第二章第十九話『撤退戦②』
時は暫し昔に戻る。
(撤退を開始したか。場内にまだ桜花将軍やレオンハルト閣下はまだいる。ちゃんと合流できるだろう)
「余所見か!! 余裕そうだな!!」
飛んでくるのは強烈な足蹴り。
常世は音を置き去りにしたその一撃を、視認することなく魔力感知だけで回避した。
憤怒の罪人は歯ぎしりをしながら、猛攻を開始した。
魔力が滾る炎のように渦巻くその拳は、彼の心境を示しているようだった。
左から右。
右と思わせて左。
フェイントを入れつつの拳。
どれもを常世は予定調和のように避けていく。
憤怒の罪人の相手をするだけなら、最小限の回避と魔力で空いてすることができる。
常世にとっても、憤怒の罪人にとってもこれが一番の戦いではない。
だからこそ互いに温存し、手札を探り合っている。だが常世にはそれらの行為を全て無為に返すことができる最強の術の『魔剣』が最終手段として存在している。
(使いたくないというのが本音だがな)
鞘に納まったままの刀を再度構え、憤怒の罪人に侮蔑の目を向ける。
「決め手にかけているようだが大丈夫か?」
常世の挑発が憤怒の罪人に火をつけた。
「そうか、ならば己の枷を一つ外そう!!」
帯びるのは黒い魔力。
そして顕現するのは漆黒の巨躯。
『魔龍』。
出雲城の上空を周回していた魔龍は、常世に向かって突進を開始した。
常世が巨躯に睨まれると同時、常世は立っていた床から離れていた。
「グウォォォォォォォ!!」
常世は魔龍の鉤爪に捕まれ、その身を空に飛ばされそうになっていた。
巨身に捕まれて加速し、風は常世を攻撃するかのように当たっていく。
強引に連れ去れそうとし、城内の壁を次々とぶつかっていく。
幾度も衝突を繰り返し、常世は空にいた。
「っつ!!」
暴風にさらされ常人なら思考を剥奪されるところを、常世は耐えていた。
(剣は持ったまま。ならば対処できる)
「その距離から叩き付けられたらどうなるだろうな!! ぜひ体験してくれ!!」
憤怒の罪人の咆哮が、吹き荒れる暴風を突き抜けて常世の鼓膜を震わせた。
魔龍の巨大な鉤爪は万力のような圧力で常世の身体を固定し、一気に地上へと急降下を開始する。視界が激しく上下し、眼下にはミニチュアのように小さくなった出雲城の屋根が、恐ろしい速度で迫っていた。
このまま激突すれば、いかに常世といえど肉体は無事では済まない。
「……悪いが、重力に従う趣味はない」
「ウォォォォン!!!」
暴風に負けない速度で常世は自信を縛る鉤爪を斬りつけていた。
縦横、斜め。
幾十にも切り裂くことによって、魔龍の強固な肉体を打ち破って血を流させる。
返り血を浴びながらも、常世は拘束が弱まったことを見逃さなかった。
緩んだ隙にに拘束から脱出。そのままの勢いで魔龍の背に登る。魔龍の背に乗った瞬間、常世の足元に広がるのは生物の肌とは思えないほど硬質な、そして不浄な魔力を孕んだ漆黒の鱗だった。
(自然界の法則でこんな生物は生まれないはず…人為的にこの魔龍を作ったのか、まぁいい。今この魔龍を殺せば後々楽になる)
常世の冷徹な判断が、荒れ狂う暴風の中で鋭く研ぎ澄まされる。
足裏から伝わる魔龍の拍動は、あまりにも禍々しく、不自然なほどに肥大化した魔力の奔流だった。
「……生物としての尊厳すら感じられない。君たちの執念が産んだ道具か」
常世は低く呟くと、漆黒の鱗に深く沈み込むように踏み込んだ。
魔龍がさらに咆哮を上げ、垂直に急上昇する。常世を振り落とし、空中で無防備になったところを喰らい尽くす算段だろう。
だが、常世はその重力の逆転すら利用した。
「っつ!」
常世は魔龍の背を蹴り、敢えて真っ逆さまに自由落下を開始した。
視界の端で、制御を失った魔龍がのたうち回り、その下方に憤怒の罪人が空中で踏ん張る姿が見える。
(逃がさない。この質量、この高度、すべてを刃に乗せる)
常世は空中で身体を捻り、抜刀の構えを維持したまま、魔力を高めた。
通常、空気抵抗で頭打ちになる落下速度が、魔力による加速で数倍、数十倍へと跳ね上がる。 常世の身体は一本の黒い流星と化し、大気を切り裂く衝撃波が周囲の雲を霧散させた。
一気に魔龍の血が噴出する。
制御を失った魔龍には見切りをつけ、巨躯を加速装置として利用。魔力を足に集中し、巨躯を蹴って出雲城まで戻る。
帰還地点には憤怒の罪人。
常世は表情一つ変えずに、罪人と対峙する。
各々が技を構える。
「『乱蹴り』!!」
「『桜流し』!!」
足技と剣技がぶつかる。
常世の剣技が威力負けし、常世は後退。
常世はようやく空から脱出し、息を吸ってはいた。
「顔をあげろよ常世」
憤怒の罪人の見下すような、冷徹な声が響く。
聞こえる複数の足音。
(増援か…)
常世は状況が厳しくなっていることを感じながら、顔をあげた。
「『傲慢の罪人』の咎人ノイン。『憤怒の罪人』の咎人ドットーレ、そして『憤怒の罪人』本人…」
「それだけじゃない。どうやら殺しそこなったようだぜ」
そう言って後方を指差す。
「ウォォォォン!!」
そして魔龍が再び、咆哮をあげて登場。
巨大な戦力を持つ『憤怒の罪人』は唇を釣り上げた。
「これだけいるんだ。お前を確実に殺す」
「ふっ、そうか」
憤怒の罪人の決意を鼻で笑う。
常世は立ち上がって、決意ある目で全員を睨む。
「君たち如きが俺を殺せるのか?」
「口のききかたを考えろよ常世!!」
ドットーレが叫ぶと同時に、周囲の空気が焼け付くような殺意で満たされた。
高い実力を持つ咎人が二人。そして大罪教の象徴たる『憤怒の罪人』本人と、再生を開始した魔龍。絶望という言葉すら生温い包囲網。
だが、常世は乱れた呼吸を整えることすらしない。
ただ、静かに、愛刀の柄を握る指の力を抜いた。
「――数が増えれば勝てると。随分と浅慮な考えを持っている」
その挑発は、嵐の前の静寂よりも深く、鋭かった。
「抜かせッ! 死に際までその余裕が持つか試してやる!!」
ドットーレが地を蹴り、光速に近い刺突を放つ。ノインは広範囲を焼き尽くす魔術を投じ、魔龍は天から死の顎を突き立てる。そして憤怒の罪人が、その隙間を縫うように必殺の拳を振り上げた。
四方、そして天。逃げ場はどこにもない。
世界が低速になっていく。そして巡る過去の記憶。
いわゆる相馬島というやつだ。
(ここが死に場所…いや違う。俺はまだもがける。もっと遠い場所までユダを、『勇者』を導かないといけない。だから)
「ここで俺が死ぬと思うなよ。罪人ども」
激闘が始まるのだった。
―― ―― ――
「これが我が能力!! 『反射』!!」
咎人ザインと対峙するユダ。
「……『反射』?」
ユダは剣を握る手に力を込め、低く構えた。
鼻を突くのは、ザインから漂う歪んだ魔力の臭い――鏡の中に閉じ込められた腐敗臭のような、逃げ場のない嫌な感覚だ。
周囲には、先ほどユダが放ったはずの斬撃の衝撃波が、目に見えない壁に跳ね返されて自身の足元を抉った跡が残っている。
「そうだ! 貴様がどれほど速かろうが、どれほど鋭かろうが関係ない! 我に触れるすべての『攻撃』は、そのまま貴様自身の肉体へと回帰するのだ!」
(っつ! よく自分の能力をベラベラと喋る。フェリスと同系統の馬鹿っぽいな)
自分に絶対の自信があり、そして馬鹿というと、どうしとも友人のフェリスが頭に浮かぶユダ。
「この我の能力!! 『勇者』の権能を使わなければ突破できないぞ!!」
「そうしたいの山々だが、俺は権能のこを最近知ったから、使い方を知らないんだよ」
ユダは吐き捨てると、ザインは考え込むように顎に手を当てた。
「権能者は物心がつく頃には自身の『権能』や役割について知っているはず。お前はなぜ知らない。もしやお前…!!」
「何を考えているのかは知らないけどよ、がら空きだぜ!!」
横斬り。
「フン、無駄だと言っただろうが!」
ザインが嘲笑とともに指を鳴らす。
ユダの放った鋭い横斬りは、ザインの喉元に届く直前、目に見えない面に衝突した。
ガギィィィン!!
凄まじい火花が散り、ユダの腕に強烈な衝撃が跳ね返る。自分の放った筋力と速度が、そのまま寸分違わず自身の肉体へと回帰したのだ。
「ぐぅっ……!」
ユダは後方に跳びのき、痺れる右腕を振った。
「カカカッ! がら空きなのはお前の頭の方だ! 今の衝撃で理解したか? お前が本気で斬れば斬るほど、お前の体は内側から砕け散る。……さて、先ほどの話の続きだが。権能を知らぬ勇者……。合点がいったぞ」
ザインは歪んだ笑みを深め、獲物を見定めるようなねっとりとした視線をユダに送る。
「だからお前の存在を我々はテロを行うまで知らなかったのだな!!」
「何をゴチャゴチャと!!」
ユダは吠えた。
体を蝕む痛むを必死に堪えて。
血を蹴ってザインを襲う。
「分からず屋が!!」
「うるさい!」
ユダの剣は弧を描いてザインを襲う。
予定調和で単純な攻撃。
容易に見切れる攻撃を前にしてザインは笑みを浮かべ、能力を使用した。
「『反射』!!」
能力は往々にして発動条件がある。
魔力の使用。
能力名を言うこと。
例外はあれどその二つだ。
ザインが『反射』と、自身の能力名を叫び、魔力が一点に結集する。ユダの剣先がザインの喉元を捉える直前、空気が鏡面のようになり、攻撃を反射する鏡が完成した。
だが、衝突の瞬間。
ユダは一瞬笑みを浮かべながら、確かに言った。
「転移!!」
『反射』の能力が使用された後、それに続くように使用されたユダの『転移』の能力。
ユダはもうザインの前にはいなかった。
「――なっ!?」
ザインが驚愕に目を見開いた瞬間、目の前にあったはずのユダの質量が、陽炎のように掻き消えた。
空を切るザインの『反射』の面。因果を捻じ曲げるために凝縮された魔力は、跳ね返すべき対象を失い、無機質な大気を震わせるだけに終わる。
直後、ザインの真後ろから、肺の空気を凍らせるような冷徹な「匂い」が立ち昇った。
「カハッ……が……ぁ!」
衝撃は、言葉よりも速くザインの背中を貫いた。
ユダの放った渾身の蹴りが、無防備な背後――反射の面が展開されていない死角へとめり込む。
「がはぁっ!!」
ザインの巨体が前方へと吹き飛び、崩落しかけの壁に激突する。
瓦礫の煙が舞う中、ユダは音もなく着地した。その瞳には、先ほどまでの焦燥はなく、ただ獲物を仕留める獣のような、静かで深い光が宿っている。
(まだだ。まだ生きている)
この程度で死なないことは分かっている。
だからユダは一寸の油断なく、倒れたザインに近づく。
ゆっくりと慎重に。
ドクンドクンと心臓が脈打つ。
(気絶しているなら首を斬って、確実に殺す)
心を冷徹にしながらザインのもとに来ると、膝を折って目をつぶったままの彼を覗き込む。
心臓の鼓動が耳元で鳴り響き、視界の端がわずかに赤く染まっているのがわかる。これは『転移』の反動か、それとも――。
ザインは、目を閉じ、荒い息を吐いている。完全に無防備に見えた。
(……気絶? いや、違う。これは……)
その瞬間、ザインのまぶたが、ゆっくりと開かれる。
その瞳には、恐怖も絶望もない。ただ、全てを燃やし尽くすような憤怒が宿っていた。
「……勇者ぁぁぁっぁぁぁぁぁ!!!」
絶叫紛いの声を上げながら、ザインは再度襲いかかった。
(やっぱりそう簡単には気絶しないよな!!)
「カカッ! 詰めが甘いんだよ、『勇者』!!」
至近距離。ザインの手がユダの胸ぐらを掴もうと伸びる。その掌には、先ほどまでの精密な鏡面ではなく、防壁を無理やり攻撃へと転用した、歪な魔力の棘が結集していた。
「しまっ……!」
(反射の膜を捨てて、純粋な魔力放出に切り替えたのか!?)
ユダの嗅覚が、焦げ付いた鉄のような殺意を至近距離で嗅ぎ取る。
回避は間に合わない。転移の再発動も、今のユダの脳と心臓の負荷では間に合わない――。
「ぐうぉぉ!!」
必死に叫びながら、剣でザインの手を斬り落とそうとする。
だが剣がザインに届くほんの前に、ザインの手はユダの胸ぐらを掴んでいた。
「ぶへぇぇ!!」
無数の棘が胸ぐらに刺さり、ユダは何の抵抗も許されずに吐血した。
更に最悪。
捕まえられたユダに待ち構えるのは、ザインによる次段の攻撃。
「――逃がさんと言っただろうが! 偽物がッ!!」
ザインの狂気に満ちた叫びが至近距離で炸裂する。
胸ぐらを掴んだザインの手。そこから伸びる魔力の棘が、ユダの防具を容易に貫き、肉へと深く食い込んでいた。激痛と衝撃に、ユダの視界が白く明滅する。
だが、真の絶望はその直後に訪れた。
「そのまま……内側から弾けろ!! !!」
ザインがもう片方の拳をユダの腹部に叩きつける。
それは単なる打撃ではない。打撃の衝撃を、その瞬間にユダの体内に向かって反射させ、破壊エネルギーを体内で無限ループさせる、回避不能の処刑術。
(あ……が……ッ!!)
ユダの体内を、逃げ場のない衝撃が嵐のように暴れ回る。
肺からは空気が、口からは鮮血が、抗う術もなく溢れ出した。
「ハハハハ!! どうだ! 貴様自身の質量が貴様を押し潰す気分は!!」
ザインは勝ち誇り、さらに力を込める。ユダの意識は急速に遠のき、握りしめていた剣が指から滑り落ち、カランと虚しい音を立てて床に転がった。
(……ここまで、なのか……?)
意識が途絶える瞬間、ユダはそれを観た。




