EP589:伊予の物語「叛心の安禄山(ほんしんのあんろくさん)」 その4~伊予、標的になる~
武蔵宇三さんが
「臺与さんの言うこともごもっとも。
どこぞの女房どのですか?
箏を弾いたこともないのにいらっしゃったんですか?
厚顔無恥とはこのことですな。」
グサッ!と言葉が胸に刺さる。
藤原雑魚さんがニヤケ声で
「ああ、彼女は伊予という左大臣の女子ですよ。
才色兼備と聞いていたのに、とんだ見当違いでした。
痘痕も靨とはこのことで、左大臣はその女子に執心なばかりに買いかぶっているんですよ。
我々の天人にも勝るとも劣らない、至極の演奏を台無しにした責任をその女子がとれますかな?」
言葉がさらに傷を大きくえぐり、キリキリと痛みを感じた。
望月武王さんがなだめるような声で
「まぁまぁ。
皆さん、そう寄ってたかっていじめるものじゃありません。」
臺与がキッ!と色めき立った声で
「まぁ!望月武王さんは伊予さんの味方をしますの?
その不器用で粗野で無神経な上に、禍々しい呪力でお子様たちを呪い、怪しげな『媚薬』で左大臣さまを骨抜きにする、卑しい、汚らわしい女子の?」
唾を吐き捨てるように言い捨てたあと、私を睨みつけ、続けて
「その女子は左大臣さまに『媚薬』を盛って寵愛を得ているんですよ!
その女子のもとに通った左大臣さまは『媚薬』のせいで毎夜、前後不覚に陥っておられるらしいの。
その噂を、皆さんもお聞きになったでしょ?
帰ってこられたときには正気をなくしてらっしゃって、北の方さまに暴言を投げつけたり、つらく当たったり、人が変わったように荒々しく粗野なふるまいをなされるらしいんです。
北の方さまがわたくしにだけ、こっそりと打ち明けてくださったの。
その女子のせいで左大臣さまがすっかり変わってしまったと。
以前とは違って妻と子供に無関心になり、話しかけても冷たい態度で無視するようになられたって!
お子様たちが一緒にいてほしくて父上に泣いて縋り付いても、冷酷に振り払って立ち去ることが当たり前になられたって!」
なだめてくれた望月武王さんまでため息交じりに
「そうですか。
それほどまでに男を変えてしまったとは!
この世には、恐ろしい夜叉羅刹のような女子もいるものですな。
真蛇に変じた女子の執念とは、まことに醜くおぞましいものですな。」
首を横に振って信じられない!と言いたげだった。
私が廉子さまに贈った『滋養強壮の薬酒』がこんなことになるなんて・・・・
そんなに恨まれてたなんて・・・・・
『また余計なことをしてしまった』と後悔するとともに、自分の愚かさが嫌になり、そこにいる全員から嫌われてるような気がした。
鋭い視線の針で全方向からチクチク刺されているような痛みを感じた。
『針の筵』に、じっと座っているのが苦痛になった。
「フフフッ!」
思い出し笑いのように臺与が急に笑い出して、藤原雑魚が
「どうしたんですか?」
と聞くと、臺与は
「だって、伊予さんって、安禄山みたいだなって思ったの!」
武蔵宇三さんが目を丸くして
「あの、唐の玄宗皇帝の時代に、謀反を起こした胡人の軍人ですか?
太った残忍でずる賢い大男で、賄賂をつかって皇帝のそばにあがり、大将軍や節度使にまでなりあがったあの?」
望月武王さんが意外そうに
「玄宗皇帝を裏切り謀反を起こし長安を落とし、略奪の限りを尽くし、新しく国を建て皇帝を名乗った悪党ですな。
どこが伊予どのに似ていると思われるのですか?」
臺与が肩をすくめ
「玄宗皇帝は安禄山が異人で物珍しいから寵愛したでしょ?
左大臣さまはきっと、伊予さんがありえないほど不器用で愚直で幼稚だから物珍しくて寵愛してるの。
宮中の女房には伊予さんぐらいの容姿なら掃いて捨てるほどいるわ!
それに左大臣さまが『伊予は不器用だ』って仰ってたの。
どういう意味かお分かり?
女子として未熟だということよ!
愛する技術が幼稚でみっともないってことね。
それなのに、寵愛を独占してるってことは、安禄山ぐらい珍しいからと、『媚薬』というズルい方法に頼ってるからね!」
楽しそうにクスクス笑う。
藤原雑魚さんが感心したようにうなずき
「なるほど~~~。うまいこと言いますね~~~!
さすが臺与さんは見識が高く博学でいらっしゃいますな。」
望月武王さんが弾んだ声で
「そのうえ絶世の美貌をそなえている!」
武蔵宇三さんがとろけそうな表情で
「そのうえ超絶技巧を操る!」
三人の男性がウンウンと頷きながら、うっとりと臺与に見惚れてる。
臺与が優越感でキラキラと表情を輝かせ、私をフフン!と鼻で笑い
「そう。安禄山は決して楊貴妃には敵わないのよ!」
と言い捨てた。
私はグッと唇を噛み、泣くのを我慢した。
今すぐ立ち上がって雷鳴壺に帰りたい!
椛更衣に抱きしめられて、ポンポンされて、慰められたいっ!
その場にいる狩衣姿の貴族と思われる人たちすべてに嫌われ軽蔑され、臺与に憎まれ、几帳の後ろにいる廉子さまに恨まれてる。
そう思うと、私がここにいる意味は、寄ってたかっていじめる標的のためだけ、だと思えた。
『はやくこの場から出ていけ!
この空気の読めない、へたくその邪魔者!
忌々しい汚らわしい卑怯な女子め!』
とそこにいる全員に罵られている気がした。
ポタッ!
温かい液体が頬を伝い、箏の上に一滴落ちた。
耐えられなくなって、ガクガク震える足を抑えてふんばり、お腹に力を入れて、バッ!と立ち上がり
「私・・・・も、もう・・・・・し、失礼しますっ!!」
よろけながら、覚束ない足取りで、できる限り急いで、主殿から立ち去った。
廊下を渡って、東の侍所の沓脱まで、転ばないように、それでもできるだけ速足で歩くと、やっとのことでたどり着いた。
侍所で脱いで置いてた市女笠を手に取り、廂に座って沓脱の沓を履いていると、
「あれ~~~?姫じゃないですか?どうしてここにいるんですかぁ?」
能天気な明るい声が聞こえた。
顔を上げると、目の前に馬の口を引いた竹丸と、その馬の背からひらりと飛び降りた兄さまの姿があった。
今どこかから帰ってきたばかりなの?
私がここで『催馬楽合奏の宴』に参加してることを、兄さまは知らなかったの?
(その5へつづく)




