第二章第三十九話『壮大な世界の物語』
それからは常世の復活の余韻に浸る間もなく大変だった。
そもそもの目的、出雲遠征はアアル王国と出雲の同盟のためだ。大罪教を退け、常世も復活したことで
そのための会議は滞りなく行われた。
出雲城の広大な謁見の間には、張り詰めた、しかしどこか前向きな空気が満ちていた。
上座には、出雲幕府の将軍家を代表する出雲桜花が、凛とした佇まいで座している。その左右を三人衆が固め、対する下座には、アアル王国の使節団として外務大臣のレオンハルト。そして護衛の常世がいた。
大罪教の襲撃を共に退けたという確かな実績が、両国の間にこれまでにない強固な信頼を生み出していた。
「――此度の神櫻を巡る激戦において、アアル王国の尽力、誠に見事でありました。出雲を代表して深く感謝いたします。我々出雲幕府は、この恩を幾千のときが流れようとも忘れません」
桜花の澄んだ声が、静まり返った広間に響く。彼女の鋭い視線が、ギルド一同、そして常世の姿へと向けられた。
「もったいないお言葉です、将軍閣下」
レオンハルトが裏にドス黒いことを考えている笑みを浮かべ、代表して言葉を返す。
「そして此度の同盟でございますが…」
「まずは我々アアル王国の提案を聞いてもらえますかね?」
食い気味でレオンハルトは答える。
桜花は固唾を飲む。桜花は、否、出雲はあまりにも恥を晒しそして力を借りすぎた。大罪教という有事を退けるのに、自国の兵のみではなくアアル王国のギルドの隊員達からも死傷者を出したのだ。
もはや対等な関係など望めない。この外交の場で同盟という名でどんな無茶な要求を言われても、桜花は飲まなければならない。
桜花の背に冷たい汗が伝う。領土の割譲、あるいは法外な賠償金。いったい何が──
「同盟に当たって三つ取り付けたいことがあります――一つ目は両国が互いに技術を提供し合い、有事の際には速やかに兵を出し合う相互防衛体制を敷くこと。これは大罪教の脅威のみならず、来るべき『魔人戦争』のためでございます。出雲の誇り高き武を、我が国と共にある未来のために貸していただきたい」
その予想外の提案に、桜花だけでなく三人衆も目を見開く。
「二つ目は、アアル王国と出雲を結ぶ新たな交易路の安全確保のため、出雲幕府の精鋭をサウスン港周辺へ定期巡回に派遣すること」
軍事面の次では商業面。アアル王国と出雲の交易が盛んになれば、両者ともに莫大な恩恵がある。
レオンハルトはそこで言葉を区切り、横に控える常世へと視線を向けた。
「――ギルドと、同盟を?」
桜花は思わずオウム返しに呟いていた。三人衆の間にも、驚きと戸惑いの混じったざわめきが広がる。
国家間の同盟に、一組織に過ぎない「ギルド」を個別に組み込むなど前代未聞だ。しかし、レオンハルトの表情はどこまでも真剣だった。
「左様。先ほど申した通り、これからの時代は『魔人戦争』をはじめとする未曾有の脅威が予想されます。国家という枠組みだけでは、あまりにも動きが重い。臨機応変に、かつ迅速に動ける実力組織との直接的な協力関係こそが、有事の際に両国を救う鍵となります」
レオンハルトは隣の常世、そしてその先にいるであろうユダたちの姿を思い描くように、ふっと目を細めた。
「何より、此度の危機を救ったのは我が国の正規軍ではなく、ギルドの若き精鋭たちだ。彼らの力と信頼に対し、出雲としても相応の誠意を見せていただきたい。……国家の縛りを超え、民を護る盾として彼らと手を取り合う。それが出雲の未来を拓く礎となると、私は確信しております」
その言葉は、出雲を追い詰めるためのものではなかった。むしろ、国家のメンツに囚われず、実質的な生存戦略を共に組み立てようという、極めて合理的で慈悲深い提案だった。
桜花は、深く胸に息を吸い込んだ。アアル王国の、そしてレオンハルトの計り知れない器の大きさに、ただただ圧倒される。だが同時に、腹の底から湧き上がるような熱い高揚感も覚えていた。
「……アアル王国の深謀遠慮、そして我が国への配慮、深く感銘いたしました」
桜花は凛とした笑みを浮かべ、真っ直ぐにレオンハルト、そして常世を見据えた。
「その三つの条件、出雲幕府の名において、全面的に受け入れましょう。我らはこれより、アアル王国、そして誇り高きギルドの戦士たちと運命を共にする同盟国です!」
「交渉成立、ですな」
レオンハルトの唇が、今度は満足げな弧を描いた。
こうして、張り詰めていた謁見の間には、確かな安堵とこれからの共闘に向けた熱気が満ちていく。
そしてその後、同盟の詳細が決まり会議が終わると、レオンハルトが話を切り出した。
「桜花閣下。常世から話したいことがあるようです。私はここで席を外させていただきます」
桜花が小さく頷くと、レオンハルトは音もなく立ち上がり、漆黒の官服を翻して静かに謁見の間を後にした。重厚な扉が閉まり、残されたのは桜花と三人衆、そして常世だけとなる。
残った三人衆も、何かを察知したその場を後にした。
そして残ったのは桜花と常世だった。
二人きりになった謁見の間は、先ほどまでの張り詰めた空気から一転し、どこか厳かで、それでいて胸が締め付けられるような静寂に満ちていた。
上座に座る桜花は、凛とした佇まいを保とうと背筋を伸ばしているが、その瞳は激しく揺れている。下座に佇む常世は、ゆっくりと自身の顔を覆っていた仮面のような硬さを崩し、どこか懐かしむような、温かい眼差しを妹へと向けた。
常世はゆっくりと歩を進め、かつて五歳の彼が追われたあの日以来、決して交わることのなかった距離を縮めていく。
「――桜花」
その澄んだ声が広間に響いた瞬間、桜花の身体が小さく震えた。
記憶を奪う魔剣の呪いは解け、出雲要という存在は確かに世界に引き留められた。しかし、十数年もの間「存在しない空白」として扱われていた兄の記憶が、桜花の頭の中に完全に蘇っているわけではない。
それでも、その呼びかけに、血の繋がった兄妹としての本能が、胸の奥を激しく突き動かしていた。
「お兄様…?」
自然と桜花の口から零れていた。
「……ああ、そうだ。桜花」
その言葉を肯定するように、常世――出雲要は優しく、しかし確かな実感を込めて頷いた。桜花の頭の中にある記憶は、まだ霧が晴れたばかりのように昧で、完全なものとは言えないかもしれない。
「俺はこの国から逃げて、桜花に全てを背負わせてしまった。…ほんとうにすまない」
「謝らないでください、お兄様……!」
桜花はたまらず要の元へと駆け寄った。将軍としての威厳も、周囲への警戒も、その瞬間すべてが吹き飛んでいた。
「私はお兄様のことを忘れ、傷付けてしまったのですよ…私のせいでお兄様はずっと一人に……」
「それは違う。今の俺は一人じゃない。居場所があって、頼れる仲間がいて、俺の名前を叫んでくれた愛しい弟子がいた」
要はそう言って、駆け寄ってきた桜花の細い肩をそっと抱きとめた。十数年という長い歳月を経て、ようやく触れることができた妹の温もりに、要の目元がわずかに緩む。
「叶うならこのまま出雲に残り、桜花の力になりたい。だが俺にはまだやるべき事がある。…もし俺がやるべきことをすべて終えたら、その時は、またこの出雲に戻ってきてもいいだろうか。お前の兄として、今度こそこの国で共に生きたい」
要のその言葉は、優しく、しかし確かな未来の約束として謁見の間に響いた。
一瞬、桜花は驚きに目を見開いたが、すぐにその顔に大粒の涙を溜めながらも、心からの満面の笑みを浮かべた。
「もちろんです、お兄様! 私は、出雲は、いつまででもあなたのお帰りを待っています!」
「最後の一つ。…この国を守ってくれてありがとう桜花。そしてこれからもこの国を頼む。大丈夫桜花ならきっと皆を幸せにできる。だって桜花は俺の自慢の妹だから」
「はいお兄様!! 私、これからも頑張っていきます!!」
これで本当にギルドの出雲における物語は全て終わったのだった。
―― ―― ――
「…常世隊長、出雲に残らなくってよかったんですか?」
出雲から帰還するユダ達ギルドの一行。
ユダは船上で、いつかのように海を見ながら常世に問いかけた。
要自身が本名である出雲要で呼ぶことは避けてほしいといった。彼の立場は出雲の将軍家の人間であるから当然の話なのだろう。
「ああ。俺の今の居場所は、アアル王国のギルドだからな」
常世は海風に髪を揺らせながら、穏やかな、しかしどこか吹っ切れたような顔をユダに向けた。
「行く時はあんなに賑やかだったのに、物寂しですね」
遠征隊22人の内、無事にこの船に乗りアアル王国への帰路につけたのは僅か10人にも満たない。
ユダ達が得たものは、出雲の平穏に同盟。それに対してこの死傷者の数は釣り合っているのかどうかなんて、考えたくもない。
失ったものは失ったものだ。それに釣り合っているなんてことはない。
「失ったものは確かに大きい、それらの犠牲は忘れてはいけない。だが、君は俺の名前を覚えていてくれた。…だから俺は今ここにいることができているんだ。それだけは感謝させてくれ」
「けど…」
ユダが後悔を口にしようとするが、常世の何かを含んだ表情を見て、直ぐに口を閉じてしまった。
「君の『勇気』に心から感謝を『勇者』。俺は必ず君を君の目指すところに連れていく」
――第二章第三十九話『壮大な世界の物語』。それは君に名前を呼んでもらう物語。
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