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壮大な世界の物語~絶望の果てで、少年は勇者になる~  作者: おう
共和国遠征編

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第二章第三十四話『常世』


 確固たる事実。


 『ギルド第一部隊隊長』常世。真名◼◼◼は、出雲幕府の将軍家、出雲家に生を受けた出雲桜花の兄だ。そして本来、桜花ではなく◼◼◼が将軍になるはずだった。


 なぜ将軍になれず、荒くれ者の達の集まりであり『ギルド』に所属することとなったのか、それは彼の生涯に魔剣『常世』が関係している。


 出雲幕府の名家では、子供が生まれた時に鍛冶職人がその子に相応しい刀を作り、与える風習がある。そして将軍家の彼には、出雲最高の鍛冶職人が作った剣が与えられた。

 

 その刀の名は『常世』。世界の不具合により折れ落ちた『神櫻』の枝によって作られた『至高の剣』だ。


 ◼◼◼は『常世』と共に、輝かしい未来を歩むはずだった。しかしそれは、◼◼◼が五歳の時に起こった。

 

 魔剣『常世』は◼◼◼を主として認めず、彼を呪った。魔剣『常世』の呪いは、『世界からの拒絶』。彼は弱い5歳ににして、いずれ世界からの忘れられる運命を背負うことになったのだ。

 

 「主として、認めぬというのか……」


 出雲城の厳かなる拝殿に、鍛冶職人たちの絶望に満ちた声が響いた。五歳を迎えたばかりの幼き嫡男、◼◼◼が初めてその『至高の剣』を握った初太刀の儀。祝福の儀式になるはずだったその場は、一瞬にして凍りつくような冷気に支配された。


 世界の不具合によって折れ落ちた『神櫻』の枝。そこから打たれた魔剣『常世』は、幼き彼の小さな手の中で、まばゆい輝きを放つどころか、どす黒い虚無の波動を噴き出したのである。


 魔剣が彼に課した呪い、それは『世界からの拒絶』。

 それは肉体を傷つけるものではなかった。しかし、その霊的な侵食はあまりにも迅速で、そして残酷だった。


 「……そなたは、誰だ?」


 儀式の翌朝、彼に食事を運んできた侍女が、怯えたようにそう問いかけた。毎日のように顔を合わせていたはずの家臣たちが、一人、また一人と、彼の名前を、彼の顔を思い出せなくなっていく。

 

 五歳の少年には、その冷徹な視線の意味が理解できなかった。昨日まで自分を「若君」と呼び、慈しんでくれた者たちが、まるで迷い込んできた野良犬を見るかのような目で自分を見ているのだ。


 呪いは身内をも容赦なく蝕んだ。厳格ながらも彼を誇りに思っていた父である将軍の目から、次第に息子への確執や期待が消え、ただの「見知らぬ子供」を見るような空虚さが宿り始める。


 「お父様僕です! ◼◼◼です!! お願いですからもう一度名前を!!!」


 居場所を失った野良犬のように、幼き少年は泣きじゃくりながら父の着物の裾にすがりついた。その細い腰には、彼の身長には到底見合わない大刀が帯びられており、そこから放たれる禍々しい紫の魔力が、拝殿の厳かな空気を冷酷に侵食している。


 しかし、かつて彼を「出雲の未来」と呼び、その頭を優しく撫でてくれた父親の瞳には、愛する我が子に向ける熱はひとかけらも残っていなかった。そこに宿るのは、ただ怪異を前にした時のような、深い困惑と冷徹な拒絶だけだった。


 「不届き者が……。我が将軍家に家系図にない不審者が紛れ込むとは。その禍々しい刀をどこで手に入れた。出雲の平穏を脅かす妖人か」


 「違う、違うよお父様! 僕はあなたの息子、◼◼◼だよ!!」


 必死の叫びは、父親の心に届く前に『世界からの拒絶』という呪いの霧にかき消されていく。父親の手がゆっくりと、腰の業物へと伸ばされた。


 我が子を「侵入者」として、あるいは「呪いの元凶」として排除しようとするその動きに、少年の心は完全に打ち砕かれた。


 「……兄上? どうしてそんなところで泣いているの?」


 拝殿の柱の陰から、まだ幼い妹の桜花が顔を覗かせた。その瞳は兄を捉えているようで、しかし同時に、何もない空間を見つめているかのように虚ろだった。彼女の記憶からも、優しかった兄の笑顔や、共に遊んだ日々の断片が、砂時計の砂のようにサラサラと零れ落ちていく。


 「桜花……! わかる!? 僕だよ、お兄ちゃんだよ!!」


 少年が手を伸ばそうとした瞬間、魔剣『常世』が不気味に共鳴し、鋭い呪詛の波動を周囲に放った。


 「いやぁぁぁ!! だれ!? 触らないで!! お父様助けて!!」

 

 桜花が悲鳴を上げて一歩後退する。それを見た少年は、はっきりと理解してしまった。


 自分がここにいれば、大好きな家族を、この出雲城を、己の持つ魔剣の呪いによって内側から壊してしまうのだと。


 「これ以上、我が家を騒がせるな。捕らえて素性を白状させよ!」


 父親の冷酷な号令とともに、周囲を囲む近衛の武士たちが一斉に刀を抜いた。かつて自分を熱心に指導してくれた剣術の師範すらも、冷徹な敵意をその瞳に宿している。


 少年は、もう涙を流すのをやめた。

 ぎゅっと魔剣の柄を握り締めると、五歳とは思えぬ身のこなしで追っ手の刃をかいくぐり、開け放たれた拝殿の窓から外へと飛び出した。


 外は、いつの間にか激しい冷たい雨が降りしきっていた。

 城門を駆け抜け、誰に呼び止められることもなく、少年は出雲の深い夜へと消えていく。誰も自分を覚えていない、明日になれば今日すれ違った者さえ自分を忘れる。


 「なんで! どうして!! 僕は◼◼◼だ!! どうして誰も覚えていないんだよ!!」


 激しい雨が叩きつける出雲の城下町。その片隅にある打ち捨てられた荷車の影で、五歳の少年は膝を抱え、天を仰いで絶叫した。


 泥水にまみれた服の裾が冷たく肌に張り付き、凍えるような寒さが小さな身体を容赦なく痛めつける。だが、肉体の寒さなど、今の彼の心を切り裂く絶望に比べれば無に等しかった。


 つい数日前まで、自分を優しく抱きしめてくれた母がいた。

 厳しくも誇らしげに背中を押してくれた父がいた。

 「お兄ちゃん」と慕い、いつも後ろを付いてきた愛らしい妹の桜花がいた。


 そのすべてが、一晩にして消えた。彼らが死んだのではない。自分という存在の記憶だけが、世界という巨大な消しゴムによって、綺麗さっぱりと消し去られてしまったのだ。


 「いやぁぁぁ!! だれ!? 触らないで!!」


 脳裏に焼き付いて離れないのは、去り際に向けられた桜花の恐怖に満ちた悲鳴と、拒絶の瞳。


 大好きな家族を、自分の存在そのものが傷つけてしまうというあまりにも残酷な現実。


 少年が胸に手を当てて声を枯らして泣くたびに、腰に帯びた魔剣『常世』は、まるで主の絶望を極上の蜜として啜るかのように、怪しく、そして深く張り付くような不気味な脈動を繰り返していた。


 雨は夜が明けても止むことはなく、出雲の街を灰色に染め上げ続けた。


 少年は、疲れ果てて虚ろになった瞳で、水たまりに映る自分の姿を見つめていた。衣服は汚れ、顔には泥がこびりついている。すれ違う人々は、誰も彼に見向きもしない。ただの行き倒れの子供として視線を外すか、あるいは「そこに誰もいない」かのように通り過ぎていく。


 昨日、必死にすがりついた八百屋の店主も、今日はじめて会ったような顔で彼を追い払った。

 呪いは完成していた。彼は生きながらにして、この世界のどこにも記録されない『空白』となったのだ。


「……僕は、もういないんだ」


 少年は、ぽつりと呟いた。


 泣くのは、もうやめた。泣いても、叫んでも、誰も自分を思い出してはくれない。ならば、奪われた真名を叫び続けることに何の意味があるのだろうか。


 少年はゆっくりと立ち上がると、自分の背丈よりも遥かに長い魔剣『常世』の柄に、小さな、しかし驚くほど力強い手をかけた。


 「僕の名前は……『常世』だ」


 それは、実の親から授かった輝かしい真名を自ら葬り、自分を呪った憎き魔剣の名を、己の存在証明として受け入れた瞬間だった。

 

 


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