第二章第二十九話『決着を』
「──ぁ」
意識が戻った時、真っ先に目に移ったのは自分を刺す茨だ。憤怒罪人の硬質化によって生み出されたそれは、ユダの体を拘束するようにそこに存在していた。
痛みはなかった。否、痛みよりも大切なことがあった。
僅かに視線を先に向けると、そこには激闘があった。
「和葉さん……」
ユダの喉から、かすれた声が漏れる。
自分のために命を懸けて時間を稼ぎ、道を切り拓こうとしてくれている和葉の背中。その姿が、茨に縛られたユダの心臓を激しく打ち鳴らした。
(止まってられない!!)
「うぉぉぉ!!!」
ユダの喉から、裂帛の気合いが迸る。
肉体を深く締め付け、自由を奪っていた憤怒罪人の硬質な茨。みしみしと音を立てるそれを、ユダは自らの筋力と魔力だけで無理やり引き剥がし、へし折った。鋭い棘が肉を掠めるのも厭わず、強引にその束縛から身体を解き放つ。
幸いにも剣をずっと握っていたため、戦線復帰は早かった。剣を強く持ち直すと、即座に和葉の助太刀のため駆け出す。
「和葉さん、合わせます!!」
地を蹴るユダの足取りには、先ほどまで拘束されていたとは思えないほどの鋭さと力強さが戻っていた。
茨を引きちぎった際に生じた火花のような魔力の残滓を纏いながら、彼は憤怒罪人の死角へと一直線に肉薄する。
『虎切り!!』
斜めに一線。完璧に入った。…そのはずなのに。
(なんだこの感じ!!)
その一撃は確かに憤怒罪人の肉体を捉えた。しかし、手応えがない。硬質化した体は刃すらも否定し、攻撃を無に帰した。
「ユダ殿!! 警戒を怠るな!!!」
一瞬の停滞。それを憤怒の罪人が許さないことを知っている和葉は、警鐘の声をユダにあげる。それを受けユダは姿勢を立て直す──その時だ。
「『硬質化!!』」
再び憤怒の罪人が硬質化を発動。発動した「硬質化」は、単なる防御の壁ではなかった。
憤怒の罪人の全身から、まるで黒い結晶のような鋭い棘が、爆発的な勢いで周囲一帯へと突き出される。
「ユダ殿!!」
「くっ……!」
間一髪、ユダは和葉の声に反応して剣を構え、突き進む結晶の嵐を紙一重で受け流した。
しかし、その衝撃は凄まじく、強烈な圧力が剣を伝って両腕を痺れさせる。地面を滑るように後退しながらも、ユダは必死に足を踏ん張り、これ以上の追撃を許さないよう身構えた。
周囲を見渡せば、飛び散る結晶の破片が神櫻の地を容赦なく削り取っていく。
「一筋縄ではいかないか……だが、ここで引くわけにはいかない!」
呼吸を整え、ユダは再び剣を強く握り直す。その視線の先では、和葉もまた、次の隙を窺うように鋭い眼光を罪人へと向けていた。
そして再び動き出す。
和葉は一体に展開された硬質化による茨を、まるで糸を拭うようにくぐり抜け、刃を罪人に向ける。
ユダは真逆。後のことも考え、邪魔になるような茨は即座に切り排除。遅れを取りながら罪人の首を狙う。
「っつ!!」
茨を切るため、魔力による身体強化を強める。凄まじい金属音と共に、ユダの刃が硬質化した茨を叩き切った。その瞬間、切断面からバチバチと火花が散り、強烈な異臭が辺りに立ち込める。
(硬質化は可燃性を与えているのか……。魔術と混ぜったらどうなるか分からないし、斬っておいて良かったな)
だがユダは知らない。切断したところで、周囲には可燃性を含む魔力が散布されることを。今この瞬間にも、目に見えないほど微細な、しかし濃密な可燃性の魔力が急速に大気へと霧散しているのだ。
「和葉ぁぁぁ!!」
既に和葉と憤怒の罪人は肉薄を繰り広げていた。憤怒の罪人は硬質化を利用し、丁度良いサイズの剣を作り出した。
和葉と罪人による、剣による円舞曲。
到底心地良いとは言えない。罪人の剣戟は素人同然で、刀剣流の和葉にその刃が届くことはない。 和葉の流麗な剣技は、憤怒の罪人が繰り出す荒削りな猛攻をすべて的確にいなしていた。
しかし、技術で圧倒しているはずの和葉の表情には、次第に焦燥の色が混じり始める。
「くっ……重い……!」
罪人の剣戟は素人同然の力任せな一撃。だが、その一振り一振りに込められた質量と腕力は尋常ではなく、まともに受け流すだけでも和葉の体力を確実に削り取っていく。
「ハァァァァッ!!」
罪人が咆哮とともに、硬質化した大剣を力任せに振り下ろす。和葉は辛うじてそれを刀身で受け流したが、凄まじい衝撃波が地面を爆裂させ、彼女の身体は大きく後方へと弾き飛ばされた。
「和葉さん!」
ユダが叫び、すかさず二人の間に割って入ろうと地を蹴る。だが、罪人は和葉への追撃を緩めず、さらにその巨躯を加速させた。完全に押し切られる――そう直感した瞬間、上空から眩い雷の奔流が降り注いだ。
「『雷砲』!!」
頭上から降り注いだ雷の砲撃が、三者ともに距離を置く理由となった。
「遅くなってごめんね!! ユダちゃん!!」
戦場に駆け込んできたのは、副隊長マナ。そして『三人衆』琴音、恵たち増援の仲間たちだった。
「うちのことが恋しかったやろ和葉!!」
「ここは僕たちも支える! ユダ殿、、和葉、一度体勢を立て直して!」
「フェリスちゃんにアルスちゃんの治療は任せて!!」
新たな戦力の加勢により、激化する戦場はさらなる混沌へと突き進んでいく。
―― ―― ――
その後は拮抗状態が続いた。受け流しが得意な刀剣流の剣士が二人。それに誰かが傷つけば、マナが治療をしてくれる。
憤怒の罪人が付け入る隙間はなかった。
だが決め札がなかったのも事実。
その拮抗状態が数十分続いた後、和葉が絶望に染まった声色で呟いた。月光がこの神櫻での戦いを照らしていた頃だ。
「まずいでござる…奴の硬質化が爆発的に硬くなってきたでござる。……もはや、手がつけられないぐらいに」
「本当にまずそうやな……うちの糸でも、さっきから表面を掠めるだけで全然食い込めへんわ」
和葉の言葉に呼応するように、琴音が焦燥を滲ませた声を上げる。
ユダは治療を受けてもなお、まだ目を覚まさない二人の友人に目を向ける。
(フェリス、アルス…はやく目を覚ましてくれよ!! お前らが目を覚ましたらなんとかなるかもしれないだろ!!)
「おい! ユダ!!」
「っつ! 先輩!!」
「余所見するな。あいつらは絶対に目を覚ます。だから信じて戦え!」
「……けど、罪人はもう俺達の攻撃をものともしないぐらいまで……」
「うるせぇ!! 俺達『ギルド』は往生際が悪い集団だ!! 本当の本当の本当の最後まで抗い続けろ!!」
一人の先輩の声でギルド隊員全体の士気が上がる。否、ギルドだけではない。出雲の武士たちもだ。そこらじゅうから「そうだな」、「あきらめんなよ!!」、「俺この戦いが終わったら結婚するんだ!!」と声が上がる。
そしてそれは一つに終着する。
「「「全員で憤怒の罪人を倒すぞ!!!!」」」」
「おおおおおッ!!」
その場にいる全員の魂が一つに溶け合うかのような、地鳴りのごとき咆哮が神櫻の地に響き渡った。そんな中、マナは和葉に近づき耳打ちした。
和葉は一瞬戸惑った表情だったが、「任せてほしいでござる」と了承した。
一連の流れを見たユダはいったい何が起きるのか分からなかったが、理解できないしろ状況は動き出す。
和葉はマナを背中におんぶしながら剣を持って憤怒の罪人目掛けて走り出した。
「なっ……和葉さん!?」
ユダが驚愕の声を上げるのも無理はなかった。前線で最も激しい立ち回りを要求される剣士が、非戦闘員であり最高峰のヒーラーであるマナを背負って突撃するなど、正気の沙汰とは思えない。
だが、その無謀に見える特攻こそが、この絶望的な拮抗を打破するためにマナが提案した唯一の奇策だった。
「ハハハ! 自殺志願か! 塊となって一度に砕け散るがいい!!」
憤怒の罪人が冷酷に嗤う。これまでの比ではない硬度を誇る漆黒の鎧から、無数の巨大な結晶の槍が、和葉とマナを目がけて一斉に射出された。
「いかせんよッ!!」
琴音の叫びとともに、幾重にも張り巡らされた魔糸が、飛来する結晶の槍を網のように絡めとる。完全に破壊することはできずとも、その軌道をわずかに逸らす。さらに、恵の鉄扇が巻き起こす烈風障壁が、砕けた破片の嵐から二人を力強く守護した。
「ユダ殿! アルスとフェリスを頼むでござる!!」
和葉は背中のマナを落とさぬよう、刀剣流の極意たる驚異的な身のこなしで、迫り来る残りの茨を紙一重でくぐり抜けていく。その圧倒的な突進力に、ギルドの隊員たちと出雲の武士たちの怒号のような歓声が追従した。
「マナ副隊長……! 和葉さん……!」
ユダは歯を食いしばり、まだ目を覚まさないアルスとフェリスの前に立ちはだかった。迫り来る罪人の余波から二人を絶対に守り抜くため、剣を強く強く握り直す。
罪人の目前まで肉薄した和葉の背中で、マナが小さな腕を掲げて罪人の肉体に触れようとする。
「ちょっと忘れてしまうかもしれないけど。これで……終わりにするんだから!!」
「──ッ、マナ副隊長、何を!?」
ユダの叫びは、戦場を揺らす轟音にかき消された。
マナの小さな手が、憤怒の罪人の剥き出しの装甲へと触れる。その瞬間、彼女の身体から立ち上ったのは、これまでのような温かい治癒の光ではなかった。
ユダも知っている能力発動による輝き。だがそれはユダのとは違う、異質なものだった。
(……ぁ、俺は知っている、聞いたじゃないか!! マナ副隊長の能力は『巻き戻し』、けどそれの使用に使うのは魔力じゃない。自身の記憶だって…!!)
「だめだ……マナ副隊長、それを使っちゃ駄目だ!!」
憤怒の罪人の『硬質化』を元に戻そうとしているのだ。それを成し遂げるために、どれ程の記憶を消費してしまうのか。
分からない。けど止めてはいけない。
ユダの絶叫が戦場に木霊する。しかし、その声が届くよりも早く、マナの小さな掌から眩い、そして恐ろしく冷徹な白銀の光が爆発的に解き放たれた。
それは世界そのものの時間を局所的に逆行させる、『巻き戻し』の能力。
「ガ……、ア、ガがががッ!?」
憤怒の罪人の口から、この世の終わりを告げるような絶叫が漏れた。
彼が数十分かけて蓄積し、絶対の硬度を誇るまでに育て上げた黒銀の鎧が、時間を逆再生するように急速に縮退し、ただの脆弱な表皮へと戻されていく。無敵を誇った大罪の化け物が、瞬く間に生身の肉体を晒し、防備を完全に失った。
「バカな……俺の、俺の『憤怒』が……消えて、いく……!?」
鎧を奪われ、膝をつく罪人。その圧倒的な隙を作り出したマナの身体から、力が急激に抜けていく。彼女の瞳から、出雲の地で仲間たちと笑い合った日々の、大切な記憶の断片が光の粒子となって零れ落ちていくのがユダの目にはっきりと見えた。
「今でござる!! ユダ殿ォォォッ!!」
和葉が全霊の力で叫び、意識が遠のきかけるマナを落とさぬようがっちりとホールドしたまま、後方へと大きく跳躍して距離を取る。
「──お、おおおおおおおッ!!」
その瞬間、ユダの背後で、大地を力強く踏み締める二つの足音が響いた。
「待たせたな、ユダ!」
「僕たちも、往生際が悪い集団の仲間だからね!」
「アルス! フェリス!」
目を覚ました二人の友が、すでに武器を構え、ユダの隣へと並んでいた。彼らの身体からも、戦場にいる全員の想いと、マナが身を賭して繋いだ覚悟に応えるかのような、圧倒的な闘気が爆発している。
否、この場にいる全員だ。ギルドも出雲も、一人の少女の勇気に報いるように武器を携えながら走り出していた。
「マナ副隊長の想いを、みんなの命を、無駄にさせてたまるかぁぁぁ!!」
ユダの咆哮を合図に、ユダ、アルス、フェリスの三人が同時に地を蹴った。絶対の防壁を失い、生身を晒した憤怒の罪人へ向けて、全員の閃光が一点へと収束していく。
絶望的状況に置かれた罪人。されど罪人は笑った。




