第二章第二十八話『奪還戦』
時間は少し戻り、出雲城奪還組の話になる
「随分と荒らしてくれるやん! 大罪教!!」
所々崩壊した出雲を走るのは、残りの三人衆石動恵に琴音、そして第一部隊副隊長を含んだギルドの精鋭。
奪還組が本体だ。
「…やはり、僕としては憤怒の罪人の相手をあの四人にだけに任せるのは心配です」
電光石火で駆ける中で巫女服を揺らす恵みは杞憂を口にした。
苦渋の選択であったが、皆で合意してこうなったのだ。
「大丈夫ですよ!! ユダちゃん、アルちゃん、フェリスちゃんなら上手くできます!! あの子たちの副隊長のわたしが言うから間違いないです!!」
桃色髪を揺らす第一部隊副隊長のマナ・イハートは、疲労の顔を一切見せずに笑いながら言ってみせた。その明るい声は、どんよりとした戦場の空気を一瞬で塗り替えるような不思議な力を持っていた。
「マナ副隊長……。そうやね、あの子らを信じなあかんな」
「…そうですね。僕達がちゃんとしないと」
恵みはふっと表情を和らげ、再び前方を強く見据えた。
現在、残すは上階。出雲、ギルドが同盟を結ぶための会議を行っていた大広間。
下層のの救護所や独房エリアに溜まった動けない負傷者や職員の大勢は、マナを含めた治癒魔術が使える精鋭のお陰で無事治癒でき、奪還組から何人かをそれらの人の護衛として下層に置いている。
はっきり言って今の状態で、彼らを出雲城外に避難させることは人員的に難しく、結果としてマナによって下層には結界魔術をかけることと至った。
「マナ殿、魔力は大丈夫なのですか?」
恵が後ろを振り向き、マナに問うた。マナは肉体的に見たらこの中で一番未熟なのに、精一杯先に行く恵や琴音に追いつこうと走っている。
「うん大丈夫です。…ちょっと目眩がするだけで…」
「ですが、これをどうぞ」
そう言って恵みは小瓶をマナに対して優しく投げた。マナは危うく手が滑って落としそうになりながらも、それを見事にキャッチ。
中身を眺めながら、「これは…なんですか?」と言う。
「秘薬です。魔力の回復を促進させるもので、憤怒の罪人の相手をする四人にも飲んでもらいました」
「そんなものが!?」
マナは手の中の小瓶を見つめ、驚きに声を弾ませた。
透明な硝子の奥でゆらゆらと揺らめいているのは、淡い新緑の光を放つ不思議な液体だ
「ですがこういったものは往々にして、対価が付き添います。事が済んだ後、燃えるような痛みが全身を襲います」
「……驚かせてしもてごめん。でも、戦いが終わった後に襲ってくるその反動さえ耐えれば、今この瞬間だけは、魔力を引き出すことができる。和葉たちも、そのリスクを承知で飲み干して戦場へ向かったんよ」
琴音の言葉には、張り詰めたような重みがあった。誰もが何かを犠牲にしながら、この出雲の地を守るために命の灯火を燃やしている。
マナは葛藤する間もなく、それを一口にゴクりと飲んだ。
瞬間、頭の先から爪先に至るまで、凍てつくような瑞々しい魔力の奔流が身体の細胞一つ一つを駆け巡る。下層の負傷者たちを癒やし、強固な防衛結界を展開したことで極限まで磨り減っていた彼女の魔力器官が、まるで乾いた大地が雨水を吸い上げるように、急速にその輝きを取り戻していった。
「マナ副隊長!?」
ギルドの隊員達は突然マナの身体から立ち上った圧倒的な魔力の光に、驚愕の声を上げた。
「ありがとうね恵さん! これでもっと動ける!!」
見た相応の溌剌として笑顔で恵に感謝を告げた。
「僕は何も…」
「ほんま、大した根性や。それじゃあ、うちらも遅れを取ってられんね!」
琴音は不敵に笑うと、草履の底で床板を強く踏み締めた。
螺旋階段の傾斜はますます険しくなり、上階から吹き下ろす風には、血の匂いと焦げ付いたような魔力の残滓が混ざり始めている。大広間で行われていたはずの会議、それが大罪教の襲撃によってどれほど無残に塗り替えられたのか、その答えがすぐ目の前に迫っていた。
「……見えた! 大広間の大扉!」
先頭を走る恵が、扇に手をかけた。視界の先には、魔術によって生成された障壁があり、マナたちがこの大広間に突入するのを拒もうとしていることが分かる。
それだけではない、行く手を阻むのは、扉の前で力なく倒れるギルドの隊員と出雲の武士。
救わないといけない対象だ。
「治療を開始します。みんな、しっかりして……! 今、助けるからね!!」
倒れ伏す仲間たちの姿を目にした瞬間、マナを含めた医療班は即座に前に出て治療を開始した。淡い光が一帯を包んで、傷を次々に直していく。
「マナ殿、治療は後方で。障壁の突破を試みます」
先頭に立つ恵が、鋭い視線を巨大な扉へと向けながら声を張った。その手には、出雲の風と大地を司る家系に伝わる美しい鉄扇が握られている。
「ここはうちら武士の意地を見せるところや。これ以上、仲間を傷つけさせはせん!」
恵が鉄扇を大きく一煽りすると、螺旋階段の空気の底から猛烈な突風が巻き起こり、扉を覆う紫の魔術障壁へと叩きつけられた。風の刃が障壁の表面を激しく削り取り、不快な軋み音が空間に響き渡る。
「琴音ちゃん、合わせるでござる!」
「合点!」
琴音の双剣が青白い火花を散らし、恵が風で削り取った障壁の薄い部分を正確に十文字に切り裂いた。二人の三人衆による電光石火の連携により、大広間に突入する者を拒んでいた邪悪な結界は、ついにその構造を維持できずに激しく爆散した。
「障壁、突破したでござる! 医療班は負傷者を後方へ!」
琴音の鋭い号令とともに、厚い木の扉が内側へと押し開かれる。マナたちの迅速な治療によって一命を取り留めた隊員たちが次々と後方の安全圏へと運ばれていく中、恵と琴音、そして魔力を漲らせたマナは、ついに大罪教の悪意が渦巻く大広間へとその足を踏み入れた。
開け放たれた大広間の最奥には、一人の男が立っていた。
「ほう、想像以上の到着速度だな愚者共。…こちらには『勇者』がくると思っていたが、憤怒の方に行ったか。まぁいい、実験は既に始まっているが、お前達に愚者に止められるかな?」
「名前は聞かしてもらおか?」
琴音が名を尋ねる。
「私は『傲慢の罪人』の咎人、ノイン。ただの学者だ。蛮族のお前たちにわざわざ名乗ったことを感謝するといい」
ノインは眼鏡のブリッジを押し上げ、冷酷な瞳で侵入者たちを値踏みした。
「野蛮で結構や! 人の故郷を勝手に実験場にしといて、インテリぶっとんじゃねえわ!」
琴音の鋭い叫びとともに、大広間の空間を縦横無尽に走った透明な魔糸が、ノインの全身を容赦なく締め上げた。三人衆が一人、琴音の超絶的な糸捌きは寸分の狂いもなく、ノインの四肢を完璧に拘束してその動きを完全に封じる。
「捉えた!!」
ノインが指先を小さく動かすと炎が展開され、ノインの体を一切巻き込まない形で彼を縛る糸を焼き切った。
「無詠唱…!!」
自身も使えるといえど、使い手の少ない無詠唱による魔術の行使にマナは驚きの声を上げた。
それは高い実力の証明であったからだ。
「速さに重きをおいたせいで、硬度が疎かになっているぞ。…ふむ、『憤怒』の権能が再起動したな。愚者達よ破滅の刻は近いぞ」
ノインの言葉と同時に、遥か後方の神櫻の方向から、天を割るような禍々しい魔力の咆哮が城内まで響き渡った。激しい地鳴りが大広間を揺らし、天井の術式がそれに呼応するように一層強く輝き始める。
「あ……」
マナの動きが、一瞬だけ止まった。 そのプレッシャーは、神櫻の守護に向かったユダたちが、今まさに絶望的な局面に立たされていることを何よりも雄弁に物語っていた。
「お前達ごときが止められるか? 私達を」
ノインの嘲笑が冷たく響き渡り、ギルドの隊員たちの間に一瞬の動揺が走る。しかし、マナはその絶望の空気を、張り詰めた力強い声で一刀両断にした。
「いいえ、絶対にそんなことありません!!」
マナは一歩前に出ると、短杖を強く握り締め、ノインを真っ直ぐに睨み据えた。
「ユダちゃんも、アルちゃんも、フェリスちゃんも、和葉さんも……みんな、誰かのために命を懸けられる、世界で一番強い人たちです! あの子たちが諦めずに戦っているなら、わたしたちがここで立ち止まるわけにいかない! あなたをここで倒して、すぐにみんなのところに駆けつけます!」
「……そうやね。マナ副隊長の言う通りや。うちらがここでヘたれとったら、和葉の奴に一生笑われるわ!」
琴音がより強度を高め、部屋全体に魔糸を伝わす。
「僕達があなたを倒します!!」
恵の扇を持つ力が強まる。
崩壊した出雲城の最上階。神櫻の地で戦う仲間たちの絆を背負い、奪還組の本体による、未来を取り戻すための総力戦が、ついに本当の決戦へと突入した。
「そうか、ならば存分に可愛がってやろう」
ノインが軽く指を鳴らすと、天井の術式が鼓動し発動する。ドス黒い魔力が周囲に倒れる、出雲武士とギルドの隊員に注がれる。
皆が目を見張る。
倒れていた出雲武士とギルドの隊員は皆、既に手の施しようがなく絶命していた。死者に魔力を注いで、何の意味があるのか。
否、見てきたではないか。死者を動かす術式を。
「屍兵…!!」
「……嘘でしょ……!?」
マナの唇から、戦慄に満ちた呟きが漏れた。先ほどまで必死に治療を行い、安全な後方へと送り出したはずの仲間たち──その中に混ざっていた、すでに息絶えていた出雲の武士やギルドの隊員たちの身体が、不自然な関節の音を立ててピクリと動いた。
ドス黒い魔力が血管のようにその肌に浮かび上がり、光の消えた瞳がどろりと濁った紫色の輝きを宿す。生前の意思などそこにはない。ただ、大罪教の悪意によって動かされるだけの、無残な操り人形。
「屍兵……! 命を、仲間の絆をなんやと思っとるんや、お前は……!!」
琴音の叫びは、怒りと悲しみで激しく震えていた。かつて共に笑い、共に戦ったはずの仲間が、最悪の形で刃を向けてくる。これ以上の侮辱が、これ以上の残酷があるだろうか。
「素晴らしい。死してもなお主のために働く、これこそ至高の効率性だと思わないかね?」
ノインは冷徹な手つきで眼鏡の位置を直しながら、立ち上がる屍の群れの背後で淡々と言い放つ。
「っつ!!」
琴音は即座にその指先から、鋼線のごとき強度の魔糸を瞬時に繰り出す。
迫り来る屍兵たちの足元、そして武器を握る手首へと糸が絡みつき、その猛進を強引に阻んだ。かつての仲間たちの肉体が軋む音を立て、不自然に固定される。
「……みんな、堪忍な」
琴音の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちるが、その指先は微塵も震えていなかった。
操られている彼らを救う術は、もうない。ならば、これ以上の侮辱を重ねられる前に、自分たちの手でその魂を眠らせることこそが、残された者の果たすべき義理だった。
…そのはずなのに。
屍兵は止まらなかった。肉と肉が離れようと、またドス黒い魔力が注がれて体は無理やり接着されて接合する
「…そうまでして命を冒涜するのか!!」
激昂が治まらない琴音、それの対極にいるのがノインだ。彼はこれ程の狂行を一切の心の乱れなく、冷静に行っていた。
「理解できないな。肉体は魂を入れるための器にすぎない代物だ。それに対してそれほどの感情を割くとはやはり非効率極まりない」
(((天井の術式を破壊しないと!!!)))
マナ、恵、琴音。三者の思考はここに一致した。無限に再生を繰り返す屍兵たちと正面から消耗戦を演じるのは悪手。この最悪の傀儡劇を終わらせるには、操り糸の根源である天井の術式を叩き潰すほかない。
ノインが指先を天空へ跳ね上げると、天井の術式からどす黒い魔力の防壁が垂れ下がり、術式そのものを覆い隠す。
この行為はノインとしては、屍兵を動かす術式の効率を下げることになるため、このような行動に及びたくなかった。
「防壁ごと、撃ち抜きます……!!」
地上からマナが短杖を両手で掲げ、詠唱を開始した。可能なら無詠唱で即座に打ち抜きたかった。
しかし無詠唱では威力が下がり、防壁を破壊できるか分からない。故の詠唱ありの魔術。だがその分の隙がある。
無防備のマナに黒い魔力に継ぎ接ぎされた屍兵は無慈悲に襲い掛かる。が、今のマナには背中を任せられる仲間がいる。
『風刃!!』
迫りくる敵は文字通り風の刃で切り裂かれた。恵の声が、荒れ狂う風の咆哮を突き抜けて響いた。彼の手に握られた美しい鉄扇が、まるですべての空気の流れを支配するかのように流麗に、そして力強く空間を薙ぐ。
さながら一つの舞。
調律された動作と扇によって、撫でるように屍兵の胴と頭を切る。舞の曲のようにマナは詠唱を行っていた。
『炎撃!!』
完成と共に彼女の身体を有に上回る炎が放たれた。眩い紅蓮の光線が、大広間の湿った空気とどす黒い魔霧を一瞬で蒸発させながら、一直線に天井へと突き進む。
『炎擊』とノインの防御結界が接触。しかし、マナの炎は衰えない。それどころか、恵が残した風の余韻──『風刃』の巻き起こした気流──を取り込み、火を煽る風となってさらにその威力を増幅させていた。
そしてその瞬間は直ぐにやってきた。
ノインの防御結界が根負けして崩壊。術式が顕になる。
「うちが行く!!」
駆け出した琴音の身体が、大広間の床を強く蹴り上げた。
マナの『炎撃』がノインの防御結界を完全に焼き尽くし、天井に刻まれた屍兵の術式が剥き出しになったその瞬間。これ以上ない最高の舞台を、仲間たちがその命と魔力を懸けてこじ開けてくれたのだ。
「行かせんさ」
ノインの冷徹な声が響き、手元から無詠唱の炎の矢が琴音へと放たれる。体に当たるスレスレで、琴音は駆け抜けた。
術式の真ん前、空中に躍り出た琴音の視界に、禍々しく脈動する紫の紋章が映る。 これさえ壊せば、もう仲間たちの遺体が道具のように弄ばれることはない。
「うちらの故郷を、みんなの命を……これ以上、あんたの不味そうな実験の材料にさせへんわあああ!!」
極限まで高められた一撃が、天井の術式へと深く突き刺さった。
大広間全体に、ガラスが爆散したかのような凄まじい衝撃音が鳴り響く。
天井に広がっていたどす黒い魔法陣が、蜘蛛の巣のような亀裂を走らせた後、光の破片となって一気に崩壊していった。それと同時に、残っていた屍兵たちの身体から紫の魔力が抜け、糸が切れたようにその場に静かに倒れ込んでいく。操り人形の劇は、今度こそ完全に幕を閉じた。
「屍兵は封じられたか。ならば直々に私が──まて、お前らの魂は。…そうか、そういうこともあるのか!! フハハハ!! 実に面白い!!! いい、いいぞ!!」
「は…?」
ノインの豹変にマナは呆気にとられた。彼の笑みは、マナと恵を見て行われたものだ。
「何を笑っている!!」
恵が半歩前に出て、勇ましくノインと対峙する。されどノインは笑ったままだ。
「マナ。お前は気付かないのか、この恵とやらが誰の転生体か? …いやお前は記憶を失っているのだったな。ならばこの愉快さに気付かないのも当然だな。まぁいい、興が乗った。お前たちを見逃してやろう。
そういってノインは大広間に魔術で穴を開け、そのまま飛び降りた。逃がさんと即座に追いつこうとしたが、琴音に静止される。
「あいつが逃げるんやったら、うちらは無理に追わんでいい。それより出雲城は奪還したんや。直ぐに和葉たちと合流せんと」
床に双剣を突き立て、荒い息を吐きながら琴音が言った。その声には、辛うじて激情を抑え込んだ重みがある。
ノインの開けた大穴からは、ひんやりとした夜風が出雲城の内部へと吹き込んでいた。追撃の機会はあったかもしれない。だが、今の彼女たちには一刻の猶予もなかった。
こうして、出雲城奪還作戦は終了した。
大罪教の手から城の心臓部を取り戻したというのに、その引き際はあまりにも呆気なく、そして──目の 前に横たわる仲間たちの動かぬ身体を見つめるマナたちの胸には、救えた命の少なさという、重く苦しい現実がのしかかっていた。




