと共に過ごした記憶がないのだ。
「俺はずっとマナを苦しませてる。記憶なんてもうないのに、心の奥底にあるだろう俺の傍にいないといけないっていう強い意思が、あいつをとどまらせているんだ」
「……」
アルデバランがそれらを背負っているのなら、ユダはそれらを含めてもっと多くのものを背負うことになるのだろうと、要は未来の勇者である少年の姿を思い浮かべた。
「だがユダは自分が背負っているものはおろか、自分が勇者であることすら本当の意味で気づいていない」
「確かにユダ君は『勇者』です。…ですが俺は彼がその役割に縛られなくてもいいと思っています。大切な者を守るために戦う……それだけでいいはずだ」
「それは絶対に無理な話だ。俺達や本人が『勇者』であることを拒もうとも、世界や敵は否が応でもユダを勇者にさせる。……だから俺は『勇者』であることを押し付けられたとき、それを受け入れてほしいと思っている」
アルデバランは厳しい話をしているが、実際のところユダへの優しさに溢れていた。
「マナ副隊長が此度の戦いで記憶を無くしたことも、本当に貴方が背負っているものもまだ伝えてないのですよね?」
「あぁ、あいつが押し潰されないようにな」
「やはり貴方は優しい後追い星」
真っ直ぐな常世の目にアルデバラン穿たれ、暗い影を落した。
「……俺は早く死んだほうがいい最低な人間だ。――――暗い話は止めだ!! おら要、酒飲むぞ!! お前のために最高の銘柄を用意したんだ!!」
常世に押し付けるようにボトルの銘柄を見せる。
「『極光の涙』噂に聞いたことがある銘酒です。……ですがこれの素材が取れる帝国の農業地帯は百年前に焼失したはずでは?」
ボトルのラベルを目にした常世は、思わず目を見張った。アルデバランが不敵な笑みを深め、胸を張る。
「あぁ! 俺がその農業地帯を焼失させた!! まぁ直前に貰ったものだけどよ」
「なぜそんなことを?」
「あぁ……害虫駆除?…」
(噓は言っていない)
常世はその言葉を聞き、一瞬言葉を失ってアルデバランの顔をまじまじと見つめた。
「害虫、ですか……。一国の農業地帯を壊滅させるほどの『害虫』とは、一体どんな代物だったのか想像もつきませんね」
常世は呆れと感心が入り混じったような、深いため息を一つ吐き出した。そして、苦笑を浮かべながら首を横に振る。
「……まあ、深く追求するのは野蛮というものでしょう。あなたという男が、ただの気まぐれでそんな破天荒な真似をするはずもない」
常世は机の上に置かれたグラスを手に取り、ゆっくりとアルデバランに向けた。
「ありがたく頂戴いたしますギルドマスター殿」
互いにグラスを傾ければ、喉を通る濃厚な味わいとじんわりとした熱が、冷え切っていた胸の奥を満たしていった。
「どうだ? 美味いだろ!?」
「……申し訳ないですが、よく分かりません」
「あぁ!?」
アルデバランは思わず素で拍子抜けしたような声を上げ、目を見開いて常世の顔を二度見した。
信じられないという顔をしているが、常世はつい最近まで『常世』の呪いによって、世界から拒絶。
そして五感を失っていたのだ。
そんな彼が酒を飲んだところで、ろくに味が分かるはずがない。
喉を通る感触と熱さだけを感じながら、真面目な顔でグラスを見つめる常世を見て、アルデバランはハッと何かを悟ったように表情を和らげた。
「分からないなら!! 俺が酒のうまさをお前に教えてやるよ!!」
その言葉に常世は苦笑を返したが、胸の奥では久々に感じる人と杯を交わす温もりに少しだけ心を弾ませていた。
それから、二人は夜が更けるのも忘れて幾度も杯を重ねた。
机の上に並ぶボトルの数が増えていき、ついに窓の外の月が傾きかけた頃、残された酒は最後のひと杯分だけとなった。
「これ、どうする……?」
「味のわかるギルドマスター殿が飲むのが相応しいでしょう」
「おいおい、それは不公平だろ。公平に行こうぜ!! そうだ! 紙に蛇の絵をどちらが速く描けるかで勝負して、勝ったほうに最後の一杯をやる! それでどうだ? まぁ安心しろ、手加減として俺はハンデに『蛇の足』も書いてやる!」
勝ち誇るように胸を張るアルデバランに対し、常世はグラスを静かに机へ置き、深くため息を吐いた。
「ギルドマスター殿。それは『蛇足』ですよ」
静かな執務室に常世の淡々としたツッコミが響き、一瞬の間を置いた後、アルデバランの豪快な爆笑が夜の静寂を吹き飛ばした。
更けていく月明かりの下、二人の戦士の穏やかな夜は、どこまでも温かく続いていった。
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