第二章第二十四話『虚無へ』
各流派の持つ最強の剣技、いわば『奥義』と呼ばれる『王級剣技』。
流派の『王級剣技』を使うことが、その流派の剣王となる条件だ。
それ故に会得難易度は非常に高く、それに見合う強さを持っている。
そしてそれらは往々にして『理不尽』である。
例えば俊剣流は理不尽な速さ。
例えば列剣流は理不尽な火力。
常世が剣王を務める刀剣流は理不尽なカウンター。
「刀剣流奥義『桜花爛漫』」
影を落としながら、常世が構えを取った。
ようは、相手が攻撃する前にカウンターを決める。それがその理不尽だ。
「常世ぉぉぉぉ!!!」
憤怒の罪人が獣のように血相を変えて突っ込む。
地面はえぐり取られ、空気が爆ぜ、音速を超えた憤怒の質量が常世へと肉薄する。
回避不能、防御不能。まともに喰らえば、一国の主ですら肉片も残らないであろう破壊の権化。
付け加えて彼自身の能力で『硬質化』で耐久性もある。
それらの情報があれど、常世の首元に拳を届けるのは容易ではなかった。
──世界が爆ぜ、只人は鮮血を散らす。
漆黒の斬撃。
それは憤怒の罪人が動くたび、魔力を消費するたび、細胞が動くたびに降ってくる。
圧倒的な魔力感知能力により、動くたびに斬撃が降り注ぐ。
「うぉぉぉ!!」
斬撃は意思をもつかのように、首を落とそうとしてくる。
硬質化を得た首と斬撃が接触するたびに、爆音が響く。
「甘いな常世!!」
首を狙う漆黒の斬撃を、罪人はその理不尽なまでの『硬質化』で強引に弾き飛ばす、衝撃波が周囲の瓦礫をさらに細かく粉砕する。常世の『桜花爛漫』は、相手の「予備動作」そのものに反応し、行動が完遂される前に刃を叩き込む神速の先制カウンター。
だが、罪人は止まらない。
斬撃を受け、肉を削られながらも、その歩みは止まるどころか加速していく。
斬撃は首を狙ったものから足や手といった動きを止めるようになっている。
「そんなもんかぁ!!」
何度も切り刻まれた。
硬質化は同時に可燃性を孕んでいるようで、切られると同時に火花が散る。
「終わりだぁぁ!!」
遂に常世に拳が届きそうになったとき、常世の構えが変わった。
「『残桜』!!」
「ぬるい!!」
再びカウンターで返されるところを、憤怒の罪人は無理やり押し通した。
常世は咄嗟に腕を使って止めようとした、されどそれは悪手。硬質化を得た拳をただの魔力強化しただけの拳で受け止めきれるはずない。
ぐにゃりと、常世の左手ああらぬ方向に曲がった。
普通なら叫び声をあげるところを、痛覚のない常世は叫ぶことができなかった。無機質に左手が使い物にならなくなった事実を叩きつけられる。
「本気を出せ!!」
今度は足に硬質化を回し、罪人は回転蹴りをした。豪快な金属音は伴うそれを剣なしで流石に対処できず、常世は刀を回収することを最優先。
姿勢を低くし、蹴りを回避。続けて地面を滑り離れた場所に落ちた刀を手に収めた。罪人も追ってくるが、まだ刀を使う準備ができていないので、腰に帯刀した条第で連続で側転をして回避する。
「ちょこまかと!!」
「…君の望み通り、本気を出そう。どうやら、もう手をつけられないほどの状況に達したらしい」
「ほう…? ようやくか!!」
罪人は歓喜の声をあげる。対して常世は腰の刀に影を落とした。
「最後の問いだ。投降をしてくれないか? そうじゃないと俺は君に尊厳のない死を与えないといけない」
常世は人を殺したくない。されど世界は残酷で人を殺さないといけない状況が生まれる、そういう時に自身の心で割り切るために常世はいつも問う。
三回。
その問いが三回否定されると、常世は心を割り切って人を殺せる。だから常世はもう心を鉄にできる。
常世の手と魔剣が接触したとき、稲妻が走り世界が暗転した。不気味な魔力が溢れ、言語できない悪寒が走った罪人は大きく後退した。
(なんだ! なんなんだこれは!!)
恐怖。
本来それを与える側の人間だった憤怒の罪人が、逆にそれを感じていた。
憤怒という炎で燃え上がる心は恐怖という水で鎮火していっている。
常世はゆっくりと魔剣を鞘から抜いていく。そのたびに稲妻と暗転は酷くなり、世界はその存在を否定していく。
常世はただ一点。憤怒の罪人を見つめて。
「今から君を殺す」
「そうか! かかってこい!!」
完全に鞘から魔剣が抜かれたとき、刀身には幾つものの幾何学模様が浮かんでいた。まるでそれは世界の理の縮図のようだった。
だが次の瞬間、黒い靄のようなものが刀身を包み込む。再び魔剣の姿を見ると、幾何学模様を失って、刀身は純黒で異質さを放っていた。
魔剣『常世』。それが現在四つ存在する『至高の剣』の一角を担う魔剣の名前だ。通常の魔剣と逸脱する『常世』は、常世を呪ってその存在を否定している。
持つ能力は常世の受けた呪いと同じ、『世界からの拒絶』。
「終わりだ」
常世が一歩、踏み出す。
それはただの歩みではなかった。彼が移動した軌跡は、空間そのものが削り取られたかのように黒い虚無が残り、世界がその修復を拒んでいる。
「ふざけるな! 大罪教の『憤怒』だぞ!!」
罪人は恐怖を打ち消すように、残された全魔力を右拳に集束させた。生命力を過剰に燃焼させ、肌の赤い波紋が発火せんばかりに輝く。硬質化を超えた、文字通りの不沈の防壁と、一国を灰に変える破壊の衝撃。
彼は地を蹴り、常世の喉元へその一撃を叩き込んだ。
だが。
──パ、リィィィン!!
金属音ではない。理が砕けるような乾いた音。
罪人の拳が常世に届く直前、純黒の刀身がそれを撫でた。
ただそれだけで、罪人が誇っていた無限の魔力も、物理限界を超えた硬質化も、あたかも最初から存在しなかったかのように霧散した。
そのままの勢いで三手、魔剣を叩き込まれた。
聴覚、視覚、触覚。その三つが憤怒の罪人から失われた。
「あ、あぁぁぁ」
これには憤怒も情けない声を出した。
世界の音が消え、己の咆哮さえも届かない無音の牢獄。 燃え盛る出雲の情景も、神櫻の輝きも、目の前の死神の姿も、すべてが無に塗り潰された。
地を蹴る感触も、拳を握る手応えも、己の肉体がそこに在るという確信さえもが霧散する。
ここまでの人間性の侵されたのだ。発狂されて死んでもおかしくない。
彼の耳にはもう届かないかもしれないが、憤怒の罪人が受けた世界からの拒絶は、常世がこの十数年で受けたものからすると塵屑のようなものだ。
けれどただの人間ならそれで十分すぎた。
「……これが、君に約束した尊厳のない死だ」
「ギャォォォォン!!」
空を支配していた『魔龍』が主を守らんと、常世の前に立ち塞がる。だがそれすらも常世は無為に帰した。
漆黒の刀で『魔龍』を撫で、死を与えた。
虚無の一部分に触れ魔龍は死んだが、龍は魂の繋がりを通じて世界を燃やしつくす『火種』を憤怒の罪人に与えた。
「もう君には何も残させない」
常世の声は、五感を失った罪人にはもう届かない。 純黒の刀身から溢れ出す黒い靄が、周囲の因果を食い荒らしながら渦を巻く。
憤怒の罪人は膝を折って、呆然と地面に這いつくばった。
視覚を失った彼には、自分の流す涙さえも見えない。聴覚を失った彼には、神櫻の葉が揺れる最期の音も聞こえない。そして触覚を失った彼には、自分が今、冷たい石畳の上に倒れているのか、それとも底なしの奈落へ落ち続けているのかさえ判別できない。
ただ、自分という存在が世界から剥ぎ取られていくという、魂の根源的な恐怖だけが、唯一の感覚として彼の中に残っていた。
「…………っ」
罪人の口が動く。何かを、救いを、あるいは呪詛を吐こうとしたのかもしれない。しかし、そこから音は生まれない。彼の声帯が振動するという現象すら虚無に吞まれ、魔剣『常世』は拒絶している。
常世は、血の涙を流しながら、魔剣をゆっくりと正眼に構え直した。
(これでいい……。君の怒りも、君の罪も、すべて俺がこの闇に呑み込んでやる)
常世は、自身の内臓が軋み、細胞一つ一つが消滅の危機を訴えているのを感じていた。魔剣を振るうたび、常世自身の存」も削り取られていく。彼は罪人の絶望を、自分自身の痛みとして分かち合う。
「これで終わりだ。君も俺も」
叶うならもっと『勇者』をユダをもっと導いたかった。
叶うならもっと部隊の仲間達の成長を見たかった。
叶うならこの遠征から無事に帰ってアルデバランと酒を酌み交わしたかった。
叶うなら、叶うならと、叶うはずない妄想じみた願いが続々と溢れ出してくる。真っ黒な魂の中でもキラキラ光る希望や可能性、それらを断ち切り汚して罪人を殺さないといけない。
「さらばだ」
全てを押し込み、常世は刀を真正面から振った。
真っ黒な霧が離散し、罪人と常世を飲み込もうと迫る。
しかし本当に最後の瞬間。
魔剣の呪いが常世を完全に蝕んで、刀は憤怒の罪人に届かず、肉体は倒れて、意識は泥のような闇に沈んでいく。
指先の感覚が消え、心臓の鼓動が遠のき、最後に残った自分という概念さえもが、魔剣の呪い——『世界からの拒絶』によって塗り潰されていく。
倒れた彼の背後で、神櫻の花びらが静かに舞い落ちた。しかし、その花びらさえも彼を避けるように霧散する。大地は彼を支えることを止め、空気は彼の肺を満たすことを拒む。
(ああ……そうか……。これが、俺の……)
「結末なのか」
最後に脳裏をよぎったのは、ユダの真っ直ぐな瞳だった。世界のそして常世の勇者。
そして世界は常世を、◼◼◼を完全に忘れた。魔剣に呪われた臆病者◼◼◼の最後だった。




