第二章第三十話『サーモバリック爆発』
『憤怒の罪人』は、『勇者』と同じ権能者である『大罪者』を崇める大罪教の最高幹部、『七大罪人』の一人だ。七大罪人はそれぞれ、七つの大罪を冠している。
彼らが持つのは権能。と言っても、『大罪者』の権能を模造し、更に七分割した代物だ。そうでもしなければ、権能者でもない彼らが膨大な力は使えない。
他の罪人はともかく、憤怒の罪人の目的はたった一つ。
転生を果たした『大罪者』にほかの権能者全員を殺してもらい、彼にこの壮大な世界の『管理者』になってもらう。
そして愚鈍と醜悪に満ちたこの世界を変えるのだ。
全てはその新時代の開闢のため。そのためならこの身を罪人に堕とすことも、傷つくことも厭わない。報われるのなら、過程がどうなろうともいい話なのだ。
だから今も──
世界が低速になる。うっすらと視界に映るのは、無数の刃。確かにこの命を奪おうとしているものだ。
「全ては新時代の天地開闢のためぇぇぇぇぇ!!!」
その絶叫とともに、憤怒の罪人の肉体から漆黒の魔力が爆発的に膨れ上がった。 迫り来る数多もの希望の閃光。
世界が極限まで引き伸ばされたスローモーションの中で、罪人は自らの命の灯火をすべて燃料として燃やし尽くすのだ。
本当の本当に、最後の手札だ。
死亡した魔龍が最後に残し、魂の繋がりを通じて罪人に渡った世界を燃やし尽くす『火種』。幾度の硬質化と破壊によって空中に散布した可燃性を宿した魔力。
そしてマナが出雲城から撤退時に、城下町に被害がいかないようにと展開した、魔術の出入りを禁止する結界。
奇しくも条件は揃ってしまったのだ。
「我が憤怒でこの旧世界を燃やしつくす!!!! 」
罪人の叫びが引き金となり、世界のすべてが反転した。
空中に漂う、目に見えないほど微細な「硬質化した可燃性の魔力」。それが魔龍の遺した『火種』と接触した刹那、神櫻の地を揺るがす大連鎖爆発が巻き起こった。
マナが城下町を守るために展開した、魔術の出入りを禁じる強固な結界。それが今、皮肉にも熱量と衝撃波を一切外へ逃がさない完璧な圧力釜の役割を果たしてしまう。
「ユダ転移で──」
異常を察知したアルスがユダに叫ぼうとする、だが続かなかった。即座に喉が焼かれ、言葉を話すことが許されなかったからだ。
空間内の酸素が一瞬で喰らい尽くされ、超高圧の衝撃波と数千度の超高温が結界の内部全域を隙間なく埋め尽くす。
今の時代の言葉では表せれないこの事象。敢えて後の時代の似た事象で表すと、燃料気化爆弾──「サーモバリック爆発」だ。
起こせるはずがない大災厄が、檻の中で狂ったように、敵味方の区別なくすべてを平等に焼き尽くす。
轟音すらも己の熱量で押し潰すような、絶対的な白の領域。
結界の内部は、一瞬にして世界の終わりを思わせる灼熱の地獄へと変貌した。反転し、増幅し続ける衝撃波が壁に衝突するたび、逃げ場のない破壊のエネルギーとなって再び中心へと吹き荒れる。敵も味方も、その圧倒的な暴威の前には等しく無力だった。
「ガ、あ……ッ!!」
視界のすべてが白銀の熱線に染まる中、ユダの身体が本能的に動いた。
アルスが最期に遺そうとした叫び、仲間たちの姿が脳裏を駆け巡る。体中の細胞が悲鳴を上げるほどの熱量に包まれながらも、ユダは能力を使って何とか結界の外に転移した。
「──ぶへぇぇ!!」
激しく地面へと転がり出たユダは、煤と泥にまみれながら荒く息を吐き出すはずだった──勿論息は出た、だがそれ以上の血液が喉の奥から一気に溢れ出た。
「ガハッ……! ゲホッ、ゴホッ……!」
地面に広がった赤黒いシミを見つめながら、ユダは視界が激しく明滅するのを感じていた。
結界を脱出する直前、あの超高圧の熱風を肺に吸い込んでしまったのだ。内側から焼き裂かれるような激痛が胸を支配し、まともな呼吸すらままならない。
背後では、マナの展開した結界が不気味な白銀の光を放ちながら、内部の熱量を閉じ込め続けている。その檻の中からは、もう何の音も聞こえなかった。ただ、すべてを無慈悲に融解させるサーモバリックの暴威が、いまだに渦巻いていることだけが伝わってくる。
「アルス……フェリス……みんな……」
血の混じった唾液を吐き出し、ユダは震える手で地面を這った。
誰もいない。自分を信じて、命を懸けて逃がしてくれた仲間たちは、あの白い地獄の向こう側にいる。
「動け、動け動け、動け動け動けぇ!! どうして動かない!! 今動かないとみんなが──!!」
自分の不甲斐なさと、仲間の安否への恐怖が混ざり合い、ユダの叫びは涙混じりの絶叫へと変わる。
しかし、どれだけ叫ぼうとも、酷使された肉体は鉛のように重く、地面に縫い付けられたようにピクリとも動かない。
「あぁぁっ!!!!」
ユダは一人この安全な場所で、絶叫しながらただ仲間が焼かれていくのを見るしかなかった。
数分後、視界を埋め尽くしていた白銀の結界が、内側からの圧倒的な圧力に耐えかねて、甲高い音を立てて内側からひび割れた。
パリィィィィン!!!
爆散すると同時に吹き出してきたのは、熱風ではない。すべてを焼き尽くした後に残された、絶望的なまでに冷たい『劫灰』の嵐。ごうごうと音を立てて広がる灰色の煙が、神櫻の参道全体を容赦なく包み込んでいく。
煙のせいで何も見えない。だが濃く香る血の匂いが、誰も傷ついていないかもしれないという、ユダの現実逃避染みた考えを否定した。
「っつ」
ユダは決死の思いで立ち上がり、確かにユダはそこに入った。
「ぁぁぁ」
嗚咽の声を漏らしながら、ユダは確実に地面を踏みしめて歩く。
結界内は正しく地獄だ。否、そんな言葉すら生温い。
世界が壊滅する際に現れる大火によってすべてが焼き尽くされ、灰と化した状態。言わば『劫灰』のようであった。
憤怒の罪人が放った最終手段。
空中に散布した硬質化した魔力。硬質化したものは可燃性を持つことを利用し、結界で空間を閉じ込めたうえで炎で焼く。この時代ではない言葉を利用するならば、サーモバリック爆発。
そうやって引き起こされた事象は、転移して回避したユダ以外を罪人を含めて正しく平等に焼いた。
──十歩歩いたところ
死体があった。否、それは死体とは到底言えない。灼熱によってドロドロの液状になるまでに溶かされた肉だ。数分前まで到底人の形をしていたとは思えないそれは、吐き気を催す異臭を放っていた。
恐らく魔力による身体強化をせずにこの爆発を受けたのだろう。
──二十歩歩歩いたところ
再び液状に溶けた肉の塊があった。だが今度は大きさが違う、複数の人が溶かされ混ざっていた。それのみにならず、金属の不気味な鈍色と混ざり合いながら、異形な塊となって地面にこびりついていた。装飾の残骸から、それが誰のものであったか、推測することすら脳が拒絶する。
「う、ぷ……っ」
ユダの口から、胃液の混じった嗚咽が漏れた。
視界が涙と恐怖で激しく歪む。一歩進むごとに、自らの足の裏が、かつて仲間だった「何か」を踏みつけているのではないかという強烈な恐怖が、彼の精神を内側から削り取っていく。
それでも、前へ。
歩みを止めない理由は、ただ一つ。
──三十歩、歩いたところ。
和葉がマナを守るように倒れていた。彼は身を挺してマナをもっていたのだ、和葉は己の背にマナを庇い、その小柄な身体を包み込むようにして倒れていた。
極限の破壊が吹き荒れる中、刀剣流の極意をもってしても、あの逃げ場のない熱波と衝撃波を完全に受け流すことは叶わなかったのだろう。だが、和葉は最期の瞬間まで、自らの背に負った幼子を守るという、その一念だけで肉体を駆動させていたに違いない。
その身体は激しく焼け焦げ、物言わぬ沈黙を保っている。しかし、彼が命を賭して作った人間の盾の内側で、マナの衣服だけは奇跡的なほどにその原形を留めていた。
同様に、和葉の刀の形をした魔剣も溶けることなく地面に突き刺さっていた。
「和葉さん……マナ、副隊長……」
ユダの膝ががくがくと震え、ついにその場に崩れ落ちた。
二人のもとへ這い寄り、震える手を伸ばす。血と灰にまみれた視界の中で、和葉の指先がかすかに、本当にわずかにピクリと動いたような気がした。いや、それはユダの願望が見せた幻覚だったのかもしれない。
「う、あ……あぁぁぁぁッ!!」
喉の奥から、言葉にならない叫びが爆発となって押し出される。
息があるのか、それとも手遅れなのか、今のユダの乱れた魔力とボロボロの五感では判別すらつかない。
ただ分かっているのは、彼らが全霊を懸けてこの地獄に抗い、そして今もなお、過酷な現実のただ中に遺されているということだけだ。
その時、さらに十歩進んだ劫灰の深奥、最も濃密な死の煙が渦巻く中心地から、不気味な地響きが伝わってきた。
肉体が炭化しその場で不動直立している憤怒の罪人。そしてその直ぐそばに倒れているのは、フェリスにアルス。琴音に恵といった傑物たちだ。
彼、彼女らは肉体が焼かれるなかでも、何とか憤怒の罪人を倒そうと前に進んだのだろう。彼、彼女らは肉体が焼かれるなかでも、何とか憤怒の罪人を倒そうと前に進んだのだろう。
その痕跡は、灰の上に刻まれた無数の這った跡となって残されていた。
アルスとフェリスの剣は焼け切れている。琴音の魔糸も、恵の鉄扇も、すべてが爆炎の猛位に晒されてボロボロになっていた。それでも彼らの指先は、最期の瞬間まで憤怒の罪人がいる方向へと向けられていた。
これほどの傑物たちが、一歩でも前へ、一撃でも多くと命を燃やし尽くしたのだ。
炭化し、完全に沈黙している罪人の巨躯は、彼らが死力を尽くしてその足を止め、世界を道連れにするさらなる暴挙を阻んだ証でもあった。
「みんな……みんな、そこまでして……」
ユダは震える手で、近くに倒れているアルスの肩に触れた。熱を失い、灰にまみれたその身体からは、かつてあれほど頼もしかった魔力の波動は何も感じられない。確かに感じるのは微弱な生の波動。
周囲を見渡せば、どこまでも続く『劫灰』の荒野。
自分を信じて未来を託してくれた仲間たちの命の灯火は、この地獄の中でどれほどの数だけ残っているのだろうか。
「憤怒、憤怒…憤怒…! どうしてこんなことをした!! こんな酷いことをして心は傷まないのか!!」
張り裂けんばかりの怒りと悲しみ、そして理不尽な現実への拒絶。涙が煤まみれの顔を濡らし、地面の灰へと吸い込まれていく。親しい仲間たちが満身創痍で倒れるこの凄惨な景色は、あまりにも残酷で、ユダの心を限界まで追い詰めていた。
やがて全身が炭化した憤怒の罪人が目を覚まし、ユダに答えた。
「全ては天地開闢のためだ。お前は知っているか? 五大国以外の国の民がどれだけ苦しんでいるか。己の利益しか考えられない愚かな王により、高い税をかけられ生活はままならず娘を売り払うもの、苦しみから逃れるため家族で心中するものさえいる。ひとえに人の愚かさのせいで。ならば変えないといけない、この愚鈍に醜悪の世界を」
憤怒の罪人の喉から、炭化した肉が擦れ合うような、低く掠れた声が漏れ出た。
「それが、俺の、憤怒だ……。富める者がさらに肥え太り、持たざる者が泥をすする。この理不尽こそが旧世界の正体。俺はそれを……ただ、壊したいだけなのだ……」
「黙れよ。大義のためだったら人がこんなふうに死んでいいのかよ!!」
ユダの声は怒りと悲しみで完全にひっくり返り、神櫻の地に虚しく霧散した。
「……お前には一生分からないだろう。『大罪者』と同じく世界を変える資格を持ちながら、心身ともに脆弱なお前にはな」
「黙れ!! 死ね、死ねよ……お願いだから死んでくれ。 お前らなんかが生きるせいで人が死ぬんだ」
所詮罪人の言葉。こいつは人間の皮を被っているだけの、罪深いナニカなのだ。だから聞く必要なんてどこにもない。
憤怒の罪人はゆっくりと動き構えを取り出した。
「俺ら大罪教による天地開闢を邪魔するというのであれば、ここで朽ち果ろ『勇者』!!」
「誰か傷付けるくらいならここで死ね『憤怒の罪人』!!」
互いに消耗しきった勇者と罪人。魔力も武器もない。
あるのは俺の拳のみ。
神櫻の下で、最後の戦いが始まったのだった。




