第二章第十八話『撤退戦』
場内を美しい女と男が護衛を連れて走る。
美しい服は煤にまみれて汚れようとも、その者たちの無垢は顕在だった。
だがその無垢を汚そうとする存在もいた。
屍兵だ。
美しい女と男――『出雲幕府将軍』出雲桜花とアアル王国外務大臣『レオンハルト・セレジア』、そして護衛。
それらを耐えまもなく襲撃する屍兵。
そういった状況下が故、桜花たちは出雲城から撤退できていなかった。
(っつ!! 大罪教にそんな技術があったなんて!!)
その怒りを表にすることはないが、桜花の心中には自分への怒りがめぐっていた。
他のものが自身の力不足感に怒りを覚えるように、桜花もそうなっていた。
「桜花様、これが出雲流の歓迎ですか…ぜひ、王国に戻ったら友人達に土産話として話したい」
「……レオンハルト殿、あいにく出雲の土産物屋は、これほど物騒な品は取り扱っておりませんよ」
桜花は煤の混じった息を吐きながら、凛とした声を返した。その瞳には、将軍としての不退転の決意が宿っている。
眼前には屍兵の集団。
もう何回目の接敵か分からない。
「おらー!!」
一閃。
桜花の周囲で、目にも止まらぬ速さの斬撃が奔った。肉薄していた屍兵たちの首が、音もなく宙を舞う。
「流石、出雲の武士だな。どうだ、君もマリア教を信仰するのは。聖女様は平等に祝福を与えてくれるぞ」
「いや、結構。拙者達に信仰はいらないでござる。ですがこの状況を脱せれるのなら、信仰も悪くないでござる」
「折角の布教の機会だが、嘘をつけねーわ。聖女様は祝福を与えてくれるが、結局行動するのは自分だ。信仰は何でも解決してくれるものじゃない」
世界最大宗教である『マリア教』を布教するギルド隊員の一人。それを出雲の武士はバッサリと断る。
他国の戦力どうしが仲良くする。
できそうで難しい関係性がこの緊急時において成り立っていた。
立場も、信仰も、国籍も違う。本来なら相容れないはずの者たちが、今この瞬間だけは「生き延びる」という唯一の目的のために背中を預け合っていた。
だが、その奇跡的な連携をもってしても、状況は悪化の一途を辿る。
「――ッ、将軍、止まってください!」
先頭を走っていたギルド隊員が叫び、急ブレーキをかける。
続いて轟音。
――奇襲。
「見参見参!! 我にここにあり!! 我は『憤怒の罪人』様の配下の咎人――」
「名乗らせません!!」
「むぐ!!」
次の瞬間、咎人の体は細い糸のようなもので縛り上げられる。
「なっ、何だこれは!? 動けん!!」
突如として現れた光る魔力の糸が、咎人の四肢を無慈悲に拘束する。天井が崩落し、瓦礫が雪崩のようになって咎人に襲い掛かった。鈍い音が出た。
天井の崩落した隙間から、ひらりと舞い降りたのは琴音。そして副隊長マナ・イハートを支えるように着地したユダ、アルス、フェリスの三人を含めたその他大勢。
数十名の着地により、ドン!と大きく床が揺れる。
「将軍! お怪我はありませんか!」
「レオンハルト閣下、大丈夫ですか!!」
罪人を拘束したのは、琴音のものだ。
ギルドのマナ。そして出雲の琴音が大きく前に出た。
琴音とマナが心配の言葉を投げかけると、二者ともに自身の安否を示した。
「琴音。状況は?」
「完全に大罪教に占領されもてうた。現在、出雲城からの撤退を開始し…ほんまに申し訳ない。出雲城を完全に守れんくて…」
琴音は自分の弱さに打ちひしがれて、普段の滑稽な言葉遣いを忘れて桜花に謝罪した。
「大丈夫です。それに命があれば、いくらでも状況は立ち直れる。今は生きることに重きを置いてください」
「はい…!」
琴音は緊張の糸が切れたように、その場に膝をついた。
「和葉は?」
「こちらです」
銀髪の少年が将軍の前に出た。
ユダだ。
彼の血を流し、苦しそうな顔をしている和葉を大切そうに抱えていた。
「和葉…」
「ごめんなさい。回復魔術をかける時間はなくて…、今からかけます」
「いや、マナ殿、今は止めておきなさい。あなたの魔力も底が見えているはずだ」
将軍、桜花が静かに、だが拒絶の余地を与えない声で制した。
彼女はユダの腕の中でぐったりとしている和葉の額にそっと触れる。その指先はも、慈しみで震えていた。
「恵、琴音」
「「はい!」」
震えを必死に抑えたような声で三人衆の二人に桜花を声をかけた。
「今から私達はこの城を放棄して撤退します。場所は以前使用した『隠れ家』です。そこまでギルドと共に撤退して状況を立て直します。…これは逃避ではありません。大罪の毒刃を退けるための準備。命をかける覚悟は――」
「――命をかける覚悟は、既に整っております!!」
琴音と恵の声が重なり、廊下の空気を震わせた。その瞳に迷いはない。出雲城という形ある拠点を失う屈辱を、彼女たちは再起という名の決意に塗り替えた。
「よし……。ギルドの皆様、共に戦っていただけますか?」
「「「当たり前です!!」」」
「――大罪に立ち向かう貴方達に敬意。ありがとうございます。」
桜花はそう告げると、和葉の髪を一度だけ優しく撫で、鋭い眼光を崩落の続く廊下の先へと向けた。
「常世殿は、殿を……!」
「はい。憤怒の罪人を食い止めてくれています。ですが、城の崩壊が進めば隊長も危ない!」
ユダが叫ぶ。彼の鼻は、すでに背後から迫る凄まじい焼けた瓦礫と魔力の焦げ付いた匂いを捉えていた。魔龍の咆哮が地響きとなって一行を襲う。
「常世殿に、城内の負傷者を全員回収したかったですが、一刻の猶予もありません。この場にいる全員で、西門より脱出する。……それ以外の者は、見捨てるわけではありませんが、命運を天に任せる他ありません!」
桜花の苦渋に満ちた決断。将軍として、民や兵を置いていくことの痛みは察するに余りある。だが、ここで立ち止まれば全員が共倒れになる。
「マナ殿。一つお願いがございます」
「なんですか?」
「この出雲城を囲むように結界魔術を展開していただけますか?」
桜花はマナの目線まで体を小さくして、彼女と同じ世界を見ながらそう頼んだ。
桜花の心理は簡単だ。
ここで和葉を含む負傷者を癒やすことに彼女の魔力を使うより、結界魔術を使って攻撃が城下町にいかないようにする方が有意義と。
人民の命を大切にする桜花はそう考えた。無論、迷いもある。
「それが多くの命を守る戦略なんですよね…わかりました! けど結界魔術を展開するならここを抜けてからになります」
「決意に感謝しますマナ殿。総員撤退開始!!」
桜花が叫ぶと、それを上回る咆哮が皆の口から出る。
全ては生き残るため、大罪教を倒すため。
数十人の大御所帯は出雲城からの脱出を目指して、走り出した。
その最後尾には『勇者』であるユダ。それを知らない二人の友人のアルスにフェリス。そして
「お前はこっちだ勇者!!」
四肢を拘束され、尚且つ崩落に巻き込まれたはずの咎人が襲いかかる。
(しまった…!!)
その瞬間、ユダが、背後から迫る圧倒的な崩落の予兆を嗅ぎ取った。本丸の天井が、魔龍の咆哮に耐えきれず連鎖的に落ちてくる。
今、この場に止まれば、全員が和葉を抱えた自分ごと生き埋めになる。
「アルス! 受け取れ!!」
ユダは転倒しながらも、腕の中の和葉を全力で前方へと放り出した。
宙を舞う和葉の体。それに応えるように、親友のアルスが咆哮を上げながら地を蹴り、巨大な盾を捨ててその体を受け止める。
「ユダ! お前っ!!」
「行け!! 将軍を……和葉を頼んだぞ!!」
直後、轟音と共に巨大な梁と瓦礫の壁が二人の間を分断した。
もうもうと立ち込める砂塵。アルスたちの叫び声が、厚い壁の向こうへと遠ざかっていく。
静まり返った廊下の片隅で、ユダはゆっくりと立ち上がった。足首を掴んでいた咎人が、不気味に喉を鳴らしながら瓦礫の山から這い出してくる。
「会いたかったぞ『勇者』!!」
「誰か分からないけど、俺は会いたくなかった!!」
嬉々とした表情をする咎人。
ユダは反射的に彼の存在を拒否する。
ユダはゆっくりと剣に手を伸ばす。
「我は『憤怒の罪人』の配下である咎人が一人!
「咎人…?」
ユダが首を傾げるが、その裏では警戒を一切解いていなかった。もしも目の前の男が襲いかかろうとしたものなら、ユダは一寸の迷いなくその命を散らす。
「権能者の一人でありながら『咎人』も知らぬか! やはり『傲慢の罪人』様が語ったように、今代の『勇者』は相当無力らしい!!」
(ちっ、知らないだけで何でそんなボロくそに言ってくるんだよ)
「我は心優しいから教えてやろう!! 咎人とは大罪教の最高幹部集団である『七大罪人』のそれぞれに従う直属の配下。そして我は『憤怒の罪人』様に使える『咎人』、ザイン!!」
「そいつはご丁寧に教えてくれてありがとう」
(他の人は大丈夫なのか? ちゃんと撤退してくれよ、俺の方は気にかけなくていいから)
ユダの言葉と思考はズレていた。
魔力感知でユダに構うことなく、撤退できていることを確認できてようやく一息つけた。
ユダだけのために足を止め、撤退に時間をかけるようであればそれは最低な行動だと、ユダは思う。
目標に徹してくれたのを嬉しく思う反面、ユダは覚悟を決めた。
(助けは望めない。だから俺がこいつを突破にしないといけないんだ)
「ほう勇者! 戦う気になったか!!」
「不本意だけどよ、みんなの所に行くには、お前の戦わないといけないらしい」
「そうか!! ならばいざ尋常に勝負!!」




